【NBA】ビル・ラッセルの背番号を全チームで永久欠番に 「バスケ界のベーブ・ルース」とコミッショナー | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【NBA】ビル・ラッセルの背番号を全チームで永久欠番に 「バスケ界のベーブ・ルース」とコミッショナー

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【NBA】ビル・ラッセルの背番号を全チームで永久欠番に 「バスケ界のベーブ・ルース」とコミッショナー
  • 【NBA】ビル・ラッセルの背番号を全チームで永久欠番に 「バスケ界のベーブ・ルース」とコミッショナー

米プロバスケットボール協会(NBA)は11日、ボストン・セルティックスを11回の優勝に導いたレジェンド、ビル・ラッセルが7月31日に亡くなったのを受け、彼の背番号6をリーグ史上初めて全チームで永久欠番にすると発表した。

なお、ラッセルの出身校であるサンフランシスコ大学およびプレーしたボストン・セルティックスで背番号6はすでに永久欠番に指定されていた。

【実際の映像】2012-22シーズン、ファイナルで破れた相手ゴールデンステート・ウォリアーズを讃えつつ「来年こそ、ボストン・セルティクスの番だ!」と怪気炎を上げるビル・ラッセル 

■NBA8連覇、1試合50リバウンド

ラッセルは1946年にスタートしたNBAにおける最初のスーパースターとされ、まさに伝説として語り継がれて来た。現在のNBAがあるのも、また名門セルティクスの礎も、彼に寄るところは多いだろう。

彼はサンフランシスコ大学のメンバーとして、NCAAチャンピオンも55年、56年と連覇。56年のメルボルン五輪では米代表チーム・メンバーとして金メダルも獲得している。

1956年にセルティックスに入団、フランチャイズ・プレーヤーとして活躍。セルティクスは1959年から66年までNBA8連覇を達成。現在でも米スポーツ最長の黄金期とされている。セルティックスはラッセルの在籍期間中、57年さらに68年、69年には2連覇を成し遂げ、11度チャンピオンを獲得。名門の揺るぎなき礎を築き上げた。

NBA通算記録は、1万4,522得点 (1試合平均15.1 得点)、2万1,620リバウンド (1試合平均22.5リバンウド、4,100 アシスト(1試合平均4.3 アシスト)。レギュラーシーズンMVPは5度、オールスターにも12度選出。

そのスコアリング能力よりも「ディフェンスの鬼」と呼ばれたリバウンドの多さは特筆すべきで、そのキャプテンシーでも一目を置かれた。1試合100得点のNBA記録を持つウィルト・チェンバレンでさえも、白旗を挙げたとされる。NBA史上、1試合に50リバウンド以上を奪取したプレーヤーは、そのチェンバレンと2人のみである。

レイカースのチェンバレン(右)をブロックするラッセル1969年4月27日 (C) Getty Images

彼は自叙伝で自らのディフェンスについて「相手の動きを事前に観察し、すべての動きを記憶しておくことだ(訳・たまさぶろ)」と語り、相手を止めるため鏡の前で夜中までディフェンスのイメージトレーニングを重ねたという。

リーグ史上、黒人としておそらく初めて「スター」と認められたん選手であり、66年には米スポーツ史上初めて黒人のヘッドコーチに就任。人種差別とも戦い続けた。NBAは2009年、ファイナルのMVPトロフィーを「ビル・ラッセルNBAファイナルMVP賞」と名称変更をしている。さらに11年には、公民権運動への貢献も認められ、大統領自由勲章を授与している。

■アダム・シルバー・コミッショナーも称賛を惜しまず

NBAのアダム・シルバー・コミッショナーは「ビル・ラッセルのコート上での比類なき成功と公民権運動における先駆性は、唯一無二の歴史的な方法で表彰されるに値する」との声明を発表している。

なお、同コミッショナーは、ラッセルの死に際し「ビル・ラッセルは、すべてのチーム・スポーツにおける史上最高のチャンピオンでした。ボストン・セルティックスでの誉れ高きキャリアで彼が獲得した数え切れないほどの称賛は、我々のリーグおよび社会に与えた計り知れない影響の物語をスタートさせたばかりでした。

ビルは、スポーツよりもはるかに大きなもの、我々のリーグのDNAに刻み込んだ平等、尊敬、一体性の価値を象徴していました。アスリートとしてのキャリアの最盛期、ビルは公民権と社会正義を熱心に提唱し、彼の足跡を追随する何世代にもわたる NBA プレーヤーにその遺産を残しました。彼は、嘲笑、脅迫、想像を絶する逆境を乗り越え何度も立ち上がり、すべての人が尊厳を持って扱われるに値するという彼の信念を貫き続けました。

ビルがリーグ初の黒人ヘッドコーチとして先駆者としてのキャリアを終えてから約35年、私たちは幸運にも彼がNBAファイナルズのMVPに『ビル・ラッセル・トロフィー』を贈る瞬間を見届けることができました。私とビルは友情を大事にし、彼が大統領自由勲章を受け取ったときは感動したものです。私は彼を、時間を超越したバスケットボール界のベーブ・ルースとよく呼んでいました。彼は究極の勝者であり、完璧なチームメートであり、その影響力はNBAにおいて永遠に続くことでしょう」と賛辞を惜しまなかった。

全チームでの永久欠番となると、ルースというより、むしろジャッキー・ロビンソンのほうがふさわしいかもしれない。

ボストン・レッドソックス試合前にフェンウェイ・パークでも追悼されるビル・ラッセルさん (C) Getty Images

ラッセルが率いたセルティックスが成し遂げた1959年からの8連覇は、米スポーツ界においてもやは成し遂げることが不可能な偉業だろう。唯一、マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズが3連覇を2度成し遂げた際、ラッセルを超える9連覇の可能性を秘めていただけに、その挑戦をこの目にしたかったものだ。また、果たしてゴールデンステート・ウォリアーズとステフィン・カリーはあと4度、頂点に立つことができるだろうか。

日本のスポーツ界においても、こうしてスポーツの社会的地位を引き上げるレジェンドの活躍が望まれる。バスケットボール好きの方も、またそうでないスポーツ・ファンにも今一度、伝説のプレーヤー、ビル・ラッセルの功績を振り返ってもらいたい。

◆ボストン・セルティックスの8連覇、11度優勝をけん引 ビル・ラッセル亡くなる

◆「バスケの神様」マイケル・ジョーダンについてまわる9連覇の夢

◆ゴールデンステート・ウォリアーズが7度目の優勝 ステフィン・カリーがMVP

著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨーク大学などで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

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