世間が旅人に「なぜ旅をするのか?」と問いかける理由 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

世間が旅人に「なぜ旅をするのか?」と問いかける理由

オピニオン コラム

世間が旅人に「なぜ旅をするのか?」と問いかける理由
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昨年、半年間の海外放浪をしました。

「なぜ旅に出たの?」

という問いかけを幾度となくされましたが、なかなかこの答えを言語化することはできず、「『自分』が大英博物館あたりに飾られていると思ったから」などと適当な答えではぐらかせていました。



自身の感想にすぎませんが、一昔前のバックパッカーのバイブル『深夜特急』(沢木耕太郎)の終盤では、筆者は「自身が旅をした意味」を問い続けていたようにも読めました。

「なぜ旅をしているのか」

この答えを明確にすることが、流行っている時代にも思えます。おそらくそれは個々の発信手段が整ってきているからなのかもしれません。旅人のブログにも一貫したテーマがあったり、「◯◯をする旅」と銘打ったクラウドファンディングもしばし見かけることがあります。

まぁ、発信力が強まっているからこそ、答えを明確にするべきという時代に「見えている」だけなのかもしれないですが。



そもそも、一昔前より旅は格段にやりやすくなっています。海外旅行が一般人にも自由化されたのは1964年の話なので、それから50年ばかりで相当門戸は開かれ、情報も倍速的に溜まり続け、円の価値も変化しました。

だから、旅のスタイルが多様化しただけの話かもしれないです。

答えを用意するのは容易いです。「~だから世界一周した」というテーマをもって旅をしている人を見ると、尊敬の念を抱きつつも、疑問符がつくこともありました。人が旅をする理由は、もっと曖昧模糊とした、一言では言い表せないものに思えていたからです。



「なぜ旅をしているのか」

意識し過ぎかもしれないですが、その質問は一部のバックパッカーの間ではタブーに近い存在であり、聞いてしまったら何かの決まりが音を立ててガラガラと崩れ落ちるようにも思えていました。まぁ、「特に理由はない」というのがお決まりの回答例のひとつなのですが。



リオオリンピックで出会い、ブラジルを共に旅した仲間に問いかけたことがあります。

「理由っていうのは、自分があまりやりたくないことをするときに作り出すものだと思うねん。お金を作るために仕事をする、スキルを身につけるために教室に通う、とかな。自分が好きなことやってるときに、わざわざ理由探したりしないもんな」

なるほど、と思いました。楽しいからやる、それで充分なのかもしれない。



さて、『なぜヒトは旅をするのか』(榎本知朗)によると、「旅」をするのはヒトだけらしいです。

旅というのも定義によるでしょうが、「ある集団の生活圏を出て移動し、ふたたびその生活圏へ戻ってくる」という行動様式をこの本では旅としています。

動物の移動様式には、こういった形のものが存在しないらしいのです。

確かに「移動」する動物は多いです。渡り鳥やサケなどの回遊魚や、哺乳類のヌー。また、ニホンザルのオスは、おとなになるまでに群れを去るそうです。チンパンジーではメスがよその集団に居付きます。しかし、彼らはもといた文化圏に戻ってきません。

さらに、これらの移動は、みな『生活圏内の移動』だということです。ヒトだけが、移動のあと『もといた自分の文化圏』に戻ってくるというのです。



なるほど。

ここに、「なぜ旅をするのか?」と世間が旅人に問いかける理由のヒントがあるようにも思えてきました。

つまり、共通認識として世界を旅している彼らを、いつか「もといた文化圏」=一般的に想定される「社会復帰」(旅をしながら稼ぐノマドワーカーも増えているが、それは「文化圏」に戻っているわけではないと思われる)をする前提で捉えているのでは。

彼らが旅で何かしらの学びを得て、「社会復帰」をした後に、元の文化圏に帰ってきて、何かをする。そういった前提(無意識の期待?)があるからこそ、「なぜ旅をするのか」という問いかけを周囲はするのではないでしょうか。



また、この本には、遺伝子がどれだけ次世代に複製を残せるかの指標である「包括適応度」という概念が、人の「旅を好き」という気持ちを後押ししているのではないかという説が提唱されています。

「"新世界"が見つかったとき、旧世界が得た新情報は数多い。その中で、旧世界の人口増加にあずかったのは、中南米からきた作物だった。それは、ジャガイモ、トマト、ピーナッツ、トウガラシ…(中略)などである。」

「古今東西、旅によって得られる世界情報は常になにがしかの価値があった。情報は玉石混交であったにせよ、作物などの情報は確実に包括適応度を上昇させたに違いない。そうなるとヒトの進化の過程で『旅する心』が遺伝的に固定されたはずである。(中略)さりながら、ヒトの精神に植えつけられた『旅する心』は、人をして『世界を知りたい』とか『旅が好き』と言わしめるのである。」



うーん、なるほど。

もしかしたら、本当は皆旅がしたいのかもしれません。この欲求が、遺伝子にインプットされているのだとしたら、睡眠欲や食欲までの次元には到達しないまでも、本能的にする行動のはずなのですから、そこに理由なんてないのです。

また、旅が本来は「元いた文化圏に何かを還元するもの」であったのだとしたら、自分は半年間の旅の経験を、どう自分のいるコミュニティに還元できるのか、考えなくてはいけない気になってきました。

うーん、なんとなくスッキリしたような、余計モヤモヤしたような。やっぱり動機ってやつはごちゃごちゃ考えるものじゃないんだな…。
《大日方航》
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