3週間で2度も直面した指揮官の解任
3週間あまりの間に、所属チームの監督が2度も解任される。それも日本の浦和レッズと、移籍したばかりのドイツのインゴルシュタットで同じ状況に直面するとは、関根貴大は夢にも思わなかったはずだ。
関根がリーグ戦デビューを果たしてから2日後の22日。ブンデスリーガ2部のインゴルシュタットはクラブの公式サイトを通じて、マイク・バルプルギス監督を解任したと発表した。
昨シーズンのブンデスリーガ1部で17位に沈んだインゴルシュタットは、昨年11月から指揮を執っていたバルプルギス監督を2部の戦いでも続投させた。しかし、開幕3連敗で荒療治を施さざるをえなくなった。
8月10日に日本を飛び立った関根は、メディカルチェックなどをへて11日に正式契約。背番号も「22」に決まり、20日に行われたレーゲンスブルクとの第3節の後半16分からピッチに投入された。
この時点でインゴルシュタットは2‐1とリードしていた。しかし、28分、34分に連続失点すると、アディショナルタイムにも1点を失う。自らも失点に絡むなど、関根も不完全燃焼に終わった。
インゴルシュタットから関根のもとへオファーが届いたのが7月下旬。直後の北海道コンサドーレ札幌戦で敗れてから一夜明けた7月30日に、レッズはミハイロ・ペトロヴィッチ監督の解任に踏み切っている。
「急なオファーだったし、レッズがこういう状況だったので本当に悩みました……」
オファーを受けた直後の心境を、関根はこう振り返ったことがある。ジュニアユースからレッズひと筋で育ち、2014シーズンにトップチームへ昇格すると、ペトロヴィッチ前監督のもとで重用された。
しかし、すでにブンデスリーガ2部の新シーズンははじまっていた。時間をかけている余裕はない。レッズへのあふれんばかりの愛と責任感、描き続けてきた夢との間で関根は揺れた。
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レッズひと筋で育った関根貴大
(c) Getty Images
決め手になった原口元気への国際電話
おぼろげながら描いていたサッカー人生の設計図のなかで、プロになって4年目となる今年は海外でプレーすることになっていた。実際、開幕直後には、こんな言葉を漏らしたこともある。
「この年になったら、実はもう海外へ行くつもりではいました。大学4年の代じゃないですか。なので、そろそろやばいですね。予定よりも遅れ気味なので」
大学4年の代とはプロにはならず、大学へ進学した1995年度生まれの同世代をさす。彼らが来シーズン、Jリーグの門を叩くときには海外へ移籍し、一歩先を走っている存在でいたいと常に思い続けてきた。
迷ったすえに、いまも敬愛する原口元気へ国際電話をかけた。ジュニアユース、ユース、トップチームと常に眩しい背中を見せ続け、関根の目標であり続けた5つ年上の日本代表FWはストレートに聞いてきた。
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原口元気の背中を追い続けた
(c) Getty Images
「お前の気持ちはどうなんだ。行きたいのか、それとも行きたくないのか」
その瞬間、胸中に渦巻いていた、もやもやしていたすべての思いが晴れた気がした。文字通り原点に立ち返って自分自身に問いただしてみたとき、偽らざる本音を受話器の向こう側へ返していた。
「(原口)元気くんからすごく単純な質問をされたときに、自分でも『行きたいです』と素直に言うことができた。移籍するにあたって、自分の場合はそれが決め手になりました」
堀孝史新監督体制での初陣となった、5日の大宮アルディージャとのさいたまダービーから一夜明けた6日に正式発表。渡独前日の9日のヴァンフォーレ甲府戦にも志願して先発し、後半38分までプレーした。
「浦和の誇りを胸に世界を沸かし駆け抜けろ 24」
巨大な横断幕が掲げられたゴール裏のスタンドを前にして、試合後に思いの丈を伝えた。涙を必死にこらえる姿に、敵地を赤く染めたファンやサポーターから拍手喝采を浴びた。新たなパワーがわいてきた。
昨年12月にドイツの地で受けた衝撃
Jリーグチャンピオンシップ決勝で鹿島アントラーズにまさかの苦杯をなめさせられ、予想よりもはるかに早いオフに入っていた昨年12月。原口が戦う姿を自分の目で見ようと、ドイツの地を訪れている。
言質で観戦したのは3試合。そのなかで、原口が所属するヘルタ・ベルリンを2‐0のスコア以上のゲーム内容で一蹴した、ライプチヒの攻守ともにアグレッシブなスタイルに、衝撃に近い感銘を受けた。
「ヘルタがボロボロにされましたけど、でも自分がブンデスリーガへ行けない、とも思わなかった。むしろやってみたい、という思いのほうがさらに強くなりましたね。自分がどれだけできるのか、なんて実際にやってみないとわからないじゃないですか」
ライプチヒのラルフ・ハーゼンヒュットル監督は、2015‐16シーズンに初めてブンデスリーガ1部に挑んだインゴルシュタットを率い、開幕前の下馬評を鮮やかに覆す11位に躍進させたことで一躍名を馳せた。
全員が攻守両面でハードワークする堅守速攻を武器に、ブンデスリーガを席巻したスタイルをライプチヒでも実践。最終的に2位に入る大躍進を遂げ、その過程でたまたま観戦に訪れていた関根をも魅了した。
ハーゼンヒュットル監督が礎を築いたインゴルシュタットの一員になったことに、数奇な縁を感じずにはいられない。出足でつまずきはしたが、まだ3試合を終えたばかり。挽回するチャンスは十分にある。
関根自身、屈強な大男たちが集うドイツの地へ、具体的な青写真を描きながら乗り込んでいる。
「浦和レッズの一員だったプライドをもちながら戦い、個の能力を磨いてもっともっとタフに戦える選手になって、成長している姿を日本へも見せられたらと思う。ドイツの1部に上がって、さらにステップアップした舞台で自分のもっているものを出したい」
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ドイツの地でもガンガン仕掛けていく
(c) Getty Images
1対1を制するキーワードは遊び心
ACLでの戦いなどを通して、167センチ、63キロと日本人の平均サイズよりも小さな自分が、はるかに大きな男たちとのマッチアップを制していくポイントを見つけ出した。
「リーチが長い分、いつもなら大丈夫と思っているところで足が届くことがある。それでも最初の一歩が遅いことが多いので、ポジショニングやファーストタッチがより重要になってくる」
日本人選手と対峙したときの感覚に修正を加えながら、得意とする1対1で原点になる考え方は絶対に変えないと言い聞かせてきた。戦い場をドイツに移したいまも、もちろん貫いている。
「遊び心というか、心に余裕があるときのほうが、相手の動きの逆を取れる感覚がある。いっぱい、いっぱいのときほど突っ込みすぎるというか、ボールを取られることも多いと自分でも思っている」
7月15日に行われたボルシア・ドルトムントとの国際親善試合でもチャンスを演出し、相手ゴール前まで飛び出して惜しいシュートを放つシーンもあった。確信は自信へと変わりつつあった。
「自分がガンガン仕掛けていけば課題も見つかる、という思いでプレーしました。周囲を上手く使った動きや縦に抜けるスピードが上手くいったので、そこはリーグ戦でも自信をもって、自分の強みとしてやっていければ」
ここで言及したリーグ戦とは、もちろんJ1のことだ。それだけインゴルシュタットからのオファーが、電撃的かつ想定外だったことを物語る。
「自分がいたポジションを含めて、レッズにはいい選手がいる。調子を取り戻して、本来いるべき順位に戻ってくれることを信じている。自分は何も心配していません」
自分の意思で決めたからには、もう後ろを振り向かない。愛するレッズの復活劇を信じて、ブンデスリーガ2部からはい上がり、悲願の日本代表入りを新たな目標のひとつにすえながら関根は前へ進んでいく。