4年後の自国開催の舞台で、自身の持てる力を発揮するべく、はるばる地球の裏側まで活動をしにやって来た若者たちの姿があった。20歳前半の学生、社会人総勢16名が中心となって活動する団体、「リオ五輪研修プロジェクト」だ。
【リオ2016】4年後の東京五輪で活躍するために、リオへ飛んだ若者たち…人力車、鍼灸師、薬学生らが現地で活躍https://t.co/ZaIKTBxxpa pic.twitter.com/si2Dm6ce5x
— CYCLE-やわらかスポーツ (@cyclestyle_net) 2016年8月22日
メンバーの一人、田中喬佑さん。リオの人々に人力車を用いて日本文化をアピールした。
いったいどういった思いからこのプロジェクトに参加したのだろうか。
「4年後に控えた東京五輪に、自分がどう関われるかということを考えた。そして、その舞台に関わるためには何かの大きな舞台でひと勝負しなければいけないと感じた。その大きな舞台となったのが、たまたまこのリオだった」
「自分にリオでなにができるか」ということを考えたときに、自身の経験から田中さんが考えたのは「人力車」を用いて世界の人々におもてなしをすることだった。
車椅子を改造した人力車で現地の人を「おもてなし」した、田中喬佑さん。 pic.twitter.com/RkNiznnFa4
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大学1年生の時にしたアメリカ留学で、日本文化を知ることの必要性を強く感じた田中さんは、帰国後浅草で人力車を引き始めた。およそ4年前のことだ。
「1964年を越す東京五輪をつくるには、今までと同じことをしていても意味がない。自分が学んできた『おもてなし』が世界にどこまで通用して、東京五輪にどう応用できるか挑戦したい」
実際に人力車でアピールをするにあたって、障害となる点は複数あった。まずは法律の点。正規のサイズの人力車を持ち込むには、道路交通関連の懸念をクリアする必要があった。そこで田中さんは、変形させることによって人力車の役割を果たす車椅子を代用することにした。
車椅子が、人力車に変形! pic.twitter.com/PKgg7HM7LK
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「お金はいらない。リオにいる人にまず人力車で楽しんでもらう。『こんな文化があるんだよ、東京には』とアピールして、人力車に乗った人に『次の東京に行ってみようかな』と思わせることができればひと勝負できたかな、と思っている」
東京五輪に向けて、すでに計画も勧めている。
「東京五輪の開会式で人力車で登場したり、東京の会場区間を走らせる計画を考えている。特に、江ノ島駅から競技会場まで往復すると5kmくらいある。この区間に人力車を走らせたい」
東京五輪に向けて、若者たちはなにができるのか。今回の「リオ五輪プロジェクト」を発足した橋本氏らと共にスポーツ分野における若者の活躍をサポートする業務などを行うAscenders株式会社を立ち上げた田中さんは、様々な可能性を模索している。
今回も、日本文化や、東京五輪の魅力を紹介するジャパンハウスにも半年以上前から人力車の文化を紹介させてくれないか頼み込んだが、断られてしまったという背景があった。まだまだ、五輪という国家的舞台で若者たちが活躍する環境は整っていない。
「レガシーという言葉があまり好きではない。結局残るのは人だと思う。五輪を通して経験を得た人たちが、また20年後、舞台をつくっていく。そのために10代、20代が活動できる場所を率先してつくっていかなければいけない」