【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い(後編) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い(後編)

オピニオン ボイス
【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い
  • 【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い
  • 【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い
  • 「プレイングワーカー」として二足のわらじで活動する星翔太(バルドラール浦安)
  • Fリーグ・バルドラール浦安の星翔太
  • Fリーグ・バルドラール浦安の星翔太
  • フットサルブラジル代表との国際親善試合に出場した星翔太(右) 参考画像(2012年10月24日)
  • フットサルブラジル代表との国際親善試合に挑んだ日本代表  参考画像(2012年10月24日)
フットサルのトップリーグ「Fリーグ」(日本フットサルリーグ)に所属する選手の多くは、マイナー競技ゆえに他の仕事をしながら競技生活を送っている。

Fリーグのバルドラール浦安に所属し、2009年からフットサル日本代表に名を連ね、2014年から代表キャプテンを務めた星翔太選手もそのひとりだ。

2016年9月から株式会社エードットでインターン活動を開始し、人材育成プロジェクト『Playing Worker(プレイングワーカー)』を始動させた。スポーツと社会との関わり、発展などを考え、アスリート自らが仕事を作っていけるようにするプロジェクトだ。

社会への新しい入り口を作るために、まず自分自身がプレイングワーカーとなった星選手。インタビュー後編では、スペイン時代の話、プレイングワーカーに対する気持ちを聞いた。(聞き手はCYCLE編集部・五味渕秀行)

【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い(前編)

星翔太選手
写真提供:バルドラール浦安

■スペインでは助っ人外国人、プレッシャーも感じた

---:星選手は早稲田卒業後、2009年にバルドラール浦安に入団。翌年はスペイン1部リーグに移籍していますね。その経緯は?

星翔太選手(以下、敬称略):その年の監督がスペイン人監督だったんです。代表監督もスペイン人だった。スペイン遠征に代表で行くことができたりして、そこでオファーの話があったので決めました。(契約の)年数とかより、自分がまず行きたいところに行ける状況を逃しちゃいけないなって思ったので。

---:スペインは何シーズン行っていたのですか?

星:1シーズン半ですね。1シーズン戦って、2シーズン目の前半戦を戦って、冬のマーケットで移籍しました。

---:日本とスペイン、フットサルの違いは感じましたか?

星:まず観客が違う。(向こうはフットサルが)文化ですよね。彼らは土日に何もすることがない、極端な言い方ですけど(笑)。東京だったらちょっと出かけたらディズニーランドがあったり、いくらでも遊ぶ場所はありますけど、スペインは土日にお店が閉まっちゃってどこにも行くことができない。

そういうなかでどこ行くのっていったら、地元のサッカーチーム、フットサルチームの所。そういった部分で応援してくれる人がより身近だし、街で応援してくれている印象がすごく強くて。あとはブーイングであったり、僕ら『チノ』と呼ばれるんですけど。

---:チノ?

星:チノって中国人の意味なんです。スペインで最もいるアジア人が中国人みたいなんですよ、ショップとかもあるので。僕ら(日本人)も目が細いから「チノ、チノ」って言われるんですけど、それが印象的で。

あとはピッチで助っ人外国人みたいな。彼らが(自分たちを)お金を払ってでも獲りたいと思っている。日本国内にいるブラジル人と同じ扱いですよね。チームからのプレッシャーを感じることは多かったですね。

---:星選手がスペインにいた時期は、他にスペインでプレーする日本人選手はいましたか?

星:僕が初年度いたときは、もうひとり同じチームに日本人がいました。スペイン1部リーグで2シーズンぐらいプレーしていた高橋健介さん(現バルドラール浦安テクニカルディレクター)。今も吉川智貴選手(元名古屋オーシャンズ/現マグナ・グルペア)、深津孝祐選手(元バルドラール浦安/現リオス・レノバブレス・サラゴサ)がプレーしています。2部にも何人かいます。

---:サッカーと比較したら、ヨーロッパでプレーしている日本人選手は少ない?

星:そうですね。(スペインと比べて)イタリアはすごくいるみたいです。セリエAではないと思いますが。

---:スペインから日本に戻ったのはなぜですか?チーム側の都合?

星:僕自身が決断したのもありました。そのときは結婚していて子どももいて、あとは経済的状況がスペインも決して良いわけではない。初年度は8カ月給料未払いとかもありました。そのなかでずっと居続けるのは無理だなって。

他にも自分のなかでこれぐらいの試合感で、これぐらいの感覚を身につけたいというのがある程度明確になって。あとワールドカップがあったのが大きかったです。2012年にカズさん(※1)も出たワールドカップですが、通用する部分、通用しない部分がはっきりしました。

※1:J2リーグ・横浜FCの三浦知良選手。2011年にFリーグ・エスポラーダ北海道に登録している。

それで海外は挑戦する場ではなく、結果を残す場みたいな感覚になっていた。助っ人外国人として行かなければいけないという思いもあったので、それを身につける場として日本のほうが適していると感じました。日本のFリーグの環境をより良くして、日本人選手がもっと活躍しないとダメかなというのもあった。

2012年、フットサル日本代表の集合写真。後列の9番が星翔太選手、11番が三浦知良選手
(c) Getty Images

あとはバルドラール浦安の社長から「いい加減戻ってこいよ。うちのチームを強くしてくれ」というのもあったので(笑)。それは間違いなく僕を後押しして、一番の要因ですね。それだけ熱意をもって誘ってもらえたら、黒田選手(※2)じゃないですけど、人としてイヤな思いはしないですし。

※2:元プロ野球選手の黒田博樹氏。投手としてメジャーリーグで活躍後、2016年に古巣の広島カープで国内復帰。セ・リーグ制覇に貢献し、惜しまれつつも引退。

■Fリーガーの大半は二足のわらじで選手活動

---:さて、プレイングワーカーについてですが、具体的に動き出したのは最近なんですよね?

星:(2016年)9月にエードットのインターンに入らせていただいて、そこから名刺の渡し方、電話の掛け方っていうのを全部学ばせてもらって…(笑)。

(プレスリリースの作成やメディアプロモートといったPR活動をすることによって)初めてメディアを通じて、今までフットサルを知らなかった人にも伝えていけると実感しました。それに、プレイングワーカーはこういうこともできるんだよ、こういうこともやると自分の道も見つけやすいよねっていうのを他の選手たちにも表現できるなと。

プレーでも一緒だなって。プレーヤーとしての考え方が仕事にも生きてくると感じていて、逆も同じだと思う。仕事が整理されてくれば、ピッチで出すパフォーマンスであったり、言葉だったり、大きく変わります。

---:Fリーグの選手は、本業の仕事をしながらプレーしている選手がほとんどですか?

星:はい、多くの場合は。たぶん完全プロは名古屋オーシャンズという、Fリーグ10シーズン目ですけど9連覇しているチームです。ずっと名古屋が優勝しています。今はシュライカー大阪が首位ですけど(2016年12月現在)、大阪もかなりプロに近い環境。バサジィ大分もプロに近いです。

---:感覚で言えば実業団プロみたいなものですか?

星:そうですね。名古屋オーシャンズはJリーグに近いプロと思ってもらっていいんですけど、大阪や大分は企業プロ。集客はそれほど重要じゃない印象です。

関東圏にそういうチームは一切なくて、各チームプロ選手何人かいるかどうか。あとはゼロベースで、両立をしている人が多いですね。フットサルをやっていて、僕らのチームだと夜9時~11時の練習なので、日中はスクール(のコーチの仕事)をお昼過ぎからやって、という人が多いかな。(スクールが終わったら)そのまま練習に来て。

午前練習やっている人たちも午後スクールやって、夜休んで。普通にサラリーマンしてますって人は聞かないですね。

---:みなさん、二足のわらじなんですね。そこにプレイングワーカーがつながる?

星:つながると思います。よく耳にするセカンドキャリア=第二の人生ではなく、僕らの人生はずっとつながっているので、プレイングワーカーとしてキャリアを積んでいくべきです。また現実問題、セカンドキャリアでアスリートを受け入れる企業は少ないとセミナーなどで言われています。

(セカンドキャリアを考える上で)もっとも大事なのは、アスリートが社会に入る資質があるのかどうか。そういった部分で、生徒に初めからリスペクトされるスクールコーチよりも、(自分の意見が正しいかどうかは別として)インターンとして1回でもいいので企業で勤めてみて、名刺の渡し方やあいさつの仕方、営業として資料をどう作るかとか、グループはこういう風に動くんだという仕事の流れを学ぶことが、長い人生を考えたときに必要だと思います。

そこに対してどういう風に動いていけるかという所では、まだそんなに目が向いていない。そこをどんどん良くしていきたい。プレイングワーカーは現役アスリートの新しい動きなので、挑戦しがいもあるし。

もちろんスクールコーチだけでもいいんですけど、プレイングワーカーとして勤めたことをきっかけに企業に就職しようとか起業しようとか、自分で人生の幅を広げて選択できるようなアスリートを増やしていきたいです。

星翔太選手が作ったプレイングワーカーのイメージ写真

---:星選手は自分自身も含めて、プレーヤーたちの未来の居場所探しを提案する感じでしょうか?

星:そうですね。ライフスタイルというか、新しい向き合い方を提供していきたいです。フットサルだけに限らず、スポーツ界全体に。

---:今後も選手として、またプレイングワーカーとしてフットサルに関わっていきますが、フットサルを続けてきて良かったことは何ですか?

星:実は、フットサルをやっていて「不幸だね」って言われることがすごく多いんです。でもそれは僕にとってネガティブな言葉じゃなくて。フットサルを始めたことで、常に問題に当たることが多い印象があるからですね。

サッカーはカテゴリーがしっかり整備されているので、ダメだったら落ちる(諦める)だけじゃないですか。でもフットサルは目指そうと思えば、いつまでも目指せる。海外も間口が広がっていますし、接しやすく続けやすいスポーツだと思うんです。サッカーだったら問題があったら下に落ちてしまうんですけど、僕らの世界はまだ整備されていないので、問題を乗り越えられる可能性がたくさんあるんです。

(うまくいかない問題や課題に対して)ぶつかってただやっていく選手もいますけど、僕の場合は課題にぶつかったことでいろんな考えを持つことができました。ピッチと普段の生活はつながっているとも思いますし。いろんな視点を持ち、思考することができるようになったのはフットサルをやっていて一番感じることです。考えて行動するというのが、よりつながってきた。小さな社会を学ぶ場ですね。

フットサルは楽しいです。恵まれていない環境で、どう成功していくのかを考えることが多かった。人を納得させるだけの理由を作らなくちゃ、結果を残さなくちゃいけないというのを常に考えていたので、あとは自分のない能力をどうやって最大限出して、代表に選ばれて、世界で活躍するという目標を実行するのが楽しかったです。そういったものをフットサルから学びました。

---:最後に、選手として2017年の目標は?全部で何試合あるんですか?

星:1シーズン33試合とカップ戦があって、40試合いかないぐらいですね。来シーズンは…フルで戦いたいです。全試合出場を目標にしたいですね。


ケガにより選手登録を抹消されていた星選手だが、2016年12月21日にバルドラール浦安より再登録が発表された。年末に練習試合に参加し、1月7日に浦安市総合体育館で行われるヴォスクオーレ仙台戦から公式戦復帰の予定だ。

●星翔太(ほし しょうた)
1985年11月17日生まれ、東京都出身。バルドラール浦安所属。暁星中学校サッカー部時代に全国制覇。一般入試で早稲田大学スポーツ科学部に入学。フットサルでは20歳で日本代表に選出。関東フットサルリーグのFUGA MEGURO時代は2009年に全日本選手権優勝を経験し、同年にバルラドール浦安に入団。2010年スペイン1部リーグに移籍。その後スペイン、カタールのクラブを経験。2012年ワールドカップ日本代表選出、2012、2014年アジア選手権を連覇するなど国際大会の経験も豊富。
《五味渕秀行》

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