四国アイランドリーグでの成功…球速120キロ→145キロを実現 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

四国アイランドリーグでの成功…球速120キロ→145キロを実現

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「四国アイランドリーグでの成功」

 発足した4球団が合同でおこなった入団トライアウトは1500人の応募者の内、合格者はたた100人という狭き門でしたが、50mと遠投の足切りをクリアしてブルペンでのピッチングに挑んだ相原さんは「体感で140キロ台は出ていたと思う。自分の持っている力は出せたかなと」と語る通り、その投球内容が認められ、見事、高知ファイティングドッグスの入団を勝ち取ります。

 となると、大きな決断も同時に迫られました。銀行員としての安定か、野球選手としての挑戦か。 しかしトライアウトを受ける段階ですでに相原さんの決意は固まっていたと言います。

「もし受かったら野球は続ける。ダメだったら野球はスッパリとあきらめよう」

 早速、茨城に戻ると退職の理由に添える為、アイランドリーグの資料を集めてプレゼン資料の作成を開始。「銀行員が嫌で辞めるのではなく、まだ見ぬ自分の可能性を天秤にかけた上での挑戦である」と心を込めて伝えました。支店長から返答と同時に渡されたのは現金6万円が入った封筒と「これだけあればお前の好きなフルオーダーのグローブが作れるだろう」の言葉。そのお金は支店長が支店の仲間に掛け合って集めてくれたものでした。

「自分の身勝手な挑戦にこれだけの人達が応援してくれている。もう自分だけの話じゃない。プロは難しいかもしれないが、可能性はゼロではない。やりきって必ず結果を出そう」相原さんは身が引き締まる思いで高知へと向かいました。

 当時24歳で高知の土を踏んだ相原さんはこれから始まる野球一色の生活に期待を膨らませる一方で、ある焦りを感じていました。「1年が勝負。1日1日野球をやれる時間は削られていく。リミットから逆算をしていかないと」覚悟を決めて再び飛び込んだ硬式の世界。

 最初の合宿から結果を出そうと、一日100球近く投げ込みますが、先発しても5回までしか持たないなど、早速壁に当たります。そんな時に出会ったのが、初代監督となった藤城和明監督でした。かつて巨人や阪急で投手としても活躍した藤城監督は、相原さんの問題点を見抜き、軟式でしみ込んだ肩から先で投げるクセを矯正。背中や下半身の大きな筋肉を使って投げるように指導するなど、徹底的に投球フォームにメスを入れました。

 結果、球速は145キロまで伸び、故障をしない体を創り上げた相原さんは、ファイティングドッグスの投手陣の大黒柱として1年目は11勝を挙げ、優勝に貢献。2年目は17勝と最多勝利投手となるなど、アイランドリーグを代表する投手とまで上り詰めました。

(取材:小笠原大介)


「球速120キロから145キロを実現した相原雅也氏のストーリー5」へつづく


■相原雅也氏 プロフィール
1980年茨城県取手市生まれ 小学校3年で野球を始める。藤代高校に投手転向。中央学院大学軟式野球部ではエースとして東日本大会連覇。2005年四国アイランドリーグ、高知ファイティングドッグスに入団し、11勝。06年には17勝を挙げて最多勝利。2007年に社会人新日鐵住金かずさマジックに入団。主に中継ぎ、抑えとして登板し2008年に現役引退。現在は是吉興業株式会社 販売事業部のマネージャーと傍ら、怪我をしない投球フォームを伝授する「スローイングクリニック」を主宰する。

(原題:球速120キロから145キロを実現した相原雅也氏のストーリー4)
《記事提供:Timely!WEB》

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