【THE INSIDE】企業の看板と地域の期待を背負った都市対抗野球の魅力…社会人野球クローズアップ(3) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE INSIDE】企業の看板と地域の期待を背負った都市対抗野球の魅力…社会人野球クローズアップ(3)

オピニオン コラム
日本新薬・東芝
  • 日本新薬・東芝
  • 三菱重工名古屋・日立製作所
  • 10年連続出場の表彰を受ける東芝・井川良之(土浦日大→城西大→三菱ふそう)
  • JR東海から三菱重工名古屋に補強され、初戦で先発した若林(北海道栄→関東学院大)
  • セガサミー・横田(飯能南→上武大)
  • 外野席まで埋め尽くした日立製作所応援席
  • 始球式に臨んだ女子プロ野球・京都フローラの小西美加
  • 盛り上がる三菱重工名古屋応援席
第88回都市対抗野球が東京ドームで真っ盛りである。都市対抗野球は、昭和の声とともに誕生。1927(昭和2)年に毎日新聞が音頭を取り、当時大人気だった春と秋の六大学野球のリーグ戦の間の夏に、大会を作ることはできないものかというところから始まっていた。

早稲田出身の橋戸信と、慶應出身の小野三千麿が、いずれも東京日日新聞(現毎日新聞)記者となっていたということも大きく影響していた。これは、野球の発展とメディアの存在という位置関係が、現在でもなお他のスポーツとは比較にならないほど強いということの要因のひとつともいえる。

そして、現在も都市対抗野球は、主催する毎日新聞社にとっては夏の大事業として高校野球以上のイベントである。

当初は実業団や倶楽部のチームを、都市の代表チームとして神宮球場に集めて、1927(昭和2)年8月3日に第1回都市対抗野球が開催されている。これがやがて、アマチュア球界の最高峰となっていく“真夏の球宴”として都市対抗野球が定着していくのだ。

42年の第16回大会後、太平洋戦争の戦況の悪化で3年間の中断を余儀なくされたという暗い歴史もある。しかし、終戦の翌年46年には16チームが参加して復活している。高校野球がそうであったように、社会人野球もまた、敗戦からの復興を目指す日本人にとって、大きな活力となっていったのだ。

外野席まで埋め尽くした日立製作所応援席

そして以降は、日本の高度成長とともに野球そのものが大人気となっていき、プロ野球が人気スポーツの筆頭になっていく中で、社会人野球は「ノンプロ野球」とも言われていたが、その言葉の背景は「プロではないけれども、プロに極めて近いレベルにある野球」というとらえ方でいいであろう。

その最高峰の戦いの場が都市対抗野球なのだ。代表チームの企業名を見ていくだけで、まさに昭和から平成の時代の流れを見ているようでもある。時代の発展や産業界の変化とともに歩んできたといってもいいであろう。

また、都市対抗野球の特徴として、予選で敗退したチームから代表チームは補強選手を加えて(現在は3名まで)本大会に臨めることでもある。普段はお互いにライバルとしてしのぎを削っている者が、この大会の間だけは仲間として同じ目標に向かって戦うのである。これもまた、都市対抗の面白さだという人もいる。その、補強選手をどう生かすのかというところも、都市対抗を戦っていく上での大事な戦略である。

19日の1回戦での東京都セガサミーは、名古屋市東邦ガスに追い上げられていく中で、明治安田生命からの補強となった井村滋(横浜創学館→國學院大)に貴重な2ランが飛び出し、突き放して勝利をものにした。6番三塁手として起用した初芝清監督の期待に応えた。初芝監督も試合後、「7回の井村の一発は、試合の流れからも大きかった」と喜んでいた。セガサミーとしても、12年以来の東京ドームでの勝利となった。

また、企業の業績をモロに受けるのも都市対抗のもうひとつの姿である。今年、会計不正問題が明るみに出て、会社の経営立て直し中の東芝は、そんな状況の中で果たして野球部はどうしていくのかと心配された。今年は、恒例となっていた松山市での3月の春季キャンプも自粛。チームも、春は3つのJABA大会に出場したものの、四国大会、長野県知事旗争奪大会、九州大会と、いずれも1次リーグで敗退。予選も初戦で三菱日立パワーシステムズに完封負けという状況。そんなところから這い上がってJX-ENEOSを下して何とか第2代表を掴んだ。

「今こそ、東芝グループが一体となっていかなくてはいけない。野球がその場を提供できれば…」という思いで挑んだ大会である。初戦で敗退するわけにはいかなかったのだが、新人の岡野祐一郎投手(聖光学院→青山学院大)が魂のこもった投球で、京都市日本新薬の前に立ちはだかって、勝利をもたらした。

東芝・岡野投手は魂のこもった投球

東芝としては創部60年目でもある。野球だけではなく、バスケットボールやラグビーでも、つねに企業スポーツの先頭を走り続けてリーダー的存在となってきていた東芝である。その母体が危機状態にある中で、野球部の都市対抗の初戦突破は、単なる1勝だけではない、大きな意味のある1勝ともいえよう。

こうして、さまざまな話題を提供しつつ、都市対抗の魅力は尽きない。全国では、高校野球の地区大会が真っ盛りのこの時期である。高校球児たちにとっても、プロに進む選手以外は、大学~社会人と積み上げていくであろう野球人生のロードのひとつのゴールでもある。選手たちには、社会人まで野球を継続していかれる誇りと幸せを感じながら戦ってほしいと願っている。
《手束仁》

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