モハメド・ファラー、オリンピックでの勝利を目指す | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

モハメド・ファラー、オリンピックでの勝利を目指す

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モハメド・ファラー、オリンピックでの勝利を目指す…ナイキ
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ナイキは、長距離ランナーであるモハメド・ファラーの歴史を公開した。

モー・ファラー(モーはモハメドの愛称)は、2012年ロンドンの10,000メートル決勝に出場すると、残り3周というところから、おなじみのダッシュでフィニッシュラインまで駆け抜けて優勝した。しかし、彼のサクセスストーリーはこれで終わりではなかった。

1週間後にスタジアムに戻ると、5,000メートル走の決勝に出場。妻のタニアが双子の出産を控えていたことから、ファラーは金メダル1つでは足りない、2人の赤ん坊が生まれてくるなら、メダルが2つ必要だと考え、優勝を掴み取った。

自身も双子であるファラーは、1993年ソマリアのモガディシュで兄ハッサンの数分後に生まれた。2人が8歳の頃にロンドンに移住する予定があったが、ハッサンの具合が悪くなり、家族はハッサンを残してロンドンへ向かった。しかし、数ヶ月後にソマリアで内戦が勃発。

ハッサンが親戚と避難したため、彼を迎えに戻ってきたファラー一家は、ハッサンなしでロンドンに戻った。ファラーの成長に、この別れが影響を与えた。日々の生活は難しく、学校でケンカになることもあれば、恐怖心、孤立感、焦燥感に駆られることもあったという。

ファラーがサッカーに安らぎを見出し、地元のクラブに入団すると、彼のランニングスタイルが体育教師の目にとまった。11歳のファラーは、教師に地元のランニングクラブに入ることを勧められた。当時のことをファラーは「周囲の助けなくしては、これまで成し遂げてきたことを達成する事はできなかったと思います」と語る。

1997年には、イングランド学生クロスカントリー選手権大会(English schools cross-country championship)で初優勝。その後も幾つかの大会で優勝を続け、2001年にヨーロッパジュニア陸上競技選手権大会5,000メートル走に出場。金メダルを獲得した。

この期間中、トレーニングキャンプのためにフロリダ州に訪問したファラーは、結果を出せば、その度に地元の外へと行くことができることを知った。勝利すれば、その分ハッサンに近づくことができることに気がついたのだ。

一流コーチの下でトレーニングし、高いレベルで競技を続けながら生活していくためにファラーは働き、2003年にようやく兄を探すためにソマリアに戻るだけの貯金ができた。兄と再会したファラーは、すぐにお互いの事がわかったという。

兄との再会で心に空いていた穴が埋まったファラーは、ロンドンに戻り、本格的にランニングキャリアをスタートさせた。2005年は「分岐点となった年」で、その年彼は、ケニアのエリート長距離ランナー達と同じ家に移り住んだ。

この経験が物の見方を大きく変えたというファラーは、「ケニアの仲間達を見た時、私は目が覚めました。今後も彼らと競っていかなくてはいけないなら、僕はもっと頑張らなくては、と思わされました。2005年以来、本気になり、私の生活は食べる・寝る、そして練習が中心となり、今もそれは変わりません」と話す。

トレーニングの中身を濃くしたファラーは、2006年にヨーロッパクロスカントリー選手権大会で金メダルを獲得。自己最高記録を13:30.53 から13:09.40に更新した。同時に、激しい失意の味も知るようになった。2008年、北京での5,000メートル走に出場した彼は、決勝に残ることができなかったのだ。

この負けを1つの兆しと捉え、これからは多角的なトレーニングを試し、注力する点を改める必要があると考えたファラーは、トレーニング方法を変更した。2011年には、新しいコーチへ師事し、新しい土地へ移動。

ファラーは「毎週、毎月の積み重ねが、自分の力になります。実際、レース自体は楽な部分です。レースの事を考えないわけではありませんが、トレーニングこそがすべての始まりです」と練習量の大切さを語る。

2014年は健康面での心配があったものの、2015年には2マイル走で世界最高記録を更新、世界陸上では5つ目のタイトルを獲得。しかし、今年前半に行われた世界ハーフマラソン選手権では惜しくも3位に終わった。これらの経験によって、ファラーの意志はさらに固いものとなった。

「私の背中をライバル達は追ってきます。彼らは私の事を全部把握しているし、研究してきます。勝負はどんどん厳しくなっていきます」とファラーは話す。それでもファラーは、まだランナーとして終わりは来ていないと証明しようと考えている。

「競技を楽しむことができなくなり、もうやりたくないと思う時が来れば、それが引き時です。でも、私はまだそう感じたことがありません。これまで以上に、大会に参加し、子供達のため、家族のため、自分自身のために走りたい。勝ちたい。歴史を作りたい」と、オリンピックへ向けての意気込みを語っている。
《美坂柚木》

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