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【スポーツビジネスを読む】日本ラグビーフットボール協会谷口真由美・元理事 “承” 聖地・花園で育ったプリンセス・オブ・ラグビーが再びその道をなぞるまで

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【スポーツビジネスを読む】日本ラグビーフットボール協会谷口真由美・元理事 “承” 聖地・花園で育ったプリンセス・オブ・ラグビーが再びその道をなぞるまで
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聖地・近鉄花園ラグビー場で育った谷口真由美さんは、「ジェンダー規範でいうと男らしさの煮詰まったところ」でティーン時代を過ごしてきた。それゆえに周りの選手たちから、みんなから女性として大事にされて育った。それは大阪でいうところの「ごまめ」という立場だったかもしれないと振り返る。だが大学進学後、「女のくせに」と吐き捨てる場面に遭遇。対等な人間として対峙した時に「女のくせに」と言われることがあるのか…と、びっくりしたという。

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■父・龍平さんの教え、「迷った時は弱いほうの味方をしろ」

父・龍平さんには、幼少期から「積極的に責任感を持って生きろ」「喧嘩は負けたまま帰ってくるな」「迷った時は弱いほうの味方をしろ」と教えられた。兄には厳しかった龍平さんだが、女の子だからやはり大事にされた。ただし、どちらかの味方をする際は、いじめられているほう。多数と少数なら少数派、男と女なら女……強いほうは放っておいても強い。弱いほうの味方をしたら、一緒にいじめられるかもしれん。それを跳ね返す強さを持てと教えられた。

この教えを心に勉強を始めると、特に日本では女性のほうが地位が低いことがよく理解できた。「当時は女性社長や女性会長などほとんどいなかったですし、女子スポーツも目立たなかった。女子のラグビーもほぼありませんでした。最近、女子ラグビーのレジェンドの方々が協会からも表彰されましたが、黎明期の方々は大変な思いをされたと思う。男子でも大変だったので、いわんや女子なんて……社会的立場の低い方々の味方になりたいとそっちの勉強にハマって行き、難民支援、乳幼児支援などを念頭に国連職員になりたいと思ったんです。大学教員になるつもりはまったくなくて(笑)」。

自身の進路を考える中、海外で知識人として扱われるためには最低でも博士号、PhDが必要と考えた。国連で働くための最低条件、最短ルートはそれと考えたからだ。大学時代の恩師に女性差別撤廃条約の第一人者・小寺初世子大阪国際大法政経学部教授、広島県立広島女子大名誉教授がいた。小寺教授が、悪性リンパ腫で入院された際、たいそう目にかけられていたという谷口さんが見舞いに訪れると「ご結婚もされておらず、お子様もいらっしゃらなかったせいか、『梨が食べたいから買ってきて』とか、『ノートとペンと買ってきて』とか、いろいろとわがままもおっしゃられて、我が子同然のような関係」だったそうだ。

ちょうどその頃、国連職員を目指すために独立行政法人国際協力機構JICA)のインターンに応募。「行ったことがない国、二度と行くことがないかもしれない国」という理由で南アフリカ行きを決めた。HIV、エイズの国際的経済的社会的インパクト調査のインターンだった。その出発の2週間前、担当医から小寺教授がそう長くないと聞かされた。

合宿所の正月 2列目左の女性が谷口さん 男社会の中で大事にされ育った 本人提供

■「亡くなるのを指折り数えて待つな」と諭され南アフリカへ

「もちろん(南アに)行ってる最中に亡くなったら、どうしようと心配しました。すると先生の研究仲間、女性差別研究のレジェンドと呼ばれる方々から『谷口さん、あなたが南アフリカに行くのを小寺先生はものすごく楽しみにしています。今はアパルトヘイト(分離・隔離を意味する人種隔離政策)もなくなって、女性でも南アフリカにひとりで行ける時代になったのね…とすごく自慢されてました。行かないというのは、先生が今日亡くなるか、明日亡くなるか、死ぬのを待つようなもの。亡くなるのを指折り数えて待つようなマネはやめないさい』と諭されました。うわ、確かにそうやなぁっと思って、3カ月南アフリカ行きを決意しました。いよいよ出発という頃、先生の手を握って出発報告すると『私の後を継いでもらいたいんだ』とおっしゃるんです。亡くなる前の人に手を握られ頼まれて、たぶん『いや』って言える人はいないと思うんです。さすがに『はい』と返事しちゃったんです。他先生方も一緒にいらっしゃったので『谷口さん、小寺先生の後を継いで学者になるのね』とうなずかれ、そんな予定はなかったんだけどなぁと苦笑いです」。

こうした経緯の中、谷口さんは南アに向け出発。まずはジュネーブに位置する国連欧州本部に1週間滞在、各施設などを見学した後、南アへ。南ア到着後、JICAのオフィスに挨拶に訪れた際、日本からのメールを確認すると、ちょうど到着した頃の時間に小寺先生が亡くなったと知る。

「(メールで)亡くなられましたと知らせがあって、私は親しい方が亡くなったのがその時、初めてだったもので、すっごく感情が溢れ出てしまって。その晩、ちょっとしたウェルカム・パーティーのようなものが用意されていたので、ご飯を食べながら『実はさっき恩師が亡くなられて』と話し始めたら、JICAの方たちに『自分たちも親の死に目に会えなかったんだ』と吐露され『国際社会で働くと地球の裏側にいることもあって、すぐに駆けつけることはできない。先生はひょっとしたら、その予行演習をしてくれたのかもしれない』と言われ、世の中には本当にいろんな考え方ができる大人がいるんだと感心した」という。

しかし、この南ア滞在は谷口さんの後のキャリアにも大きな影響を与える。日本で知人宅にホームステイをしたことのある男の子が大のラグビー好き。南アの行政首都プレトリアに滞在中、何度もラグビーを見に連れていかれた。ラグビー観戦は大学入学以来初めてだった。

「ハーフタイムショーがあって『すごい!私の知ってるラグビーと違う』と驚いたんですが、それよりもその時まで目に見えて違う人種がプレーするというのを知らなかった。ラグビーとは違う世界で生きたかったので、それまであえて触れたくなかった。自分の研究についてはネルソン・マンデラさん(アパルトヘイトにより27年間投獄された元南ア大統領、1993年にノーベル賞受賞、故人)の功績を追いかけたいという気持ちもあり南アを選んだ。そこでマンデラさんが『白人と黒人の融和の象徴になれば良い』と話したのを思い出し、ラグビーっていいスポーツだなぁっと思い起こしました」。

マンデラ元大統領とラグビーについては1995年のラグビー・ワールドカップ南ア大会について描かれた映画『インビクタス/負けざる者たち』でも主題となっている。こうして谷口さんの人生は、再びラグビーと交わり始める。

さらに1年後、谷口さんの親友が英エセックス大学に留学していたため、何の気なしに遊びにいくことに。せっかくなのでロンドン観光をする際、ラグビーの聖地トゥイッケナム・スタジアムを訪れる。

■花園からやって来たプリンセス・オブ・ラグビー

「その子はラグビー興味ないから『なんじゃそりゃ?』ぐらいだったんですが、花園もこの世界的聖地をモデルにしている。それが行ったらすごい田舎でもうな〜んもない。連れて行った友達にも悪いなぁっと、土産もん屋ぐらい開いてるかなぁっと、その辺をうろうろしていたら、長靴履いたおっちゃんに声かけられて。向こうからしたら試合もないのに、アジアの女の子が迷い込んで来て『どっから来たん?』みたいな感じです」。

そこで谷口さんが事情を話し、聖地・花園で育った身の上話などを打ち明けると「キミはプリンセス・オブ・ラグビーか! プリンセス、案内しましょう」とスタジアムもラグビーミュージアムも開放。「プリンセスがやってきたよ」と事務所にまで案内してくれたという。英国人ならではのウィットもあったのだろう。

聖地・花園で育った”プリンセス・オブ・ラグビー” 本人提供 

南ア体験に引き続き、谷口さんはラグビーに三度引き寄せられる。ラグビーは共通言語、ラグビー関係者は世界で親戚のような感覚に改めて気づいたという。

今でこそ7人制ラグビーが五輪競技に加えられているものの、正式な15人制のラグビーが五輪競技から外れたのは、ユニオン主義によると谷口さんは読んでいる。2019年のラグビー・ワールドカップ開催により、ご存じの方も多いだろう。ラグビーでは国籍で代表チームを縛るのではなく、その国のユニオン(協会)に所属している選手に、代表チーム入りする権利が生じる。ただし、他国で代表入りした場合は、その他の国で代表選手になることはできない。イギリスから帰国後、谷口さんはラグビーの歴史を調べ始めた。

「大学院生なんで、いろんなデータベースにアクセスして、論文読んだりして。ユニオン主義は、人権法、国際法、領土問題の観点からも興味深く、どういう概念なんだろう…と。するとユニオン主義になったのも、あらかじめ計画されたものじゃなくて、植民地支配のために派遣した将校を育成するためのツールとしてのラグビーが見えてきました。大英帝国の植民地に赴任しているので、試合のために呼び出されても、当時の移動手段では何カ月もかかったりする。そうであるなら出向している先のどこに所属してでも試合に出場できるようにする。いわば妥協の産物なんです」と学ぶに至る。

■自身の学問とラグビーが再会を果たす

「法学の概念としてジャスティスとフェアネスを習う。大西鐵之祐先生の『闘争の倫理』を読むと『ジャスティスを超えたフェアネスが大事なんだ』と書いている。正義よりも公平であることを強調している。大西先生自身、捕虜になった経験もあり、戦争について領土問題、捕虜問題も含めて非常に興味深い。藤島大さんなんかも『人類のためだ。』(鉄筆)というエッセー集の中で『ラグビーは戦争をしないため』と書いている。もし戦争になっても人として越えてはならない線がある。このエッセー集の中で、藤島さんは大西先生の最終講義を思い出し、『…どうしても勝ちたい相手に対して、例えルールの範疇にあっても、本当に汚い行為はしない。ジャスティス(順法)より上位のフェアネス(きれい)を生きる。すると社会に出ても、ズルを感知する能力が研ぎ澄まされる。「変な方向」がわかる。』と。ラグビーはそれを学ぶスポーツ。ここで自分の学問とラグビーが交わるんですよ」。

幼少期・思春期の経験からなんとなく避けてきたラグビー、しかしここに来て自身の学問とラグビーが完全な再会を果たした。

「ラグビーのレフリーを『審判』と訳すとちょっと違うんじゃないかと思う。日本では、レフリーもジャッジもアンパイアなども、全部『審判』と呼びますよね。ラグビーにおけるレフリーは、裁判における仲裁人のようなもの。それに対しての、ジャッジやアンパイアなどは白黒をつける役割。例えば、ラグビーにおいてタッチ「ジャッジ」は白黒をつける。レフリーは白黒をつけない。レフリーという呼称のスポーツはみな仲裁人と思ったほうがいい。そして、もう一つ面白いなと思ったことは、2019年のワールドカップ前に村上晃一さんに教えてもらったことなのですが、ラグビーは試合で守るべき規範を『ルール(Rule)』と呼ばず『ロー(Law)』と呼ぶ。この『ロー』が、ラグビー憲章に基づいて減ったというのです。法学的に考察すれば、社会でも法は増えていくことはあっても、減ることはない。なんで『ロー』が減るんだと。つまり法学を学ぶ上で、むちゃくちゃ教材がころがっているスポーツ。その『ロー』よりも品位、情熱、規律、尊重、結束という『ラグビー憲章』、これが上位概念にあるのはすごい面白い。日本でいえば、最高法規の憲法が『ラグビー憲章』、それ以下の法律が『ロー』みたいなものですよね。こうしてラグビーがまた自分の人生に交わって来る。離れよう離れようと、ラグビー以外のスポーツももちろん面白いと思っているけれど、幼少期の体験と照らし合わせることができるので、『おもしろいでしょ!』とラグビーの価値を世に発信するのはいいことだなぁっと。『ラグビー多少、知ってます』とメディアでも言っていたのが、なんとなく認知されて『ラグビー好きなおばちゃん』と。その辺までが2019年に至るまでのざっくりとした話です」。

さて、ここから谷口さんにとってのラグビーを巡る冒険が始まるが、これがまた難破船に飛び乗ったような大波乱が待っていた。

◆日本ラグビーフットボール協会谷口真由美・元理事 “起” 聖地・花園ラグビー場で育った娘

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著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

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