そう思っていた。しかし、世界は進んでいた。2002年の世界選手権で当時世界ランキング1位のリンゼイ・アンドリュー(英国)に10秒以上の大差をつけられ、敗北を喫した。
「それまで健常者として水泳をやってきて、障がい者になってからも健常者と同じレベルでやっている人は自分以外にいなかったので、正直ナメていました」
痛感させられたのは、実力だけではない。パラリンピック発祥の地である英国は、選手の強化やメディアでの扱われ方、すべてが日本よりも格段に上だった。障害があるから仕方ないーー未だにそういった捉え方をされる日本との差を見せつけられた。
その後、アテネ・北京・ロンドンの3大会連続パラリンピック出場を成し遂げた現パラスイマー江島大佑が、16歳で初めて“世界”を知った日だった。
■プールサイドから絶望の淵へ
幼いころから運動神経には自信があり、やんちゃ坊主として育った。水泳との出会いは、3歳のときに「健康づくりのため」と親が連れて行ってくれたスイミングスクールだ。
小学校低学年で選手コースにスカウトされた。放課後は練習漬けになり、自然と将来はオリンピックに出たいと思うようになった。
だが、12歳のある日のこと。いつものように友だちと野球をしてからプールに向かった江島だったが、プールサイドで倒れることになる。その瞬間に頭に浮かんだのは、毎日ある過酷な練習を「今日はサボれる」ということだった。
「元気になってまた明日から頑張ればいいや」
そんな軽い気持ちは、絶望に変わった。運ばれた病院で脳梗塞による左半身麻痺と診断された。
頬の筋肉も不自由になり、水泳どころか話すことすらできない状態に陥った。「再発したら死ぬかもしれない」と医師から説明されても、この日もいつも通りに泳いでいた自分には受け入れがたい言葉だった。

突然の死の宣告に戸惑い、水泳ができない日々が続いた。くすぶっていた時期に、テレビでシドニーパラリンピック(2000年)の競泳が放送されていた。
「ひょっとしたら自分も、もう一度舞台で活躍できるかもしれない」
自分と同じ障害を持っている選手が世界で戦っている姿を目の当たりにして、諦めかけていた水泳を再スタートする決意をした。
■自分の活躍が次の世代につながる
立命館大学に進学し、2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンとパラリンピック3大会連続出場を果たした。初出場のアテネ大会では200mメドレーリレーで銀メダルを獲得した。

写真提供:SIGMAXYZ
3度の大舞台を経験し、国内メディアでのパラリンピックの扱い方の変化を感じた。アテネ大会の出国時にはほとんどいなかったメディアが、北京、ロンドンと回を重ねるごとに増えていき、徐々に盛り上がりを見せていった。
昨年のリオデジャネイロパラリンピックでは、日本代表選手が勝ち残った決勝の試合が放送された。アテネ大会のころを思い返せば、大きな変化である。
「テレビなどのメディアに出ることで影響を与え、次の世代につなげることができる」
かつて江島がシドニーパラリンピックに魅了されたように、アテネでの江島の活躍を知って水泳を始めた選手もいる。次の世代へのつながりを実感した。
■選手が交流できる合宿『エジパラ』を企画
東京パラリンピックまであと3年。2020年で34歳になる江島は、東京パラリンピックを最後の大会と捉えている。
「この十数年間で自分がやってきたことは何か意味があったはず。自分中心で引退するよりも、次の世代につないでいきたい。何かを残さないともったいない」
そんな思いからスタートしたのが『エジパラ』だ。加速するパラリンピックの盛り上がりや期待度、次世代の育成を受け、選手同士が試合以外で交流できる場をつくろうと、江島主催の自主合宿を開いた。

江島の“えじ”と“パラリンピック”を組み合わせた第1回『エジパラ』は2017年2月に開催された。下は高校生、上は30代のパラスイマーが全国各地から集まり、育成選手と強化選手が合同で練習を行なった。普段は交流する機会がない両選手だけに、お互い学ぶことは多かったという。
「世界のレベルを知らずに育っている子たちに、『パラリンピックに出るためにはこれくらい努力しなくてはいけない』と知ってもらうきっかけになった。強化選手も、同じ障害を持つ子に見られているという意識を持って練習をすることができた」
刺激し合い、交流しながら行われた『エジパラ』。日本身体障がい者水泳連盟が行う合宿は、組織として決められたスケジュールと型がある。せっかく自分がすべて決められる合宿ーー、どうせならいつもと全く違った練習がしたいと思った。連盟の合宿との差別化を図るために、『エジパラ』では練習の始まりと終わりの時間だけを決めた。
選手たちが互いに言葉を交わしながら自分たちでメニューを考え、自由に練習するスタイルは、周りからも好評だった。第1回開催後も「参加したい」という声が多数集まった。次回の『エジパラ』はさらなる参加者が集まるだろうと期待が膨らむ。
アテネからロンドンまで、自分の水泳だけをまっとうしていればいいと思っていた。しかし、思い返せば江島をパラ水泳へ導いてくれたのは、シドニーパラリンピックで世界の強豪と戦う日本代表選手の泳ぎだった。
「エジパラを通して、まだ世界を知らない子たちに何かを伝えていきたい」
まだ高校生だった2002年に初めて“世界”を知ったときのように、未来を担う次の世代が世界と戦う日が来るまで、江島はこれからも自らの泳ぎで伝え続ける。
■江島大佑(えじま だいすけ)
1986年生まれ、京都府出身。シグマクシス所属。プロフェッショナルスイマー。
3歳から水泳を始める。12歳のときにプールサイドで脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残る。その後1年間の闘病とリハビリの中で絶望感にさいなまれるも、シドニーパラリンピックの映像を見て再び水泳を始めることを決意。立命館大学進学後、2004年アテネパラリンピックに出場し初出場で 銀メダルを獲得する。
2006年にはパラリンピックワールドカップ 50m背泳ぎで世界記録を樹立。2008年北京パラリンピック、2012年ロンドンパラリンピックと計3度のパラリンピックに出場。