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大坂なおみの全仏オープン棄権のニュースが世界中を駆け巡っている。そして2018年の全米オープン以来、うつ病を抱えてきたことを告白し、今大会で記者会見を拒否した理由も明らかになった。
アスリートとメディアの関係性だけではなく、競技の第一線で戦う選手が抱えるメンタルヘルス面での課題も垣間見えた大坂の全仏棄権について、元プロテニスプレーヤーの久見香奈恵氏が自身の経験も交えて解説する。
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スター選手の宿命だろう。どれほどのプレッシャーや不安の中でも、メディアとの関係、距離を上手く保つことはプロアスリートとして当然に求められてきた。そして、今もある一定数の人々が大坂なおみの決断を「間違っている」と責め続けている。
筆者は、現在の彼女に対してメディア対策が上手な選手だと感じていた。ツアー初優勝を飾ったBNPパリバ・オープンのチャンピオンズスピーチのキュートな姿だけでなく、今では使う言葉やタイミングも自身の考えがしっかりと浮き出ていて、利口で思いやりのある優しい人だと見受けている。それも彼女が本来持っている人間的資質であり、この世界を旅しながら戦うテニスツアーを通じて豊かになっていく様を見せてもらっているようだった。
大会期間中のメディアに対しても、自身のスポンサーである企業名を背負い、堂々と対応しているようにも感じた。彼女はSNSを使い、テニスへの情熱だけでなく自身のセンスを活かしたファッションのデザインを紹介したり、時にはチームや家族、そしてファンへの愛にあふれたメッセージを投稿している。その存在感は大きく、今や世界の各企業から大坂をイメージモデルに使いたいと引っ張りだこだ。
■メッセージが多く含まれていた大坂のプレーや行動
試合をする姿だけでなく、彼女の行動にはメッセージが多く含まれている。
2020年の全米オープンでは、同国で警察官から人種差別的な暴力の被害に遭った黒人犠牲者の名前をマスクに印刷し、家族の心の叫びを代弁するかのように悲しみと怒りを訴えてきた。「当初は本当に行動するべきか迷った」と大会後には吐露していたが、彼女が毎試合勝つことで、よりメディアは注目し発信してきた。そして、同時に傷つけられた誰かの心を救ってきたことも事実であろう。
五輪組織委員会の前会長の女性差別についても「いい発言ではない。このような立場の人だからこそ、もっと様々なことを学んだうえで発言すべきだと思う」と古き時代の常例を一蹴し、新時代に生きる女性たちの背中を押した。
そんな彼女が、今回はどうしても会見を開きたくないと発表し、大会も報道陣も戸惑いを隠せなかった。彼女は内密に大会側にその旨を記した手紙を出していたようだが、会見を開かない理由が大会側としてもはっきりと分からず困惑しただろう。その後も双方の間で、どんなやり取りがあったか定かではないが、大会側からは大坂の1回戦後に「勝ち負け関係なく会見の要請があれば応じるのがルール。それが出来なければ罰金を科せるし、今後も拒否を続けるのであれば4大大会の出場停止も考える」と警告を突き付けた。
記者会見の今のルールに則ることに対しては理解できるが、今後の4大大会の出場停止の警告については、「やや強引ではないか?」と首をかしげていたところである。今後のすべての大会での会見に対して“拒否”するわけではなかったはずだ。メッセージにも「テニスメディアの方々には親切にしてもらっている」と感謝の意を表しているし、とにかくうつ病だと分かった今、心理的に余裕がなくプレーだけに集中したかったことも色濃くあっただろう。
いったい何が正解だろう? 彼女は会見をするよりも棄権を選んだ。そして、うつ病を告白することとなり、選手のメンタルヘルスへの配慮を大な声で叫んだ。
■真意を知らずに起きた不一致
大会側が「選手は会見に応じるのが義務である」と主張するのであれば、選手も意見を主張する権利がある。双方の協力のもとにテニス界が大きくなり大会成功に繋がっているのだから、もう少し歩み寄るべきではなかったのだろうか。真意を知らずに起きた不一致から、少し喧嘩腰のようになってしまった感じは否めない。大会側も真の主張を聞かずに、選手が大会を棄権するまでに追い込んでしまったことが残念でならない。
そして、彼女がこれまでに開いてきた何百回もあろう会見の中で、取材をしてきたジャーナリストたちはいったい何を聞いてきたのだろうか? 試合の感想はもちろん毎回聞かれることだろう。真面目に選手の成長していく姿を追ってくれる記者も多くいるだろうが、選手にとって答えづらい質問も飛ぶことがあるという。それは女性プレイヤーにとってセクハラにも感じる質問もあると聞くから驚きだ。
悪気があるのかないのか、選手の感情を踏みにじるような質問もある。実際に、セリーナ・ウィリアムズも敗戦後に「なぜあの場面で凡ミスをしてしまったのか?」など少し意地悪な質問を受け、涙で会見場を後にした。記者からすれば、まっすぐに聞きたいことだったのかもしれないが、敗戦後の選手からすれば極限状態で戦った後には酷な内容だろう。凡ミスと見られたショットも、ポイントを成功させるために打ち放ったワンショットであり、相手にプレッシャーをかけるべくリスクを負って勝負したかもしれないからだ。選手自身も、この出来事を言葉で伝えられるように努力できる日もあれば、やはり困難な日もあるだろう。
■素直な性格と背中合わせのジレンマ
しかし、メディアの力で多くの人への認知が広がったことも事実である。試合の詳細を知りたい人もいるし、プロの考えていることを文字で知りたい人もいるはずだ。大会の広報部隊の活躍も大きいが、Webメディアや新聞紙面の影響力が大きいことは間違いない。
今となれば、大坂もこの問題について言及するタイミングを間違ったと陳謝しつつ、今大会に対してナーバスになっていたことを打ち明けている。会見に対しては「私はもともと人前で話すことが得意ではなく、世界のメディア相手に話す前はとても大きな不安に襲われます。本当に緊張するし、あなた方に出来る限り最善の答えを出そうとすることにストレスを感じてしまう」と本音をこぼした。
そう感じるのも、世界で自身の発言が大きく報道され、影響力の大きさを自覚しているからだろう。そして彼女はどんな質問にも答えようとする素直な性格であるがゆえ、ジレンマが起きる時があるのかもしれない。
アスリートはよく心身ともに強靭だと思われがちだが、もちろん繊細な心を持ち合わせている。メディアトレーニングを受けている選手も多いが、意外にも「心の病」に悩む選手は多い。最近ではSNSでの誹謗中傷にメンタルバランスを崩す選手も数多く出ており、社会問題にもなっている。そして、このハードスケジュールのなか勝ち負けが続く生活に重圧や息苦しさを感じ、うつ病のような症状が出てしまった選手を筆者は何人も知っている。
■今は彼女らしくいられる安心な場所で過ごすべき
正直に言うと、筆者自身も引退を決めた頃から突如パニック障害を発症し、呼吸ができなくなってしまう瞬間や、腹痛と嘔吐に襲われる時期があった。その時は、どうしても人混みを受け入れられず、物音やしゃべり声が急激に大きく聞こえ出し、目がまわってしまった。この事態を人に相談することも恥ずかしく感じ隠しているだけであったが、勇気を出して信頼できる人たちに話すことで症状は和らいでいった。常に強くあろうとするがゆえに、孤独感が大きくなりすぎて自身の心を蝕んだ時期だったのかもしれない。
今では「心の風邪だったな」と過去を振り返ることができ、またそんな繊細な一面も自分自身であると受け入れている。
大坂の症状がどのようなものであるかは分からないが、心身ともにとても苦しくなるときがあるのだろう。そう考えると今の彼女のベストを尽くした決断に非はあるのだろうか? それよりも彼女が試合を続けられる環境を確保し、プロテニスプレイヤーとして本職を全うさせてあげることの方が大切だったのではないだろうか。今回の大会棄権を知らせる彼女のメッセージもとても素直な気持ちを表していたと思う。そして人間らしく、なおかつ23歳の若者が日々様々なことを考慮しながらもプロアスリートとして「美しく、たくましく」あろうとした結果の姿だろう。今回の大坂の行動がメディア界に一石を投じたことは間違いない。
しばらくの間、テニスコートから離れるとも発表していたが、メッセージの最後には「今後、落ち着いたらツアーと協力して、選手、報道陣、ファンにとってより良いものにする方法を話し合いたいと思います」と書き綴った。そのときをまたゆっくりと待っていたい。今は社会から押し付けられた責任や期待は自身の心の部屋から放り投げて、ただ彼女らしくいられる安心できる場所で過ごしてほしいと願う。
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著者プロフィール
久見香奈恵1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動をはじめ後世への強化指導合宿で活躍中。国内でのプロツアーの大会運営にも力を注ぐ。