【東京五輪】あらためて考えたいスポーツの存在意義 東京五輪開会式に思う | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【東京五輪】あらためて考えたいスポーツの存在意義 東京五輪開会式に思う

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【東京五輪】あらためて考えたいスポーツの存在意義 東京五輪開会式に思う
  • 【東京五輪】あらためて考えたいスポーツの存在意義 東京五輪開会式に思う

医療従事者」がいらっしゃるように、この世の中には「スポーツ従事者」という存在もいないわけではない。もちろん医療従事者は直接、命に関わる業務をこなし、今回の新型コロナ禍においても、自身の人生を賭し、治療にあたられている方々も多かろう。海外では治療に集中するあまり、自身がコロナにより命を落とされた医療関係者も多いと聞く。日本医学の偉人・野口英世を地で行く方々もあり、まさに頭が下がる思い、今ここで改めて一連の尽力に対し感謝を述べたい。

一方でこの世には、スポーツ従事者、わかりにくければ「スポーツを生業とする者」もいる。広義ではもちろんアスリートも含まれ、そのアスリートを取り巻く関係者の割合が圧倒的に多い。JOCなどの協会、リーグ、競技場関係者、スポーツメーカー、チケッティング、スポーツ報道などなど、私自身も長らくそのひとりとして生計を立ててきた。もしこの世に「スポーツ」が存在しなければ、半生はなかったに等しい。医療を担当するような「士師」と呼ばれる仕事とは著しく異なり、吹けば飛ぶような職種やも知れぬが、スポーツは生活の糧ともなり得る。スポーツ庁は2020年に10兆円、25年には15兆円という目標をかげてきたが、コロナ禍もありこれは夢物語。ただし、現在でも5兆円程度のビジネス規模を守る。

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■スポーツビジネスに拍車をかけるはずだった東京五輪

本来、東京五輪はスポーツビジネスに拍車をかける存在のはずだった。

私自身、2016年東京五輪招致の末席にいた。同活動におけるデジタル上のソリューションを手掛け、「前スマホ」時代だったため、そのほとんどの戦略をWEB上で展開していた。2007年2月、初めて東京マラソンが開催され、事務局メンバーとしてデジタルソリューションも担当したいたためだろう。当時、石原慎太郎元都知事の指揮の下、五輪開催地として手を挙げたものの、世界から「なぜ東京で五輪を開催するのか」、その意義がもっとも希薄とされていた。現在も東京五輪組織委員会スポークスパーソンを務める高谷正哲さんも同じ広報チームにおいて「東京で五輪を開催する意義」、これを世界に発信すべく、英語によるコンテンツも含め、東京の「よさ」を企画、発信していた。時として、東京のグルメ情報の取材にまで赴き、草の根活動を重ねていた。プレゼン資料の一貫として、国際オリンピック委員会各委員(IOC委員)に贈り物として届けるパッケージには、どんなコンテンツを、リーフレットを託すべきなのか頭を悩ませたりしたものだ。

2016年の立候補都市Tシャツ

東京を含めシカゴ、マドリード、プラハ、リオデジャネイロ、ドーハ、バクーと7都市もが2016年開催に立候補。先日、IOC総会においてオーストラリアのブリスベン一択で2032年の五輪開催地が決定となったとは雲泥の差だ。一次選考で東京、シカゴ、リオ、マドリードが残り、サマランチ元IOC会長の影響力が残るマドリード、もしくは南米初の開催を掲げるリオが最有力と囁かれていた。東京は決選投票にも残らず、あっさりと落選。その理由は、やはり成熟した都市・東京で開催することの意義が不明瞭だった点とされた。落選のためだろう、この招致について記憶されているのはごく一部の関係者に限られるだろう。

こうした苦い経験があったため2013年9月7日、東京・日比谷の東商会館にて、地球の裏側ブエノスアイレスからロゲ元会長のかの有名な発声「トキオ」がスクリーンに映し出された瞬間、同会館で応援団長として走り回っていた松岡修造さんら多くの関係者と驚喜したのは言うまでもない。その意義は東日本大震災からの「復興五輪」だった。当時、7年後に来たるべき、東京の姿を思い浮かべては、子供のように高揚感に包まれた。自分が生きている間に東京に五輪がやって来るのだ……と。

■延期や無観客…紆余曲折で迎えた開会式

しかし実際に2020年がやって来ると世界は新型コロナウイルスに染まり、五輪どころではなくなった。まずは1年延期され、2021年に入ってからも、日本のコロナ陽性患者は前年よりも圧倒的に多く、喧々諤々賛否両論紆余曲折問題山積、そんな中、本日ついに開会式が催された。

満員の観客もなく関係者、選手団のみ、スクリーンに映し出される開会式は数年前に想像していたそれと大きく姿を異にした。

五輪関係のスポーツ従事者は、延期にともない、苦難の道を歩み始めた。規模の縮小、国外観戦者なし、無観客開催と、膨らむ予算とは反比例し、事業規模は縮小に縮小を重ねた。

度重なる緊急事態宣言により飲食業が、エンターテインメント業が苦境に立たされている現状同様、スポーツ従事者も当然、職にあぶれた。スポーツが開催されなければ、仕事はない。コロナにより五輪を諦めたアスリート、延期により引退を余儀なくされた者も同様だろう。

最近の例として、トヨタがCMを見送れば、CM制作者、広告代理店、テレビ局の営業担当、実にさまざまな人々がとばっちりや玉突きにあうことだろう。

つい昨日も五輪向け式典のために結成されたチームが、無観客開催の余波により、式典そのものがキャンセルされ、解散の憂き目をみたという知らせが入った。1年かけて準備した演舞そのものをどこかで披露できないものかと相談されたばかり。海外からのメンバーもあり、チームは陽の目を見ないまま、またそれぞれの人生に戻るという。

■スポーツの存在意義とは何なのか

為政者と異なり、実際の運用現場で業務従事するひとりひとりの労苦があってこそ、五輪は東京に招致され、ひとりひとりの頑張りがあって開催までこぎつけた。本日も現場では、かつての同僚や部下が汗水たらして働いている。東京五輪の陰には、こうしたひとりひとりの労苦が、陽の目を浴びなかったとしても、そこにあったのだという事実を思い起こして欲しい。

日本人は「感動クレイジー」だ。ドラマを見ては「感動巨編」、映画を見ては「全米が泣いた」、スポーツ観戦しては「感動をありがとう」。だが、他のエンターテインメントと異なり、スポーツ従事者は感動を生み出すために仕事をしているわけではない。

本大会も戦前の五輪批判とは異なり、この後「感動をありがとう」報道であふれるに違いない。しかし五輪は、スポーツはそんな安い感動のためにあるのではない。

五輪に派遣された難民選手団からも理解される通り、スポーツは平和あってこそ、その存在意義を発揮できる。「スポーツの意義とは何か…」、東京五輪の開会式をそんな心持ちで眺めることになろうとは思いもよらなかった。スポーツとは不要不急のものなのか。もしそうでないなら、アスリートも含め、スポーツの存在意義は何なのか。

五輪はいらない。もし、そうであるなら、スポーツも不要なのか。

幾霜の苦労の末に招致した東京五輪だ。この五輪期間だけでも、そんなスポーツの存在意義に思いを巡らしてもらいたい。

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著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

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