自動運転の普及…「運転車が感じるワクワク」がなくなった時に問われること | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

自動運転の普及…「運転車が感じるワクワク」がなくなった時に問われること

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日産自動車 モビリティ・サービス研究所 エキスパートリーダー上田哲郎氏
  • 日産自動車 モビリティ・サービス研究所 エキスパートリーダー上田哲郎氏
  • 日産自動車 モビリティ・サービス研究所 エキスパートリーダー上田哲郎氏
 「NISSAN×DeNA 車は、モノ<プロダクト>なのか、コト<サービス>なのか。当事者から見える風景を語る。」というイベントが8月31日、都内で開催された。内容は人工知能による自律運転がもたらす未来についてだが、企業としてのビジョンを語るというより、現場の研究者・エンジニアによるカジュアルな発言もでるトークセッションとなった。

 最初に登壇したのは、日産自動車 モビリティ・サービス研究所 エキスパートリーダー上田哲郎氏。まず上田氏は「いまの自動運転技術でも、手放し(Hands-off)運転が可能な状態は比較的すぐにやってくるが、目をつぶって(Eyes-off)、つまりドライバーが何もしないでいい状態はまだしばらく時間がかかる」と話した。

 なお、ここでいうHands-offの車は、すでに一部の車種で搭載さてれているインテリジェントな速度制御(クルーズコントロール)や車線維持機能(レーンキープ)で、ほぼ技術は確立されているものだ。カメラやレーダーなどで周辺状況を認識し、ブレーキ、アクセル、ハンドルを的確に操作する機能はどのメーカーも実用化している。あとは、周辺状況の認識の精度をいかに上げるか機械学習やディープラーニングのチューン次第ともいえる。

 現状は法的な問題もあり、手放しで運転することはできない。高速道路や渋滞中など、車に運転を任せられるような状況において、ドライバーはどういう状況に置かれるかというと、「運転はしなくてもいいが、寝ることはできない状態」だ。運転の楽しみというのは、それを思いのままに操る、動いてくれることだとしたら、自動運転が進むと「思いのまま」の「思い」がなくなってくる「Mind-off」の状態になるのではないかと上田氏はいう。

 Mind-offで運転できるようになると、車そのものを再定義(Re-defined)しなければならない。運転することにワクワクやドキドキがなくなるならば、それに代わる機能が必要だ。上田氏は、車をモビリティサービスとしてとらえた時、どんなワクワクが提供できるか考えたという。例えば、エスプレッソマシンを搭載して、運転しながら好きな時にコーヒーが飲める車。メーターパネルをタブレットに置き換え、車の状態をグラフィカルに表示する車。さらに、JavaScriptという簡易的なプログラミング言語で、メーター標示、灯火類、さまざまな動きを制御できるようにした車。

 上田氏は実際に研究所でこれらの車を試作して、次世代の車を考えているという。そのなかで、感じているのは、「車がモノからコトに変わっていくのなら、自分にとって究極なコトは、自分でコト(体験)を定義できることではないか」だと問いかけた。

 つまり、「次世代の車・モビリティは再定義(Re-define)されるのではなく、ユーザーが再定義可能(Re-definable)なものではなくてはならない」という主張だ。上田氏が描く次世代モビリティは、単なる自動運転カーではなく、それがもたらす変化をも見据えたビジョンを反映したものであるようだ。

自動運転の普及で、“運転車が感じるワクワク”がなくなった時に問われること

《中尾真二@RBBTODAY》

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