セーリング男子・富澤慎が4度目の五輪に懸ける想い「ここまでやってダメなら、もうそれは自分がそこまでだったということ」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

セーリング男子・富澤慎が4度目の五輪に懸ける想い「ここまでやってダメなら、もうそれは自分がそこまでだったということ」

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セーリング男子・富澤慎が4度目の五輪に懸ける想い「ここまでやってダメなら、もうそれは自分がそこまでだったということ」
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2020年、東京オリンピック。

初めて参加する選手は若さを思う存分ぶつけ、ベテラン選手は自身のキャリアの集大成をこの祭典に合わせてくる。

セーリング男子RS:X級日本代表として、2008年の北京オリンピックから3大会連続で出場してきた富澤慎(とみざわ・まこと)選手も、そのベテラン選手の一人だ。

現在、34歳。東京オリンピックを迎えるころには36歳になる。

「今までで最高の状態。メダルを取る」

日本ではこの競技にまだ馴染みがなく、耳目が集まることはそう多くなかったが、今回の大会で陽の目を見ることになるだろう。

この度編集部では、富澤選手の競技生活、そして”人生”に迫った。

(聞き手・撮影=大日方航)

風に引っ張られている感覚に、次第にハマっていった


セーリングが趣味という父親に連れられて、小学2年生ごろから競技をはじめたという富澤選手。

「エンジンではなく、自然の力を利用する競技はそう多くない。風に引っ張られている感覚に、次第にハマっていった

セーリングが楽しくなってきたのは中学生ごろ。滑走状態で走行することを「プレーニング」というが、これができるようになってきたからだ。

板が跳ね、時速25km程度の速度が出る状態を楽しむ。この状態をコントロールできることが、初級者と中級者の分かれ目だという。



高校2年生までは、水泳や水球を同時並行で取り組んでおり、セーリングはまだ趣味の一つに過ぎなかった。しかし、ある大会を機に本格的に打ち込むことを決意した。

新潟県柏崎市で行われたユニバーシアード(学生のオリンピックとも呼ばれる)で、同世代の選手に危うく後塵を拝しかけたのだ。

それまで同世代の中では頭一つ飛び抜けていた富澤選手にとって、この出来事は衝撃だった。

これを機に他競技をやめ、セーリングに専念することを決意した。実際に敗北したわけではないのに、「危機感を感じたから」という理由で。かなりの負けず嫌いな性格なのだろう。



セーリングは「海上のマラソン」


セーリングは、風を動力として、水上を滑走する速さ・技術を使い、順位を競う競技。レース海面に設置されたブイ(マークのようなもの)を、決められた順序で決められた回数を回ってゴールラインを目指す。

日本ではまだ馴染みのない競技だろう。富澤選手はこの競技を説明するとき、「陸上に喩えると、マラソンのようなもの」と伝えるという。

「大体30分くらいのレースを10本行い、合計で結果を出します。風が強いときは時速40kmくらい出ます。迫力があるので、ぜひ近くで見てもらいたいですね」



2020年の東京オリンピックで、セーリングは江の島ヨットハーバー(藤沢市)を舞台に行われることが決まっている。

富澤選手は「大学から鎌倉拠点でやっているので、かれこれ15年くらい江の島での経験を積んでいる。ホームは絶対にアドバンテージがある」と自信を見せている。

江の島ヨットハーバー (c)Getty Images

キャリアとしての集大成…強力な助っ人と共に


北京、ロンドン、リオと過去3大会に連続で出場してきた富澤選手。東京については「年齢的に、恐らく最後になる」と位置付けるように、2020年はいわゆる「集大成」だ。

これまでのオリンピックと異なるのは、リオが終了してからイギリス人のコーチ(ニック・デンプシー氏)をつけ、練習環境をガラッと変えたことだ。

ニック氏は、アテネで銅メダル、ロンドンとリオでそれぞれ銀メダルを獲得している元セーリング選手。ニック氏がコーチに就任した後、海外遠征が格段に多くなった。1ヶ月のうち2週間ほどは海外に滞在しているという。

セーリング界に顔が利く同氏の人脈により、海外の一流選手と一緒に練習できる機会が大幅に増えた。そうした環境で練習を重ね、富澤選手は自身の成長に確かな手応えを感じている。

ニック・デンプシー氏 (c)Getty Images

冗談が現実に?


強力な助っ人となったニック氏のコーチ就任には、こんなエピソードがある。

共に出場していたリオオリンピックの会場で、「ニック氏がリオで引退する」という情報を得た富澤選手は、「じゃあ、俺のコーチやってくれない?」と冗談混じりに提案してみた。すると、ニック氏は真剣な表情で「いいよ」と返答。それからトントン拍子に話が進んだ。

富澤選手によれば「セーリングの選手は、陸に上がればみんな仲が良い」という。それゆえ、選手同士で食事をすることもしばしあるのだとか。そんな文化が生んだ愉快なエピソードだといえよう。

過去のオリンピックを振り返る


北京、ロンドン、リオ。オリンピック3大会に連続で出場してきた選手は、そう多くはない。過去の大会については、どんな印象を抱いているのだろうか。

「北京は、『怖いもの知らず』というメンタルで臨んだ大会。当時の会場は得意な『風が弱い』コンディションだったこともあって、10位という結果を残すことができ、良い思い出になっています」

「ロンドンは風が強く、当時苦手としていたコンディションでした。その苦手意識を持ったまま臨んでしまい、28位という良くない結果に終わってしまいました」

「リオは、風が強い環境に対して苦手を克服できたものの、守りに入ってしまった。今までで一番悔しい大会でした。過去2大会の経験もあり、確実にいこうとしすぎたことが裏目に出てしまったのかもしれません(結果は15位だった)」

(c)Getty Images

10位、28位、15位。集大成となる東京オリンピックで富澤選手が狙うのは、もちろんメダルだ。

「東京オリンピックは、世界一のコーチがついているし、今までで最高の環境で臨める。ここまでやってダメなら、もうそれは自分がそこまでだったということ



家族の存在が競技に与えるもの


3歳と6歳。2人の子どもを育てる富澤選手は、家では”普通の父親”だ。「基本的には競技漬けの日々ですが、オフの時間は普通に子育てしている感じですかね」と明かす。

「競技に家族の存在がどう活きているかはわからないですが、自分にとって大切で、守るべき存在であることは間違いないです

子どもたちを何度も海に連れていっているという富澤選手は、「(子どもたちは)船に乗っている間は楽しんでるんですけれど、海に落ちると一気にテンションが落ちちゃうんです。まずは海に慣れないとダメですね、水泳をやらせなきゃ」と微笑む。

「やりたいことは自分で決めさせる」と言うが、自分が人生を懸けて関わってきた競技を子どもたちが取り組んでくれたら、嬉しいに違いない。

リオでは治安の関係もあって家族が会場を訪れることはできなかったが、東京は間違いなく応援に訪れるだろう。「(家族が会場に来ることで)何が変わるかは分からないけれど、頑張らなきゃな」と、優しそうに笑いながらこぼした。



今後の人生で、成し遂げたいこと


最後に、今後の目標を改めて尋ねてみた。富澤選手は人生における3つの目標を語ってくれた。

「1つ目は、後継者を育てること。自分も世界一のコーチから指導を受けて結果がどんどん出ているので、それを若手にもどんどん伝えていきたいです」

「2つ目は、どこまでオリンピックに出場できるのか、自分を試してみたいという気持ちもあります。葛西紀明さんのような選手には流石になれないかもしれませんが…(笑)」

「3つ目は、トヨタ自動車東日本で仕事に打ち込むことです。与えられた仕事はなんでもやる、という気持ちで全てに取り組んでいきたいです」



編集後記


取材後、富澤選手のトレーニングの様子を間近で見せてもらった。この日は風が弱く、それゆえ、「自分の力で風を掴み取らなければならない」という状態だった。

実際にそれを目の当たりにし、富澤選手が言った「海上のマラソン」という喩えが、より身近なものとして理解できた。



トレーニング時間は30分。富澤選手は船を動かすために肉体を動かし続けた。

トレーニングが終了した途端に「疲れたー!」と叫ぶと同時に、海に倒れこんだ富澤選手。自身の限界を追い求める姿を、そこに見た。



「現在、自身に足りていないと思うところはありますか?」

そう尋ねると、富澤選手は「ニックに、いつも言われていることがあるんですけれど…」と切り出した。

「日本人は優しすぎる、と。レース中も、相手に遠慮してしまうところが無意識であるのかもしれないですね。海外のレースだと、とにかく人が嫌がるコースを取ろうとしてくるので。『ルールを破るくらいの気持ちでいけ』と言われます。実際に反則をしてはいけませんが、そのくらいの気概でいかなくてはいけないのかもしれません」

「船酔い、大丈夫ですか?」とボートに乗りながら撮影していた私にまで気を遣ってくれた富澤選手だ。

優しい性格であるがゆえに、勝負の世界ではそれが少し裏目に出てしまうこともあるのかもしれない。

勝利に徹し、富澤選手が表彰台に乗っている姿を2020年、ぜひ見たい。

富澤慎(とみざわ・まこと)




2008年北京オリンピック以降、国内トップの実力を維持し、日本では負け無しの実績を誇る。

近年は国際大会でも好成績を収め、ベテランながら今もなお向上を続けている。

過去3大会の経験を活かし、セーリング日本代表「日の丸セーラーズ」として、地元開催でのメダル獲得に期待がかかる"日本のエース"

■プロフィール
・1984年7月19日生まれ。新潟県出身。
・身長182cm、体重72kg
・家族構成は妻、長女、長男
・トヨタ自動車東日本に所属

■略歴
・2003年 新潟県立柏崎工業高等学校を卒業
・2007年 関東学院大学人間環境学部を卒業。
・2007年 関東自動車工業株式会社に入社(2012年の統合により、トヨタ自動車東日本に社名変更)

■主な実績
・2007年 世界選手権(北京オリンピック代表選考大会)18位(日本人最上位の成績で初の五輪代表選出)
・2008年 オリンピック競技大会(北京)10位(ウインドサーフィン種目、日本人歴代最高位)
・2012年 世界選手権(ロンドンオリンピック代表選考大会)14位(世界選手権、自己最高成績で2度目の五輪代表選出)
・2012年 オリンピック競技大会(ロンドン)28位
・2013年 世界選手権11位(世界選手権、自己最高成績)
・2015年 オリンピック競技大会(リオデジャネイロ)15位
・2016年 ワールドカップシリーズファイナル3位(ワールドカップ自己最高位)
・2017年 ワールドカップシリーズ(日本大会)4位
・2018年 ワールドカップシリーズ(フランス大会)5位(EU開催大会での最高位)
・2018年 ワールドランキング(2018/8/4現在)4位(自己最高位)
《大日方航》
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