標高の高い山から眺める景色。それは、「最高!」という言葉で表現しきれないほどに最高であり、いつまでも眺めていたいものである。
だが、それをさせてくれないのもまた高山の魅力といえるかもしれない。天気の変化が激しいので、低山のように頂上でいつまでものんびりなどしていられない。それに、標高が高いゆえ歩行時間が長く、下山時間も考慮しないといけない。故に、限られた時間でしか、素晴らしい景色を眺めることができない。その制限が、景色をよりいっそう素晴らしく見せてくれるのだろう。
低山ハイクとの決定的な違いは、景色・天気の変化・歩行時間の3つであるように感じた。景色と天気は、こちらではどうしようもないが、歩行時間はどうにかしようがある。今回同行してもらったK嬢は、その歩行時間を歩行技術によって縮めようと努力を重ねていた。以前に、K嬢と一緒に茨城県の低山に登ったことがあったが、その時とは見違えるほどの歩行技術と体力を身に付けていた。
登りの際に、筆者が低山に登るかのようにいつも通りのスピードで歩いていたのに対し、K嬢は比較的ゆっくりであった(それでも筆者とそう変わらなかったが)。ゆっくりかつ、均一な速度。登っている最中はわからなかったが、高山を登り慣れているK嬢は、ペース配分を考えて登っていたのだ。
そうとは知らずに闇雲に登っていた筆者は、六号目あたりですっかりバテてしまい、K嬢に先を歩いてもらう羽目になった。K嬢は下山時でもピンピンしており、さらにそのスピードといったら走っているかのごとし。「下りは苦手」と以前に言っていたのが、嘘のようである。
その姿はまるでアスリート。そう、高山ハイクはレジャーではなく、スポーツなのである。
「なぜ、そんなに早く歩くの?」
下山時にK嬢に聞いてみた。
「もっとたくさんの山に登りたいから。それでいい景色をたくさん見たい」
K嬢いわく、高い山を縦走する時は歩く時間がカギを握るらしい。確かに、夏山では気温の低い午前中の方が天気が良い。ちんたらと登っていたら、頂上に着いたはいいが時間が遅くなってしまい悪天候になっていた、なんてことがあるかもしれない。速く歩けば、それだけ長い距離を短い時間で歩ける。たくさんの頂上をその足で踏み、そこからの景色を眺めることができる。
K嬢のいい意味で貪欲な精神は、アスリートそのものであった。目標に向かって努力する姿勢と発する言葉は、プロの世界で活躍をするアスリートたちの姿勢・言葉と瓜二つではないか。
夏の低山は暑いし、虫が多いから嫌だ。夏は高山に登ろう。
そのような不純な動機で登った筆者とは、根本からして違うのである。ならば、不純な筆者はおとなしく低山に登っているべきか。
否。次の目標を「ロープウェーやケーブルカーがある高山」に定め、夏の高山を楽しむ算段である。
《久米成佳》
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