ナイキは、ジョーダンブランドの30周年を記念し、都内で発表会見を開催した。会見に登場したマイケル・ジョーダン氏は11年ぶりの来日となった。
ナイキの人気ラインアップである「エア ジョーダン 1」の登場から30年が経った。東京現代美術館では、10月16日~18日の間、「MUSEUM 23 TOKYO」を開催。マイケル・ジョーダン氏の軌跡をたどることができる展示となっている。
発表会ではマイケル・ジョーダン氏、ジョーダンブランド社長のラリー・ミラー氏、ジョーダン・ブランドのデザイナー、ティンカー・ハットフィールド氏が登壇した。
ハットフィールド氏は、マイケル・ジョーダン氏との関係を振り返り「マイケルと知り合って、ジョーダンブランド構築に向けとても協力的に取り組んでもらいました」と振り返る。
「マイケルに、車やクローゼットを見せてもらい、どういう風にスニーカーのデザインを変えていくか、考えました。バスケットシューズは機能的に優れているべきですし。ジョーダンがいてこそ、スニーカーの世界が変わったと思います。リーダー的な存在です」と称える。
「転機は、マイケルがバスケットボールの世界を引退して、小さい頃から好きだった野球を始めようとした時です。バスケットボールシューズは、彼が野球をやっているときも作っていました。マイケルは、バスケットボール以上の存在でしたし、文化として重要な存在であり、それを継続することが重要でした」
ジョーダン XI(11)も転機となったモデルだという。「当時はバーミンガムでシューズのデザインの話をしていましたが、その当時はマイケルらしさが失われがちになる傾向があり、努力を重ねました」
「理由は2つ。できるだけ新しいイノベーションをもたらしたいということ。そしてマイケルという存在はバスケットボール以上だと知らせたいということです。その後、彼は戻ってきましたね。本当に嬉しかったことを憶えています。マイケルのカムバックでした」
「私は、マイケルは一時野球に取り組んでいましたが、本当にバスケットボールを辞めるわけではないと考えていました。当時は3連覇のプレッシャーもありましたし、少し休みたかったのだという理解です。復帰の発表のタイミングで、ジョーダン11が登場しまして、そのなかでこの11をプレーオフで履いてくれました。彼がこれを履いているとき、皆さん驚いていましたね」
「そして数ヶ月後、ジョーダン11の発売にあたり、大変な行列や、モールのガラスが割れる、など熱狂的な状況を作ったことは周知です」。
《土屋篤司》
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