■雌竜と雄竜
二つに割れた竜神山の山腹には、「染谷」と「村上」の二つの佐志能神社がある。二つの神社は二社で一対であり、要するに「つがい」の関係である。
染谷佐志能神社(上記写真)は「雌龍」、村上佐志能神社(下記写真)は「雄龍」と呼ばれ、竜神山には竜の夫婦が住んでいると言われてきた。竜の夫婦は水を司る神様で、日照りが続くと人々は竜神様に雨乞いをしたそうだ。
二社にはそれを象徴するものがある。ひとつは、染谷佐志能神社の屏風岩にある「風神の穴」。この穴から雷雲が生まれ、雨をもたらすという。もうひとつは村上佐志能神社にある「御手洗池」で、この池は枯れることなく水が湧き出るという。
そのように昔から人々の信仰を集めてきた竜神山だが、近代化が進むと人々の手によってふたつに分かれてしまった。前回の記事 【小さな山旅】「割れ山」の思い出…茨城県・竜神山(1)でも書いたように、竜神山は採石業者によって山が削られている。雄竜(村上)は山の北側に、雌竜(染谷)は山の南側にあるのだが、その間に割って入ったのが採石場である。
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「雄竜」の村上佐志能神社
両家に宗教上の対立があった訳でもなければ、互いの身分に差があった訳でもなく、仕事を怠けて愛にかまけた訳でもない。突如として現れた無機質な存在によって、雌竜と雄竜の関係を引き裂かれたのである。
そんな悲しき愛の物語の渦中にある竜神夫婦は、その姿もやはり悲しげだった。どちらの神社も人気はなく、ひっそりと静かに、そして寂しそうに、山の片隅に鎮座している。村上神社を訪れた際に、ポツリと天から落ちてきた雨粒が、竜神様の涙のように思えた。
■茨城童子
また、竜神山には「茨城童子」という言い伝えもある。茨城童子は荒くれ者の「鬼」で、酒呑童子の兄弟分。人間をさらっては大きな巾着袋に放り込み、終いには食べてしまったという。
「子はかすがい」と昔から言うが、茨城童子は竜神夫婦の「かすがい」になってはくれなそうだ。そもそも、「童子」といえど、子どもではないらしい(鬼の意)。試しにゲンノウで童子を打ってみれば、もしかしたら「かすがい」になるかもしれないが、相手が鬼では、怖くてそんなこともできそうにない。
山にこのような言い伝えが残っているということは、古くから人々に愛され、また恐れられてきたという証拠である。その昔、人々の暮らしは自然とともにあった。人々はそれを忘れつつあるが、本質的には今も変わっていないはずなのだ。
竜神山に登って、今に伝わる物語に触れ、また竜神山の現状に触れることで、人の暮らしの原点を振り返る、いいきっかけになるに違いない。