【全日本大学野球】4種類のストレートを操る「大竹2世」 濟々黌→鹿屋体大の頭脳派右腕・森田希夢 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【全日本大学野球】4種類のストレートを操る「大竹2世」 濟々黌→鹿屋体大の頭脳派右腕・森田希夢

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【全日本大学野球】4種類のストレートを操る「大竹2世」 濟々黌→鹿屋体大の頭脳派右腕・森田希夢
  • 【全日本大学野球】4種類のストレートを操る「大竹2世」 濟々黌→鹿屋体大の頭脳派右腕・森田希夢

阪神タイガースに移籍し、5月までに6勝無敗と大活躍の大竹耕太郎。「彼の大学時代を思い出した。130キロ台の直球を詰まらせるあたりがそっくり」と関係者も舌を巻く投手が、神宮球場のマウンドで躍動した。

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■阪神・大竹耕太郎をほうふつとさせる

140キロ前後の速球に90キロ台のスローカーブを織り交ぜる 撮影:安藤嘉浩

最速は144キロというが、140キロを超える速球は決して多くない。90キロ台のスローカーブを絶妙に織り交ぜるところも、大竹をほうふつとさせる。

第72回全日本大学野球選手権大会(6月5日開幕)に初出場し、2勝を挙げた鹿屋体育大学(九州地区大学南部)。その原動力となった2年生右腕の森田希夢(もりた・のぞむ)だ。

2回戦では、31回目の出場で日本一4度の強豪・近畿大学(関西学生)を相手に、4安打1失点完投という快投をやってのけた。

「あれは打てない。同じボールを絶対に続けないんだから」と舌を巻いたのは、その投球を一番近くで目撃した球審だ。「近大の打者は迷っていた。迷いながら打っている感じだった」と試合後、関係者に語ったという。

「大竹もそうだったんだよ」と話したのはアマチュア野球審判員OBの1人だ。大竹が早稲田大学時代に投げた試合で、球審を務めた経験がある。

「130キロぐらいの直球にバッターが振り遅れる。ボールの出どころが見えにくいのもあるが、何より緩急の使い方と低めへのコントロールが抜群だった。森田投手も同じだね。90キロ台のカーブも、低めのいいところに決まっていた」。

■濟々黌高校の先輩をお手本に

大竹は身長184センチ左腕、森田は174センチ右腕という違いはあるが、ここは「大竹2世」と呼ばせてほしい。

なにより、森田は熊本県立濟々黌高校(せいせいこう・こうこう)の出身だから、大竹の後輩になる。

森田本人が打ち明ける。

「小学3年生のときに濟々黌が甲子園に出て、大竹さんの投げているのを見ました。それ以来、ああいうピッチャーになりたいと思って濟々黌に入りました。目標の人、お手本です」。

昨年オフの現役ドラフトで福岡ソフトバンクホークスからタイガースに移籍し、大活躍する先輩のピッチングを、今もチェックして参考にしているという。

準々決勝で敗退したが、これからが楽しみな森田希夢 撮影:安藤嘉浩

近大戦のピッチングを振り返ってみよう。

森田は、その2日前(5日)にあった高知工科大学(四国地区大学)との1回戦にも先発し、6回を10安打3失点という内容だった。 「その疲労感もあった」という近大戦の立ち上がりも、決して本調子ではなかった。1死から右中間三塁打を打たれ、自らの失策もあって、いきなり1点を失った。

野球人生で初めてという全国大会。しかも相手は強豪校だ。「甲子園で見た選手ばかりで…。緊張してしまった」と苦笑する。ただ、ここで気持ちを切り替えることができたという。「バッターが打ってくれるのを信じてストライク先行でいこう」と開き直った。

後続を断って1回を1失点で切り抜けると、味方打線が2回に2点をとって逆転してくれた。3、4回にも1点ずつ追加し、4-1とリードを広げる。

一方の森田は、2回から6回まで近大を内野安打1本に抑える。この間、四死球なし。3ボールになったのも1度だけだった。緩い変化球を泳がせ、速球を詰まらせる。近大の強力打線を完全に手玉にとった。

■4種類のストレートを投げ分ける

試合後の取材で、その投球術の一端を話してくれた。

「100キロぐらいのボールはスローカーブです。1回戦ではチェンジアップを投げるときに、腕の振りが緩んだので、今日はストレートより腕を振るようにしました」。

「大学に入ってからカットボールを覚えました。同級生の小川(慶士=2年、広島国泰寺)に教えてもらいました」。

ぼくが最も興味深かったのは「球速感を変化しながら投げる」という表現だった。 「例えば直球なら、どう変えるの?」と質問すると、「ストレートは4種類あります」と教えてくれた。

「上から投げるストレート、斜めから投げるストレート、ストライクをとるストレート、それとチェンジアップより少し速いストレートの4種類です」。

球速にすると、順に140キロ前後、130キロ台前半、130キロ前後、120キロ台前半という感じだろうか。

4種類のストレートを投げ分ける森田希夢 撮影:安藤嘉浩

9回2死一、二塁のピンチで、近大の1番坂下翔馬(4年、智弁学園)を二塁フライに打ち取った一球も、斜めの腕の振りから投じていた。決して速い球ではなかったが、左打ちの好打者を完全に詰まらせた。

「その4種類のストレートは、捕手のサインで投げ分けるの? それとも同じサインなの?」とも聞いてみた。

「サインは一つです。状況や打者の様子に応じて、自分の判断で投げ分けています」。

■レジェンド桑田真澄のような投球術

森田の話を聞いて、ある名投手の話を思い出した。

読売ジャイアンツのエースとして活躍した桑田真澄さんだ。桑田さんはPL学園高(大阪)時代に甲子園通算20勝という伝説の投手だが、当時はストレートとカーブの2種類しか投げなかった。「将来プロに進むためにも高校時代は、この2つで勝負しようと自分で決めた」という。

甲子園での通算奪三振数1位を誇る桑田真澄 ピッツバーグ・パイレーツでも活躍した 2007年6月24日 (C) Getty Images

「本当にストレートとカーブしか投げなかったんですか?」と聞いたことがある。

「そうですよ、うそじゃありません」。

桑田さんは柔らかな笑顔と口調で答えてくれた。

「いいですか。ストレートと言っても1種類とは限りませんよ。速いストレートもあれば、遅いストレートもある。ぼくはプレートの踏む位置も変えていましたからね。そういう工夫をすれば、ストレートを変化球にすることができるんです」。

森田も大学卒業後はプロか社会人で野球を続けたいという。

「そのあとは指導者になりたいと思っています。体育の教員免許は、もちろん取得します」。

翌8日の準々決勝は白鷗大学(関甲新学生)に3-4で惜敗し、鹿屋体大の快進撃は終わった。2回戦で136球を投げた森田がマウンドに上がることはなかった。まだ2年生。最後はヘルメットをかぶってブルペンの前に立ち、投球練習をする仲間を守る役をしていた。

「私たちの野球が東京でいろいろな人の目に触れたのはよかったと思います。1回で終わらせず、来年もここに帰ってこられるようにしたい」。藤井雅文監督は笑顔で誓った。

森田の投球術がさらに進化していくのも楽しみにしたい。

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著者プロフィール

安藤嘉浩●(株)文化工房スポーツライター・プロデューサー

1965年、岐阜市生まれ。岐阜高校、立教大学を卒業後、朝日新聞社入社。スポーツ部記者、デスク、編集委員として、高校野球の取材・大会運営に約30年携わる。高校野球名勝負物語「あの夏」(朝日新聞出版=上下巻)のメインライターを務め、「全国高校野球選手権大会100回史」の企画・編集も担当した。柔道・プロ野球も長く取材し、2004年アテネ五輪では日本の金メダル16個のうち12個に立ち会う。2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシックも現地で取材した。東京六大学野球オフィシャルガイドブックでコラム「神宮凱歌」を連載中。

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