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今年も大物選手がフリーエージェント(FA)の権利を行使、国内の他球団と合意した選手も、ポスティング・システムを活用して大リーグへの移籍希望を容認された選手もいる。まだ交渉の過程なので、契約には至らないこともあるかもしれない。
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■ポスティングとFAの歴史
約30年前までのプロ野球では意にそまない球団でプレーをする選手も、逆に居心地のいい球団からの移籍を命じられていても、「いやならやめる」ほかに道はなかった。
ポスティングシステムは、近鉄バファローズの野茂英雄がロサンゼルス・ドジャース入り、千葉ロッテ・マリーンズの伊良部秀輝がニューヨーク・ヤンキース入りするなどのケースが起き、MLBとNPBが協議の上1998年に生まれたもの。FAはほかの多くの制度と同様にアメリカで生まれて日本が遅れて採用、日本では1993年オフに初めてFAが導入された。第1号は当時、阪神タイガースに在籍時の松永浩美で福岡ダイエーホークスへ。このオフには中日ドラゴンズの落合博満が読売ジャイアンツへ。巨人の駒田徳広が横浜ベイスターズへ。オリックス・ブルーウェーブの石嶺和彦が阪神へと移籍し、先鞭をつけた。
以前は大リーグでも選手は自分の意志と関係ないところで商品のように扱われ、他球団に移籍することがあった。トレードということばに、モノと扱われていることが表れている。
FA制度ができるまでには、セントルイス・カージナルスのカート・フラッドが球団が決めた移籍を不服として最高裁まで争った「カート・フラッド事件」(1969年)、ロサンゼルス・ドジャーズのアンディ・メッサースミスが契約なしのまま1シーズン登板するなど選手たちの苦闘の歴史があり、選手組合の専務理事だったマービン・ミラー(日本の選手会長とは違い、大リーグの選手だったわけではない)の尽力の末に勝ち取ったもの。メッサースミスは、MLBにFAを導入した選手としても球史に名を残した。1976年の出来事だった。
日本のこの制度も、資格などの違いはあるが行使するには選手の実力が必要で、資格を得た選手がよく「自分で勝ち取ったものだし、他球団の評価を聞いてみたい」ということばを口にする。
球界関係者や一般のファンの感想はどうなのだろうか。
■世界の盗塁王移籍に涙した少女
過去の選手たちが苦労して勝ち取った制度に、実力のある今の選手たちが乗る分には何も疑問もないが、そうした選手たちが去ったあとに残されたチームとその球団のファンの思いがあまり語られてないように思う。
アメリカはなんでもビジネスライクにことが進むと思う人は多いかもしれないが、大物選手が去るとき子どもたちのファンの気持ちは考えているのだろうかと私は思う。私のアメリカ勤務時代、1993年にリッキー・ヘンダーソンがオークランド・アスレチックスから移籍するときにオークランドの少女が泣く姿がテレビで映し出されたことがあり、私もそれを見てもらい泣きをしてしまった。
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主にオークランド・アスレチックスで活躍した世界一の盗塁王リッキー・ヘンダーソン (C) Getty Images
ヘンダーソンは94年、1シーズンだけトロント・ブルージェイズでプレー。95年からアスレチックスに復帰した。シーズン130盗塁、通算1406盗塁のメジャー記録を持つ世界の盗塁王は移籍のたびに実に3度アスレチックスに復帰した。
自分がこの少女の年齢だったときに「王貞治」が巨人を去るなど考えもしないことだった。また巨人もいわゆる「ON」(王、長嶋茂雄の頭文字からそう呼ばれた)を手放すことなど夢にも思っていなかったと思われる。しかし今はそういう球団の宝というべき選手も簡単に去ってしまう。
シーズン中に「自分の成績よりもチームが勝てばいいのです」という選手もオフになるとチームを去っていく。
アメリカでも日本でも、FA制度だけが原因だという気はない。しかしこれが導入されて以降、野球はゆっくりと人気ナンバーワンのスポーツから陥落していっているのではないかという気がする。
■残されたチームは下位に低迷
ファンの思いとは別に、球団としては戦力にも大きな影響が出るのは避けられない。松井秀喜が去った後の巨人はいろいろな補強で最小限のダメージですんだが、イチロー、佐々木主浩、田中将大、大谷翔平が去った後のオリックス、ベイスターズ、西武ライオンズ、東北楽天イーグルス、北海道日本ハム・ファイターズなどは低迷の時期が待っていた。
イチローのメジャーデビューは2001年。1995年、96年とパ・リーグを連覇、96年には日本一に輝いたオリックスはイチロー移籍翌2002年から3年連続最下位。1998年に優勝を果たした横浜は、佐々木が2000年にメジャーに移籍すると2002年からやはり3年連続最下位に。田中が2014年にヤンキースでデビューすると、前年日本一チームだった楽天も2年連続最下位に。大谷翔平が2018年にメジャーデビューすると、日ハムも19年から3年連続5位。22年も最下位だった。
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球団初日本一に貢献した田中将大はヤンキースへ (c)Getty Images
大谷が華々しくロサンゼルス・エンゼルスで活躍し、日本中は沸きに沸くが、日ハム・ファンの本心はいかばかりだろうか。そのたびにファンは気持ちよく送り出すようなコメントが多く、ヘンダーソンのファンのような嘆きの言葉はあまり聞かれなかったのだが、ほんとうはどうなのだろう。「チームが勝てばいいといつもいっていたのはうそだったの」と泣く少年少女はいないのだろうか。
こういう選手たちのためにできた制度が実はその恩恵を享受するのが一部の主力選手たちに限られているのも気になるところだ。悔しかったら実力で勝ち取ってみろということなのだが、本来の趣旨はどうだったのだろう。
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著者プロフィール
篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授
1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。