続く10000mでも28分07秒44と好タイムでトラックを駆け抜け、両種目でリオデジャネイロ五輪への切符を手に入れた。パロマ瑞穂スタジアムの出口が大迫を待つファンで埋まるほどの人気を誇っていた。
「海外でいつも切磋琢磨して練習してきたので3年目、4年目になっていきてきたのかと思います」とレース後に語った大迫。
所属していた日清食品グループ陸上部を2015年3月に退部。日清当時から練習に参加していたアメリカのナイキ・オレゴン・プロジェクトで本格的にトレーニングを始めた。
日本選手権は4年連続で2位(2012~2014年は10000m、2015年は5000m)に終わっている。これまで、5000mの日本記録を一気に5秒近く縮める13分08秒40で新記録樹立などの結果を残してきたが、日本選手権だけはどうしても勝てなかった。
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大迫傑選手 画像提供:ナイキ ジャパン
5年越しでつかんだ日本選手権初優勝。大迫は日本選手権を改めて振り返った。謙虚な話しぶりに覗かせる確かな自信。言葉を一つひとつゆっくり選んで慎重に発する。
「自分の戦略に徹しきれたのが良かったのだと思います。あまり周りを気にせず、自分のペースで上げて、自分のペースでゴールできた」
凄まじいレース展開だった。今まで紙一重で後塵を拝してきた大迫が、圧倒的な差をつけた。特に10000m。2位の村山紘太(旭化成)との差は約9秒。大迫が舞い上げた粉塵は、他の選手が通る頃にはすでに舞い落ちていた。
「スピード、メンタル。すべての面において昨年度より成長したので、どの面が特別にというわけではなく、全体的に成長したのだと思う」
確実に1位を狙いにいった。事前に練った通りのレースプランを展開した。
「5000mも10000mも(力を)出し切ったわけではないが、5000mの方がラストの力の出し方は良かった。レースを追うごとにラストの形は自分の目指すカタチに近づいてきたのかな」
「どれくらい他の選手に力があるかはわからなかったのですが、自分としては(頭ひとつ)抜けている感じがあったので、自分のペースで、他の選手には集中せず自分に集中した」
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