プロに届かなかった男の美学…120キロ→145キロの挑戦 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

プロに届かなかった男の美学…120キロ→145キロの挑戦

スポーツ まとめ
相原雅也氏
  • 相原雅也氏
「新たな目標は、怪我で苦しむ人を救う」

 現役引退を決めた相原さん、一度は野球以外の事をやろうと考えましたが、野球一筋できた人生。なかなかそこから離れることは難しい事でした。指導者として野球に携わろうと一念発起し、働きながら通信過程で教員免許を取得。2011年からは福島の高校で非常勤教員としての勤務が決まりました。しかしその年の3月に起こった東日本大震災。教員としての挑戦は白紙に戻ってしまいます。目標を失いもやもやした時間を過ごす中、ある日見た夢が、大学から通い続けたトレーナー石崎さんと共に、肩を動かし、その効果を喜ぶ自身の姿でした。

「ああ俺のやりたい事はこれだなと。自分の動きが劇的に変わった感動を子供達にも体験させたい」

 石崎さんが導入していたマシンを扱う是吉興業株式会社を調べ、これまでの経緯を切々と語った相原さん。会社は当時人員募集をしていなかったものの、その並々ならぬ熱意は新たな活躍の場を得るに十分なものでした。

 現在、相原さんは是吉興業株式会社 販売事業部のマネージャーとして、トレーニング器具の販売促進やアスリートへのインストラクターをおこなっています。この仕事を通じて常に感じるのは「医療機関は痛みを取り除くことはできても元の原因を断つことは難しい。間違った体の動かし方、投げ方を直さないと、怪我の再発予防にならない」という事。その為に医療関係者を集めて投げ方の指導法を教える「スローイングクリニック」を実施するなど、意欲的に動いています。

 その根底には「シンプルに、怪我をして野球を辞める人を減らしたい。僕は一流ではないが、正しい投げ方を知る事で超一流になれる選手がいるかもしれない。その役に立ちたいんです」という熱い思いが流れています。

 最終的にはプロという目標こそ叶いませんでしたが、成功と挫折を繰り返しながらも、あくなき挑戦を続けてきた相原雅也さん、インタビューの中で一番印象に残った言葉があります。

「物事を決断する時に、“たられば論”は一番カッコ悪い。挑戦してダメだったら、身を持って経験できれば自分の力量もわかるし、後悔もない。やりきって納得して自分で線を引きたかった」

 真剣に悩みその答えを追い求めてきた真摯なまなざしはこれからも同じく野球を愛する人へと向けられています。

(取材:小笠原大介)


■相原雅也さん プロフィール
1980年茨城県取手市生まれ 小学校3年で野球を始める。藤代高校に投手転向。中央学院大学軟式野球部ではエースとして東日本大会連覇。2005年四国アイランドリーグ、高知ファイティングドッグスに入団し、11勝。06年には17勝を挙げて最多勝利。2007年に社会人新日鐵住金かずさマジックに入団。主に中継ぎ、抑えとして登板し2008年に現役引退。現在は是吉興業株式会社 販売事業部のマネージャーと傍ら、怪我をしない投球フォームを伝授する「スローイングクリニック」を主宰する。

(原題:球速120キロから145キロを実現した相原雅也氏のストーリー6)
《記事提供:Timely!WEB》

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