【W杯】開催まで1年 “沖縄バスケ”が呼び込んだFIBAワールドカップ | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【W杯】開催まで1年 “沖縄バスケ”が呼び込んだFIBAワールドカップ

新着 ビジネス
【W杯】開催まで1年 “沖縄バスケ”が呼び込んだFIBAワールドカップ
  • 【W杯】開催まで1年 “沖縄バスケ”が呼び込んだFIBAワールドカップ

4年に一度行われる国際バスケットボール連盟(FIBA)の国際大会、「FIBAバスケットボール・ワールドカップW杯)」が来年2023年8月25日から9月10日まで沖縄アリーナ(沖縄市)で開催される。

開幕まで一年となった8月25日、炎天下の那覇市で開幕までの月日を刻む「カウントダウンクロック」のお披露目式が行われた。

挨拶したW杯日本組織委員会会長、日本バスケットボール協会の三屋裕子会長は「日本、また世界各国からここ沖縄に足を運んでくださるファンの皆様と一緒にカウントダウンをしながら、バスケットボールの魅力、そして沖縄の魅力をお届けすべく大会の開催に向けて万全の準備を進めたい」と力強く挨拶、一年を切った大会開催に向け、内外への一層の周知を誓った。

◆【日本代表】カザフスタンを下す バスケW杯アジア2次予選

来年のW杯は日本のほか、フィリンピンインドネシアと、史上初めて3カ国で同時開催される。

日本で唯一の会場となる沖縄アリーナ(沖縄市)では一次、二次予選グループラウンドで日本を含む8カ国、全20試合が開催される。予選を勝ち抜き、ベスト8に残ったチームだけがフィリピンの首都マニラで行われる決勝トーナメントに進む。

■なぜ沖縄開催なのか……

沖縄では本場米国並みの充実した設備と、評判の「沖縄アリーナ」が2021年に完成した。Bリーグで抜群の人気を誇る「琉球ゴールデンキングス」は17年から22年にかけ西地区で5連覇を果たし、2021~22のシーズンは決勝進出を果たし準優勝に輝いている。

 県内のバスケットボール熱も高く、本土でバスケがまだそれほど人気のスポーツでなかった1970年代初頭でも沖縄の子どもたちにとってバスケは身近なスポーツだった。

本島の中部に集中する米軍基地も沖縄のバスケ人気に寄与した。

特に、嘉手納基地周辺のコザ市(現・沖縄市)や中城村(なかぐすくそん)に住むバスケ好きの子どもたちは、米軍の放送局から漏れてくる米プロバスケットボール・リーグNBA)の試合を自宅のテレビで受信できたので、NBAのトッププレイヤーたちの活躍をリアルタイムで見ることができた。理解できない英語放送ながら、子どもたちはNBAのスターたちのプレーを見よう、見まねで再現したものだ。

また、米軍も宣撫工作の一環だったとはいえ、子どもたちにバスケットボールを与え、バスケットコートを作るなどの協力を惜しまなかった。また、公民館などに行けば、必ずバスケのリングがあったという。拾ってきたバケツを木や電信柱につけたりする簡単なものもあったが、子供たちは手元にある材料をかき集め、NBA選手たちのプレーを真似た。

こうした土壌が本土とは違う、沖縄独特のバスケ文化を育む。

W杯2023日本組織委員会副会長を兼任する沖縄県バスケットボール協会専務理事の日越延利氏(66)は、「沖縄のバスケは『リズムが違う』と言われることがある。特にコザ(現・沖縄市)などにはロックやディスコなどのアメリカの文化が入った。しかし、同時にエイサーなどの沖縄固有の歴史的文化も盛んだった。これらがうまくチャンプル(融合)され、バスケをする選手たちの体に(プレーする上での)独特のリズム感を染み込ませた」と話す。

W杯PRのためのボール手に沖縄のバスケ史について語る沖縄県バスケットボール協会専務理事の日越延利氏 撮影:本田路晴

日越氏はまた、沖縄の高校生が嘉手納(かでな)基地やキャンプ瑞慶覧(ずけらん)といった基地内の高校に招待され行なった親善試合も沖縄のバスケの技術向上に一役買ったとする。

自身も沖縄代表選手だった日越氏は高校2年の時に初めて、米軍基地内の高校にバスケの試合に招待された。

初めて目にした米国の高校選手の中には1メートル90センチ、95センチの選手がいた。サイズ、パワーの違いに圧倒される。

「相手は2メートル近くの選手。手の長さはもっと違う」。

初めて臨んだ米チームとの試合では相手のゾーンプレスに苦しめられた。しかし、日越氏らはどうやったら体格、パワーで圧倒的に優る米チームに勝てるかを考えた。パス回しを早くし、とにかく走った。やがて、強豪のアメリカのチームを相手に接戦に持ち込めるようになった。

 「琉米親善高校バスケットリーグ」とも呼ばれた、日米の高校生らによる親善試合は今も続いているという。

■フェンス越しの遠い存在だった米軍基地内のバスケ

沖縄のバスケの底上げに大きく寄与したとされる地元の高校生らが招待されて基地内の米国人と対する「琉米親善」試合。始まりは1954年に全国高校総体に出場したコザ高校が嘉手納基地内に招待されたのが始まりとされているが、そこに辿り着くまでは日米双方の誤解による一悶着もあった。

2004年1月22日付の『沖縄タイムス』によると54年、秋田で行われた全国高校総体にコザ高校は出場したが初戦で敗退した。日本バスケットボール協会関係者は、「アメリカ仕込みのバスケ」を期待していただけに残念がった。こうした声に同校のチームの監督が「米軍は何も見せてくれないし、何も教えてくれない」と話したから大騒ぎになった。

那覇高校にて行われた「琉米親善」試合。1959年5月23日頃撮影 提供:沖縄県公文書館

当時、沖縄の子どもたちは基地内でプレーする米兵やその子どもたちをフェンス越しに見ることはあっても中に入ることは許されなかったからだ。

発言をうけ、校長やバスケ監督が米軍に尋問されるが、やがて「琉米」の交流を深めようということになり、コザ高の選手が54年10月、嘉手納基地内の体育館に招待され米軍の二軍、三軍との交流試合が実現した。後に発展して、日本と基地内の米国の高校生が対戦する「琉米親善」の試合が毎年行われるようになった。

日越氏自身が実感したように、体の大きな米国人と対戦することは大きな刺激となった。本土の子どもたちと比べ、体格で劣る沖縄の子どもたちは長身の米国人選手を相手にする中でフェイントの技を磨き、左右どちらの手からでもシュートできるようにするなどして工夫を続け、沖縄独特のバスケの腕を磨いていく。

■沖縄バスケを支える選手層のすそ野の広さ

W杯の会場ともなる沖縄アリーナ(沖縄市)がある中部地域は嘉手納基地を筆頭に米軍の基地が集中する地域だ。米軍が沖縄バスケに与えた影響は無視できない。ただ、沖縄バスケは中部地域だけのものだけでなく、今や離島を含む県内全体に隈なく広がっている。

日越氏は「沖縄には本島、離島も含め、12歳以下の子どもを対象にしたクラブが300以上ある。これは人口比で比較すると突出した数字だ」と話す。

早朝からシュートの練習に励む沖縄の子どもたち(8月27日、沖縄県北谷町のアラハビーチ) 撮影:本田路晴

人気球団の「琉球ゴールデンキングス」は子ども向けのアカデミーも運営。3歳から15歳の子どもたちを対象にキングスのアンダー18のヘッドコーチを務める与那嶺翼氏らが指導にあたっている。

8月28日、那覇市の奥武山(おうのやま)公園で行われたW杯の一年前イベントに登場した与那嶺コーチは沖縄の子どもたちの特徴を「素直」と表現した。その“素直な”子どもたちを相手にとにかく「ほめる」ように努めているという。

「成功体験は大事なので、何かやってうまくいった時はとにかくほめるようにしている」。加えて、子どもたちが新しいことにチャレンジした時も必ずほめる。「成功、失敗に関係なく、何かにチャレンジした時はほめる。チャレンジする勇気はたとえ、その時にうまくいかなくとも必ず次に繋がるからだ」。

沖縄のバスケが独特の進化を遂げる背景には、米軍基地の存在など沖縄特有の独特の理由もあるかもしれない。しかし、こうした選手層のすそ野の広さに加え、子どもたちを“型”にはめることなく、伸び伸びとプレーさせる指導者たちの姿勢も沖縄バスケの強さの秘密なのかもしれない。

2023W杯公式マスコット「ジップ(JIP)」と記念撮影する参加者たち。「ジップ」は共催3カ国の日本、インドネシア、フィリピンの英語表記の頭文字に由来する。赤、青、白の3つの国旗にちなんだ配色となっている。(8月28日、那覇市の奥武山公園) 撮影:本田路晴

■期待したいNBA選手たちのW杯出場

来年のW杯はNBAのスター選手が各国代表として来沖する可能性がある。ワシントン・ウィザーズで活躍する八村塁や、ブルックリン・ネッツ渡邊雄太には日本代表チームの一員としてぜひ参加して欲しい。

もともとバスケが自分たちも参加する身近なスポーツとして根づいた沖縄で行われる来年のW杯。NBAのトッププレイヤーたちが大会に出場し、目の前でプレーすれば、沖縄の子どもたちにとって、これ以上の刺激はない。

沖縄バスケはさらなる飛躍のステージに入る。

◆【NBA】渡邊雄太がブルックリン・ネッツと契約 デュラント、アービングと共闘

◆【Wリーグ】元日本代表、中川聴乃理事らが湖池屋のバスケ教室を指導 五輪銀メダルで関心高まり「教えがいあった」

◆【NBA】ビル・ラッセルの背番号を全チームで永久欠番に 「バスケ界のベーブ・ルース」とコミッショナー

著者プロフィール

本田路晴●フリーランス・ジャーナリスト

読売新聞特派員として1997年8月から2002年7月までカンボジア・プノンペンとインドネシア・ジャカルタに駐在。その後もラオス、シンガポール、ベトナムで暮らす。東南アジア滞在歴は足掛け10年。最近は沖縄をテーマに取材。

《SPREAD》
page top