【スポーツ誌創刊号コラム】涙、涙、涙、『週刊パーゴルフ』が50年の歴史に幕 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【スポーツ誌創刊号コラム】涙、涙、涙、『週刊パーゴルフ』が50年の歴史に幕

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【スポーツ誌創刊号コラム】涙、涙、涙、『週刊パーゴルフ』が50年の歴史に幕
  • 【スポーツ誌創刊号コラム】涙、涙、涙、『週刊パーゴルフ』が50年の歴史に幕

老舗ゴルフ雑誌『週刊パーゴルフ』が6月22日発売、7月6・13日号を最後に休刊する運びとなった。


編集部から「創刊から50年、半世紀にわたりゴルフ情報誌として週一回の発行を続けてまいりましたが、時代変化による読者ニーズの多様化や今後の弊社事業戦略などを鑑み、節目である50年目を機に休刊の判断をいたしました」とコメントが発表された。


■週刊パーゴルフ、ついに50年の歴史に幕


現在、同誌を発行するグローバルゴルフメディア社によるとデジタルメディア「パーゴルフPlus」も6月いっぱいで運営終了。休刊してもデジタルメディアへ転進する雑誌が多い中、デジタルブランドも閉じてしまうとは、愛読者としては非常に残念だろう。


それにしても惜しい限りだ。「ゴルフもやらんくせに、なにを」と思われる身内も多いだろうが、なにしろかつて新入社員として潜り込んだ会社名は「株式会社学習研究社」。『パーゴルフ』は1971年、その学研から創刊された。新人時代、同期も一名同編集部に配属となった。


『週刊パーゴルフ』は長らく同社から発行されていたが2009年、株式会社パーゴルフ・プラスとしてスピンアウト。2011年に売却され、2014年にはライバル誌をかかえる株式会社ALBAに譲渡されその後、合併もありグローバルゴルフメディアグループ株式会社により運営されて来た。そして、この度50年の歴史に幕を下ろすかたちとなった。


この一連の流れの中、新人時代の先輩が「パーゴルフ」の代表取締役社長を務めていたという経緯もあり、勝手に思い入れがある雑誌が、この世から姿を消してしまうと考えると、創刊号マニアとしても、より一層、おセンチになってしまう。


いずれ、この世から雑誌そのものが消えてしまうのだろうか……。


■隔週なのに、『週刊パーゴルフ』


1971年10月7日号として、この世に生を受けた『週刊パーゴルフ』は、隔週刊号だった。隔週刊行にも関わらず「週刊」としてしまうあたりが、何事も中途半端な学研という会社の性格を表していよう。


編集兼発行人は、古岡勝。学研創業者・古岡秀人の甥にあたる。老舗出版社は世襲制であることが多いが学研もその例にもれず、21世紀がやって来るころまで社長は代々「古岡」だった。今、初めて知ったが、この古岡勝、武道家として著名なんだそうだ。いはやは。


ちなみに私が新人で配属された部署に遠藤さんという部長がいらしたが、この方が世襲以外ではじめて学研の社長になられたと記憶している。間違いならご指摘のほどを。


■『週刊パーゴルフ』を振り返る


山藤章二さんの手による『週刊パーゴルフ』創刊号表紙


創刊号の表紙は、似顔絵イラストの大家・山藤章二さんの筆によるジャンボ尾崎である。ちらっと調べると山藤さんが売れっ子となったのはこの頃。


週刊朝日』で名物連載「ブラック・アングル」をスタートさせる5年も前である点を振り返ると、学研もこの頃は時代を読み取るセンスがあったのかもしれない。


表紙をご覧になるとお分かり頂ける通り、創刊号の売りは「池永プロゴルファー転向か」と今は亡き不倫小説の大家・渡辺淳一による連載小説である。うむ、ゴルフ雑誌というよりも、むしろ文春のような香りがする。


全体的に読者も50代あたりをターゲットにしているのではないかという作り。トーナメント情報よりも、接待ゴルフを軸に添えていたのだろう。私が日本のゴルフを嫌う理由がてんこ盛りだ。


創刊号表2の広告と「おデート」記事


表2は、岡村製作所による机の広告。数々の創刊号を眺めて来たが、私が知る限り机を表2広告とした唯一の雑誌である。


その対向に収まるコンテンツは「秋の夜の東京デート地帯」。東京・高輪のゴルフ練習場を舞台としたおデートの模様だが、お嬢さんのスカートの短さに注目。「ミニの女王ツィギー初来日が1967年という時代ゆえに、まだこの丈が旬だったわけだ。


記事の見出しはまるで『東京カレンダー』のようだが、時代性ゆえか、おデートもどうも野暮ったい。これが昭和40年代の「洗練」か……。


ジャンボ尾崎、日本プロ初優勝


7ページには「速報! やったぜ、ジャンボ! 尾崎、歓喜の初優勝」という見出しが踊る。試合速報あり……と思いきや、扉と合わせ4枚の写真掲載、200字ばかりの雑感で終わっている。


ジャンボ尾崎にとってプロゴルファー・デビュー以来、メジャー大会初優勝がこの年の「日本プロゴルフ選手権」。その速報だけに、もう少々力の入れようがあったのではないか、思わず文句をつけたくもなる。


創刊号目次 東京・芝に打ちっ放しがあったとわかる広告


15ページの目次をご覧頂くと、ゴルフ誌というより、より週刊誌の香りが立ち込める。「2大連載小説」の次が対談となっているが、そのタイトルは「社会党とゴルフ」。しかもゲストは田英夫(でん・ひでお)。


若い方はご存知ないだろうが、田は共同通信社会部出身のジャーナリストであり、TBSの『JNNニュースコープ』のキャスターとして名を馳せた、キャスター政治家の走り。70年にキャスター降板後、71年に参院選立候補、当時成り立てほやほやの新進議員だった。以降、社会党、社民党の重鎮として34年もの議員生活を送った。もはや、それだけで総合週刊誌ネタではないか。


「黒い霧事件」の池永がゴルフに転向というホットな特集


なんと言っても「特集 池永プロゴルファーに転向?」は香ばしい。いまや、プロ野球「黒い霧事件」を知るファンも少なくなったことだろう。


西鉄ライオンズをメインとしたプロ野球オートレース界を巻き込んだ賭博八百長疑惑であり、当時同チームのエース格だった池永正明が永久追放を受けた事件の総称だ。


池永は1965年に西鉄に入団、新人王となると69年まで5年連続オールスターに出場、6年目に「黒い霧事件」に巻き込まれるまで100勝を達成していたスターだ。そのエースが球界追放後にプロゴルファーとしてデビューするというのだから、スポーツ界も沸き立ったことだろう。


実は尾崎と池永は同じ1965年西鉄入団の同期。そのジャンボが、日本プロゴルフ選手権で初優勝という話題に並び、池永のゴルフ界入りは旬のネタすぎる。尾崎は西鉄で、実働3年。投手としては0勝1敗、外野手としてはヒット2本でキャリアを終えている。ところが堂々の100勝投手が活躍の場をなくし、ゴルフ界入りするという話題なのだ。創刊号の目玉特集となったのは、あまりにも当然だ。


残念ながら池永はその後、スポーツ選手として活躍の場を与えられることもなく、公の場でその姿を見るのは2005年の永久追放解除まで待たなければならなかった。


池永と尾崎、100勝と0勝。しかしゴルフ界では、ツアー94勝12度の賞金王となったレジェンドのジャンボ、一方、事件後は世間から陽の目を見ることのなかった池永、凡人の我々は、そこに人生の光と影を見るばかり。


なお、池永の永久追放は、球界のあるレジェンドをかばうためだったという噂もあり、もはや真相はそれこそ黒い霧の中だ。


いや、創刊号の話だ。


優待券の「付録」 廉価に思えるが……


とじ込みには、愛読者特別優待割引券がついている。2515円などと破格のコース料金に思えるが、当時は都内の公団の家賃が月1万円程度。今で言えば2万、3万のコースフィーと考えられるので、それほどカクヤスというわけではない。


今も昔も、ゴルフは富裕層のスポーツ!?


33ページには、サンユウ産業によるゴルフ場会員権の広告が掲載されている。写真では細かくて読み取れないかもしれないが、千葉の鷹の台が410万円。現在で言う「億」の単位に見えたことだろう。ラーメン一杯100円程度。大卒公務員の初任給が4万円という時代。


現在の価値に並べるには、少なくとも「0」はひとつ加えたほうがよさそうだ。このページ上、もっとも高額なコースは、小金井の1350万円。次点が相模原の670万円といったところ。いやはや。今も昔もゴルフは金持ちのスポーツである。


特集「ジャンボの前進」


連続写真で見るジャンボ尾崎のショット


63ページからは、「ジャンボの前進」と題し、またも尾崎の特集。イラストと分解写真でスイング解説しているあたりが、AIとアプリ全盛の今となっては牧歌的でさえある。その後ろには「ポラロイド・スイング診断」とし、読者の希望によりゴルフ場へ「ポラ」撮影に足を運び、その一枚でスイングをチェックするという企画。時代を感じさせる。


ポラ写真によるスイング診断


興味深いのは、96ページで募集されている「学研コンピュータによるあなたのゴルフ診断」。読者から、過去のスポーツ経験、ひと月のラウンド回数、年齢、身長、体重、握力、手のひらの大きさ、ハンディ、腕立て伏せの回数などを募り、これで読者に合った、クラブの長さ、重さ、バランス、グリップの太さ、ボール、3年後のハンディをはじき出すという。


むむむ、学研にそんなコンピュータがあったのだろうか。アップルIIが登場する10年ほど前のお話だ。今のところ諸先輩方から、この情報については伝わって来ないので、すべては謎のまま。何か判明すれば追記したい。


「学研コンピュータによるあなたのゴルフ診断」


114ページには「ドタコン漫歩」という連載が見えるが、その第1回は「聖心女子大ゴルフ部合宿の巻」だ。確か、パーゴルフに配属になった同期は、聖心女子ゴルフ部主将だったのではあるまいか。創刊号で母校が取り上げられていたと、ご存知だった?


「ドタコン漫歩」では、聖心女子大のゴルフ部がテーマに


巻末の「フォトニュース」では謝永郁(シャ・エイイク)が「若手」の尾崎、青木功をいなし、関東オープン選手権3連覇を飾った記事が掲載されている。誰でも「若手」の時代はあったのだ。


表3には舞鶴カントリー倶楽部の広告、その対向は「わが社の看板娘」として三井物産鉄鋼1部の佐鳥利智子さん(20歳)のワンショットで締めくくられている。その本文には「処女ラウンドのパートナーの金的を射止めるのは誰か?」とある。この一文は、男女機会均等法が現れるはるか前の時代ならでは……と笑い飛ばすしかないだろうか。


週刊誌お決まり(!?)のお嬢様コンテンツ


表4は、いまは亡き若き高倉健による「飲んで貰います!アサヒビールの広告。「スーパードライ」ではない「アサヒビール」は、昭和40年男である私にとってもまったく記憶にない。ラベルを見る限り、ラガービールだったようだが、どのような味だったのか日頃、BAR評論家を名乗る私としても、もはや知るよしもない。


まだスーパードライではない頃のアサヒ


雑誌ではないが、学研は一時「パーゴルフ」というゲーム玩具も発売していた。「ぱ、ぱ、ぱ、ぱ、パーゴルフ♪」というテレビCMを流していたほどなので、ご記憶の年配者もいらっしゃるだろうか。これは同期に指摘され思い出した。


スポーツ界において、ゴルフはまだまだドル箱人気スポーツ。そんな中でも紙媒体は消えゆく現実に直面すると、やたらと寂しいもの。いや、きっと機会があれば『週刊パーゴルフ』は復活を果たしてくれるに違いない。


パーゴルフ、また会いましょう!


著者プロフィール


たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー


『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。


MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。


推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。


リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。


著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

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