【澤田裕のさいくるくるりん】GPSの走行記録を頼りに、自転車道の痕跡をたどる | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【澤田裕のさいくるくるりん】GPSの走行記録を頼りに、自転車道の痕跡をたどる

オピニオン コラム
かつての奥松島自転車道で、最も景色を楽しめた区間。今は立ち入ることもできない
  • かつての奥松島自転車道で、最も景色を楽しめた区間。今は立ち入ることもできない
  • 松島の観光名所となる五大堂。海に面しているにもかかわらず無傷だった
  • GPSに表示される走行記録(青い線)に従って更地の中を進む
  • 「かんぽの宿松島」は閉鎖を余儀なくされ、解体工事が進んでいた
  • 営業していた頃の「かんぽの宿松島」
  • 旧野蒜駅近くで見つけた自転車道の跡。道幅の狭さからそれと判明
  • 震災前の自転車道。GPSの記録から、ほぼ同じ場所と思われる
  • 旧野蒜駅の構内には、津波の浸水深(3.7m)が示されている
2009年に自転車雑誌の取材で走行した奥松島自転車道は、その1年半後に現地を襲った東日本大震災の津波により、壊滅的な被害を受けました。クラブの催しで近くを訪れることになった8月最後の週末、GPSに残された当時の走行記録を頼りに、その痕跡をたどってみました。

東北新幹線から仙石線に乗り継ぎ、降り立った塩釜駅。ここは自転車道のルートからは外れているものの、「人口あたりの店舗数が日本一」のうたい文句に引かれて食べた寿司の、そのおいしさが忘れられずの再訪です。駅近くの寿司屋に入って握りを注文。この寿司屋も震災のときは、天井近くまで浸水したようです。

食後に向かった松島は以前と変わらぬにぎやかさで、観光名所の五大堂も軽微な被害を受けただけ。記憶に違わぬ景色を見る限り、震災があったことを忘れてしまいそうです。ここから国道45号と県道27号(東松島パークライン)を10kmほど東進したところで、GPSの表示に従って枝道へと分け入りました。


GPSに表示される走行記録(青い線)に従って更地の中を進む

すると2009年とは進行方向が逆とはいえ、目の前に広がる風景が記憶とは別物へと変貌。100mほど先で渡った橋の青い欄干には見覚えがありましたが、田んぼの中に民家が点在していた風景はそこにはなく、荒れた草地が広がるのみ。遠くに見える民家も、震災後に建てられた真新しい物ばかりです。沿道の墓地には碑が立ち、そこには老若男女およそ140の名が刻まれていました。

ときどき立ち止まって写真を撮ってはみるものの、自身の記憶と重なるものが見つかりません。自転車道そのものも寸断されており、そのたびに迂回を余儀なくされました。かつての走行ルートを示したGPSがなければ、どう進めばいいのか途方に暮れたことでしょう。

ここが本当に7年前のあの場所かと、記憶の不確かさに気持ちが揺らいでいたところ、ようやく記憶と結びつく風景に出合えました。それが当時の外観を残した「かんぽの宿松島」。ただしここも震災によって閉鎖を余儀なくされ、今は解体工事が進んでいます。


「かんぽの宿松島」は閉鎖を余儀なくされ、解体工事が進んでいた

そこから1kmほど進んだところで見つけたのが、写真にある自転車道の跡。荒れた舗装路面は砂をかぶり、雑草も生い茂って当時の面影はありませんが、自転車道だったことに間違いはありません。ただ、この道の復活はおそらく無理。復興が進んだ暁には、このかすかな痕跡も姿を消すはずです。


旧野蒜駅近くで見つけた自転車道の跡。道幅の狭さからそれと判明

県道に戻ったところ、うまい具合にコンビニがあったので立ち寄ることにしました。中に入ると右手が野蒜地域交流センターとなっていて、震災前後の写真が掲示されています。この建物自体が仙石線の旧野蒜駅(陸前大塚駅~陸前小野駅間の高台移転に伴い、新野蒜駅に移設)であったことは、建物の裏手を見てわかりました。

自転車道はこの先、鳴瀬川に架かる橋を渡って石巻市の郊外まで続いていたのですが、宿のある古川まで走らねばならないため橋の手前で探索を断念。グーグルマップの航空写真で確認すると、沿道の大半は今も更地になっているようでした。

今回のコラムから、GPSの走行記録が追体験に有用だとおわかりいただけましたか?これは被災地にかぎらず、再開発で区画を整理したエリアの走行、はたまた江戸時代の旧街道を忠実になぞる場合などにも役立ちます。
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