【スポーツビジネスを読む】公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ島田慎二チェアマン 前編 「なんでやねん」からの代表理事CEO就任 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【スポーツビジネスを読む】公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ島田慎二チェアマン 前編 「なんでやねん」からの代表理事CEO就任

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【スポーツビジネスを読む】公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ島田慎二チェアマン 前編 「なんでやねん」からの代表理事CEO就任
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公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグBリーグ島田慎二チェアマンのスポーツビジネス界への出現は、まさに彗星のごとく思えた。報道というジャンルも含めれば私自身、スポーツビジネスに携わり四半世紀が経とうとしている中、スポーツ界で噂にも聞いたことがない方が突如、千葉ジェッツにて(当時)その辣腕を振るっているかのように映ったからだ。

日本バスケットボール界の歴史は決して短くはない。そして、日本におけるバスケのプレーヤー人口も約60万人と、他競技と比較しても決して少ないとは言えない。それでも、近年まで「日本にプロリーグがなかった」バスケ界を外から眺めると不思議に思われる。日本スポーツ界のメジャーカテゴリーとしても、野球、相撲、プロレスは古く、Jリーグも来年には30周年を迎えるという中、Bリーグの歴史はわずかに6年。振り返ってみれば意外だ。

インタビューに真摯に応える島田チェアマン(撮影:SPREAD編集部)

日本バスケのトップリーグの歴史は1967年、全国実業団バスケットボールリーグとしてスタートしたとしていいだろう。いわゆる「企業スポーツ」の一翼だ。70年にはバスケットボール日本リーグへと名称を変更。95年には、バスケットボール日本リーグ機構JBL)が発足。2001年にはJBLスーパーリーグがスタートするなどの変遷を経てきた。そんな中、05年にはプロ化を目指したクラブが脱退し、分離独立する形でbjリーグがスタート。JBLもまた、日本バスケットボールリーグ新JBL)として07年に改組。さらに13年にナショナル・バスケットボール・リーグNBL)が発足と変遷して来た。

JBLまたはNBLとbjリーグの分裂状態が特に国際バスケットボール連盟FIBA)の目に余るところとなり、日本は一時、国際大会への参加資格を剥奪されるほどの危機に直面していた。こうした混乱の中、日本バスケットボール界を統一するかたちで、ついにプロリーグ「Bリーグ」が2016年に開幕するに至った。

チェアマンについて触れる前に、ぜひ上記の変遷を頭に入れておいてほしい。

スポーツビジネス界に身を投じる方は、多かれ少なかれ、スポーツに触れる機会があり、その実体験、経験則がビジネスの原動力となっているケースが多い。聞き手側も、キャリアの導入部分については、常にそれを念頭においてしまう癖が身についてしまっている。島田さん自身はサッカーをプレーしていた経験があるとのことで、まずはその話から水を向けた。現在のビジネスとサッカーのプレーには関係性はあるのか…と。

「いえ、全然ないです(一同爆笑)。もちろん高校時代はサッカーをやっていましたけれども、プロを目指していたわけでもなんでもありません。誰もが過去にスポーツのひとつぐらいやっていただろう…ぐらいのレベルでしたから、この仕事につながる文脈なんて全然ありません。正直、スポーツの仕事があるとさえも考えたことなかったんです。もちろん、オペレーションがありますから、裏でビジネスが行われていたはずなんです。でも、そこに想像が及びませんでした」と笑い飛ばした。

Jリーグが開幕した29年前とは異なり、スポーツのバックグラウンドを持たないプロのビジネスマンが現在のスポーツ界には多く存在する。島田さんもそんなひとり。では、いったい何が彼をスポーツビジネスへと突き動かしたのか。

「本当にひょんなきっかけなんです。千葉ジェッツのオーナーだった方と昔からのお付き合いがありまして『手伝ってくれ』と声をかけられた。それだけなんです」。2011年にbjリーグに新規参入した千葉ジェッツは当初経営に苦戦していた。その状況の中で、「この人に助けてもらおう」と元オーナーが連れて来たのが島田さんだった。

島田慎二(しまだ・しんじ)

公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ代表理事CEO(チェアマン)

1970年11月5日、新潟県出身。日本大学法学部卒業後、株式会社マップインターナショナル入社(現・株式会社エイチアイエス)。95年、株式会社ウエストシップ設立。2001年12月株式会社ハルインターナショナル設立、10年1月同社全株式売却。同年、コンサルティング事業を開始。12年、株式会社ASPE(現千葉ジェッツふなばし)代表取締役社長就任。16年9月、Bリーグ理事就任。17年9月Bリーグ副理事長(バイスチェアマン)兼任。19年8月、株式会社千葉ジェッツふなばし代表取締役会長となる。20年7月、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)代表理事CEO(チェアマン)に就任。また、公益財団法人日本バスケットボール協会副会長も務める。

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■2012年に千葉ジェッツ運営母体の社長就任

「最初はアドバイス程度で、経営に参加する気もなかったんですよ。何が大変なのか、こうしたらいい……というアドバイスだけをするつもりでした。ましてや社長になるなんてまったく考えたこともなかった。すぐ辞めようと思っていたので、ここにチェアマンとしているのも『なんでやねん!』という気分です」とまた、大きく笑った。

大学卒業後、現在のエイチ・アイ・エスに入社。25歳で独立し、法人向けに特化した旅行会社や海外出張専門旅行会社を立ち上げ、それを売却。世界を旅しながら、コンサルティング業を営むという余裕のある生活が、むしろ災いしたのかもしれない。

千葉ジェッツに関わる以前、旅行中の島田チェアマン 写真:本人提供

極めて気軽にコンサルをするつもりが「なんとかせなあかん」というクラブの危機感の中、「やらなきゃいけない」という雰囲気を作り上げられていったと振り返る。まさに外堀から埋めて行く戦術が、島田さんを囲い込んだ形だ。「そこまで言うなら1年だけやりましょう」という意識が芽生えた。2012年、千葉ジェッツ運営母体の社長就任となる。

当時bjリーグに所属していた千葉ジェッツながら、そうこうしているうちに2013年からNBLが始まることになる。この時、島田さんは「相当悩み苦しみながら、NBLに移籍するかどうか検討しました。スタッフもNBLでやりたいという気持ちがあり、そっちでプレーしたいという選手も多かった。それがどれだけ大変なのか理解していたわけではなかったけども、チャレンジしたほうが、当時の状況より起死回生の確率は高かった」と振り返る。

これは日本バスケットボール界における分水嶺であり、シンギュラリティでさえあったと見るべきだろう。島田さんは千葉ジェッツさえも「1年だけ」という意志のもとにサポートをしていたに過ぎなかった。だが経営改善のため、新規立ち上げとなったNBLへクラブごと移籍すると提言、決断するに至った。

■日本バスケ界史上初の累計観客動員数10万人突破

島田さんは「打ち出した手前『移籍します。辞めます』じゃ『お前なんなんだよ!』と無責任扱いされるのは必至ですよね。だから、リーグを変更するなら3年ぐらいやらないとダメだな……と。何を血迷ったのか、自分の思考回路がどうだったのか、実はあまりにもバタバタで覚えてないぐらい」と当時を回想する。

千葉ジェッツ代表取締役社長就任時の島田チェアマン 写真:本人提供

千葉ジェッツのNBLへの路線変更がなければ、島田さんもそこで退いていた算段となり、Bリーグ島田慎二チェアマンの誕生はなかった。「まずは3年頑張れば…」と考えていたところに、今度は2つのリーグを統合する新リーグ創設の構想が持ち上がる。千葉ジェッツは2015-16シーズン、日本バスケ界史上初のホームゲーム累計観客動員数10万人突破を果たしていた。

「私自身、リーグ統合を強く主張していた人間のひとりだと思います。『薩長連合だ!』と息巻いていました。ですから統合、新リーグ創設は大歓迎だったわけです。思い描いていた世界がやって来るのなら、せっかくですから『チャレンジしないと』と意気込んで、突入しました」。こうして2016年、Bリーグがスタート。それと同時に島田さんは、リーグの理事にも就く。

「(千葉ジェッツも)天皇杯で優勝して結果が出て、売上も大きくなり、責任もどんどん大きくなった。川淵さん(川淵三郎Jリーグ初代チェアマン、Bリーグ初代チェアマン)からの依頼でBリーグの2年目にはバイスチェアマンも兼任しました。」

1年後、大河正明Bリーグ2代目チェアマン(当時)の下にバイスチェアマンでいるのか、それとも千葉ジェッツに戻るのかの二択となった。その際、考えたのは「自分がどちらにいたほうがより社会的意義を生み出せると思うか」だったという。この時点では「やはり自分は千葉ジェッツを成長させるほうが、世の中やバスケ界により貢献できるのではないか」という決断をし、クラブに完全復帰した。

それが幸いし、千葉ジェッツは天皇杯を3連覇、売上も18億円にまで成長。2019年4月にはミクシィと資本提携。8月にはクラブ会長となった。さらに20年5月、会長も退くが、2020-21シーズンに千葉ジェッツがBリーグ初優勝を果たしたのは、島田さんのすべての労苦が果実となった証だろう。

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著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

《SPREAD》
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