当日は全国から60人を超える会員だけでなく、大会の運営に当たる人たちなども集まりました。
同会の事務局を務める平本雅典さんは、1992年にセンチュリーラン十勝に参加。それまでレースで競っていた平本さんも、結婚を機に落車などの危険を伴う競技を続けるのが難しくなり、それで目をつけたのがロングライドというわけです。完走が目的だから誰でもがんばりが認められるし、なおかつ本気で取り組まないと制限時間内の完走は無理。ペース配分をどうするか、どこで補給するかといったゲーム性も有しています。
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会の結成以来、20年にわたって事務局を務める平本氏
初の参加で予想外の苦労を味わった平本さんは、このロングライドを続けようと愛好者の団体に入ろうとしましたが、それがどこにもありません。ないならば自分で仲間を集めて作ろうと、大会で参加者に声を掛けて会を結成。雑誌「サイクルスポーツ」に会員募集の記事が掲載されたことが契機となって、メンバーも増えていきました。
同会は多くのクラブとは異なる、いくつかの特徴を有しています。その1つがサイクルショップといった拠点を持たず、全国にメンバーがいること。結成当初はまだワープロが普及し始めたばかりで、大半の人は固定電話以外に通信手段を持たない時代。平本さんは自作のニュースを手紙で送り、連絡を取っていました。そして、今世紀に入ってからはメールマガジン「大王通信」を発行。それはほぼ週刊のハイペースで、通巻号数は1800を超えています。この通信は投稿が主体ですから、会員相互の交流という役割も果たしています。
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会場後ろのテーブルには、ロングライド大会のチラシが並んだ
大会参加の励みになれば…、これが平本さんの思い描いたイメージです。ですから1日に120km以上走る大会のうち12を完走した人を表彰する百哩走大王も、早い段階から導入されました。今では多くの大会で完走するごとにポイント(120km以上が1ポイントで、60km以上は0.5ポイント)が付与されるようになり、50ポイントを獲得した帝王や100ポイントを獲得した皇帝も現れています。160ポイントを獲得した大帝はまだですが、これも数年のうちに現れることでしょう。のみならず日本の端で行われる大会の完走者を表彰する東西南北賞、上位3つの湖を巡る大会の完走者を表彰する日本3大湖賞、佐渡ロングライド210(佐渡金山)と石見ライド(石見銀山)という2大会の完走者を表彰する金さん銀さん賞といったシャレの利いた賞も設けられています。落語好きな平本さんの、面目躍如といったところでしょうか。
会員資格を30歳以上に限定し、交通ルールの厳守や開会式など式典への参加を求めていることも他に類を見ません。メンバーの大半は愛好者、つまり参加する側ですが、大会の維持発展を運営する側に任せてよしとするのではなく、それが両者の共同作業であるという確たる自覚を持っているためです。だからこそ先日の集まりには、大会の運営に当たる人たちも多く参加したのでしょう。