「夢はルマン」41歳の社会人レーサーがFIA-F4に初参戦 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

「夢はルマン」41歳の社会人レーサーがFIA-F4に初参戦

スポーツ 短信
中原英貴さんは、今季最終大会のもてぎでFIA-F4デビューを果たした。
  • 中原英貴さんは、今季最終大会のもてぎでFIA-F4デビューを果たした。
  • 有望な若手ひしめくFIA-F4。#24 中原さんのグリッドは2レースとも最後列(36台中35位)に。
  • 初レースが雨という厳しい状況に挑む中原さん。
  • 中原さんのカーナンバーは24。マシンのカラーリングは、どことなくアウディのレースカー的。
  • GT300をアウディで戦う藤井選手(左端)らが中原さんを激励。
  • レース後、スタッフと話す中原さん。
  • もてぎ大会は雨の戦いに。
  • 多くの台数が集まったFIA-F4初年度の2015年。#36 坪井翔選手(写真手前)が初年度のチャンピオンに輝いた。
SUPER GTのサポートレースとして開催されている「FIA-F4」の今季最終大会で、異色の新人といえる選手が初参戦を果たした。41歳の社会人レーサー、中原英貴(なかはら・ひでき)さんはアウディジャパンに勤める人物である。

アウディジャパンにおける中原さんの役職は、マーケティング本部ブランドプロモーションプロジェクトリーダー。アウディといえば、SUPER GTのGT300クラスやWEC(世界耐久選手権)のLMP1-Hクラスでの活躍で知られるようにレース活動盛んなブランドだが、中原さんは仕事で5年ほど前からモータースポーツを担当している。そのなかで、「見ているのもいいですが、やった方がもっと楽しいだろうと思って」というのが自身の参戦活動開始の動機。具体的には「仕事でルマン24時間レースを現地で見て、こんなに凄いスポーツイベントがあるんだ、ということを知り、自分も走ってみたい、と思いました」。

「3年くらい前からカートをやったり、FJ1600等に乗ったりしてきました」という中原さん。エコカー・カップ的なレースへの参戦経験はあるが、「公式戦というようなレベルでは今回のFIA-F4がデビュー戦ですね」。

FIA-F4は、若手登竜門のフォーミュラレースとして今季から日本でも始まったシリーズ。FIA(国際自動車連盟)の規格に基づいたワンメイクマシンで争われるシリーズで、欧州でも拡大化しつつある。日本ではSUPER GTシリーズの運営団体「GTA」が、SUPER GT国内7大会のサポートレースとしてシリーズを発足させた。若手を中心に大量エントリーを集め、国内レース界で新たなムーブメントを引き起こしているシリーズだ。

FIA-F4デビューの場は、ツインリンクもてぎでの今季最終大会(11月14~15日)。1大会2レース制のFIA-F4では土曜に予選と第1レース決勝(第13戦)が行なわれ、日曜に第2レース決勝(第14戦)というスケジュールになる。予選では各自のベストタイムで第1レースのグリッドを、セカンドベストタイムで第2レースのグリッドを決める。

学生時代にはトライアスロンを本格的にやっており、全国大会に出場したこともあるという中原さん。「体力や粘り強さ(精神面)には自信があります」。ただ、FIA-F4のマシンでの事前練習量は充分といえず、「まだドライビングスキルがついてきていません」と予選前に話していた。

社会人レーサーである以上、あくまで本業優先ということもあれば、資金的な問題もある。このあたりは当然つきまとう課題だが、レース直前の木曜~金曜の現地練習走行では「上位の選手から4~5秒落ちくらいのタイムは出せていましたし、ドライ路面なら、これくらい走るとタイヤのグリップが出るんだ、という感覚も自分なりにつかめていました」とも。

ところが予選日は雨。FIA-F4で初のウエット走行が予選ということになってしまった。そこで得た予選順位は第13戦、第14戦ともに36台中35位。有望若手選手ひしめくなか、順位そのものは木曜~金曜のドライでの練習と大きく変わらないが、上位とのタイム差は14~15秒に開いた(ドライでは上位の約104%のタイムだったが、レインでは約111%に)。

予選日午後の第13戦決勝もウエットコンディション。最後列からのスタートに「落ちついて、コースに残っていることが(経験という意味でも)重要だと思うので」との気持ちで臨んだ中原さんだが、スタート直後から前方でアクシデントが多発。「視界が良くないなか、最初に見えたのがこっち向いているマシンでした。避けるのに精一杯でしたが、なんとか冷静にいけたと思います」。序盤の混乱をくぐり抜け、1周遅れながら27位で完走。「完走できてよかったです」。

そして「明日も完走。できればひとつでもポジションアップを」との思いで挑んだ翌日の第14戦決勝も、やはりウエット路面でのレースを28位(1周遅れ)で完走した。「昨日よりは雨の量が少なく、視界も良かったです。ウエットでのグリップの出方がもっとわかってくれば攻められると思うんですが、とにかく滅多にできない経験ができました」。

あくまでも自身の情熱に導かれてのレース参戦であり、「大きな夢はルマンに出場することです」と語る中原さんだが、彼の場合もちろん本業への影響も、いい意味で出てくる。「SUPER GTの併催ですから関係者とのネットワークという部分はもちろんですけど、自分が実際にレースをすることで、レースに対するドライバーたちの視点が(ある程度は)わかると思います。今後、GT300へのR8の参戦が増えることも予想される状況ですし、クルマを速く走らせるための体制づくりや準備に自分の経験を活かせればいいですね」。

中原さんのような立場の人がより深くモータースポーツに接することは、アウディジャパンのモータースポーツ活動のみならず、モータースポーツ界全体の発展にも少なからず寄与するだろう。これはGT300のアウディR8ドライバーである藤井誠暢選手も同意してくれるところだが、実際、中原さんのスターティンググリッドにはアウディ陣営の選手やスタッフたちにとどまらず、多くの関係者が来訪、笑顔で激励の握手をかわしていた。そのなかにはMr. SUPER GTとも呼ばれる大物、脇阪寿一選手(GT500レクサス陣営)の姿も。

「仕事を通じて知り合ったみなさんの応援は本当にありがたいです。寿一さんには我々アウディジャパンの活動にも関心をもっていただいていますし、私がFIA-F4に出ると聞いて『じゃあ、グリッドに行きますよ』と言ってくださっていたんです」。脇阪選手はモータースポーツ界全体の盛り上げを常に考えている選手。コース上での戦いとは別の部分で、メーカーの枠を超えて「何か一緒にやれたらいいですよね、というような話を(個人的に)させていただいたりもしています」と中原さん。こういった絆から広がるモータースポーツ界全体にとってのいい部分は、間違いなくあるはずだ。

とはいえ、あくまで根底にあるのは、仕事やモータースポーツ界への波及効果ではなく、中原さん自身の熱意。藤井選手からは「初レースがフォーミュラの雨という厳しい条件下、完走しただけでも大したものです」という言葉も聞かれたが、中原さんは「納得できる結果ではありませんでしたけど、諦めずに頑張ります。このマシン(FIA-F4)でもっと練習して、来年はレースに出る回数も増やし、中団の順位までいけるようにしたいですね」。

そして前述したように、夢は大きい。「フォーミュラでしっかりした技術を身につけてからGTカーに乗って、夢の夢ですがルマン出場を目指したいと思います」。中原さんの挑戦、今後の展開にも注目したい。
《遠藤俊幸@レスポンス》
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