日本の慣例や風習に従えば、このような状況下で記者会見に臨む場合、冒頭あるいは最後に「このような事態になったことを申し訳なく思います」といった類の言葉を残す。
しかし、アギーレ監督は最後まで謝罪の言葉を発しなかった。それどころか、開き直ったかのように堂々と、明瞭な口調でこう語っている。
「私はこれが大騒動だとは思っていない。スペインでもメキシコでもアメリカでもスキャンダルになっていないのに、日本ではこのようなスキャンダルになっているということだ。3シーズン前のとある1試合が調査されていて、その試合に関わった人々が呼ばれて証言するだけだ」
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◆「日本では私のことはあまり知られていない」
度胸がすわっていて、物事に動じない様を「豪胆」と表現する。アギーレ監督の豪胆ぶりは、記者会見を開催するに至った経緯を説明した言葉からも伝わってくる。
「私のことをよく知っているスペインやメキシコ、あるいはアメリカの方々にはこういった質問はされていない。ただ日本では私のことはあまり知られていないということで、このような会見を設けて質問を受けることになった。私自身は落ち着いている。時を待てば事実がすべて明るみに出てくると思うので、それをお待ちいただきたい」
八百長の疑いがかけられているのは、2011年5月に行われたサラゴサとレバンテのリーガ・エスパニョーラ最終戦。敵地で2対1の勝利を収めたサラゴサが1部残留を決めたが、直前に不可解な金の流れがあったとスペイン検察庁の反汚職課が告発した。
サラゴサの会長から監督や選手の口座へ大金が振り込まれ、それらが直後に引き出されて最終的にレバンテへ渡ったとされる。当時チームを率いていたアギーレ監督の口座には、2度にわたって合計8万5000ユーロ(約1250万円)が振り込まれた形跡がある。
主力選手の一人は大金が振り込まれたことを認め、後日会長に返却したとして無罪を主張している。しかし、アギーレ監督はこの問題に対してだけは言及を避けた。
「申し訳ない。スペインにいる私の弁護士のアドバイスにより、答えることはできない。司法当局に同じ質問をされたとしても、私は落ち着いて回答することができる。私は自分のことがよくわかっているので、自分をまったく疑うことがない。その日、どんなことが起きたのかは私の中ではっきりしている」
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◆「有罪を証明されるまでは何人たりとも無罪」
スペインの司法制度では告発を裁判所が受理した段階で、本格的な捜査へのゴーサインが出される。件の試合に関わった人間が証人喚問され、嫌疑が十分と見なされれば起訴される。その段階からアギーレ監督は容疑者として裁判に臨むことになる。
裁判は数年かかるとも言われる。その間、グレーな状態の指揮官に日本代表が率いられることは決して好ましいことではない。記者会見の最後にはこんな質問が飛んだ。
「謹慎という形で身を引く考えがあるのか」
契約を残して辞任したことは過去に一度もないと強調し、4年後のワールドカップ・ロシア大会まで指揮を執ることもあらためて表明したアギーレ監督は、やや色をなして反論している。
「該当する試合に関わった選手たちはいまでも試合に出ているし、このような質問に責められてもいない。サラゴサの幹部も仕事を続けているし、試合のレフェリーも笛を吹いている。なぜ彼らと同じように私も仕事を続けることができないのだ。有罪を証明されるまでは何人たりとも無罪だと思うし、推定無罪は法によって定められている。家に引きこもっている必要はない」
◆豪胆さとしたたかさ
シロの段階での解任は受け入れないし、万が一、そのような状況に置かれたときには逆に名誉毀損で訴えることもできるー。すでに後任監督人事に着手しているとされる、日本サッカー協会への“先制パンチ”の意味合いを込めた言葉と見ていいだろう。
メキシコ代表監督としてワールドカップに2度出場したアギーレ監督は、スペインで12シーズン、4つのクラブで指揮を執っている。生き馬の目を抜く世界を渡り歩いてきたしたたかさは、疑惑の核心に対する答えをはぐらかし、現職を続投する権利があると声高に宣言した記者会見以外にも、たとえば個人で契約した弁護士スペインにスタンバイさせ、常にコンタクトを取っていることからも伺い知れる。
豪胆さとしたたかさ。本来ならば試合におけるさい配で発揮してほしい指揮官の力が、前代未聞の疑惑に対する釈明の場から伝わってくる点に、もやもやした思いが晴れない理由がある。