北海道日本ハムファイターズの稲葉篤紀選手が引退会見を開いた。日本を代表する中距離バッターとして、20年にわたり第一線で活躍してきた。会見では引退を決めた心中をさわやかに語った。
---:引退を決めたのは
引退を決めたのはキャンプ半ばくらい。
進退をかけて一年をがんばろうとしたんですが、膝の具合が良くならない、体力的にも、いつもできたことができない、自分のバッティングができないということもあり引退を決めました。
---:今シーズンは選手一本で取り組んでいました
選手一本でやらさせていただけるという事で自分自身、鍛え直して、全力でやる事を覚悟を決めて望みました。
---:引退を伝えた時の周りの反応は
周りの反応はとてもびっくりしていました。妻には、キャンプで伝えたときにびっくりしていましたし、チームには8月31日に全体に伝えました。
チームに伝えたときは、最初は「本当なのか?」という感じでしたが、「目が覚めたよ」という選手もいて、驚いていたと思います。
---:ヤクルト時代を振り返って
ヤクルトでは野村監督に野球をゼロから教えてもらい、ルーキー時にヤクルトが日本一になりましたし、強いヤクルト時代にやらせてもらえて幸せでした。20年現役をやれてこれたのも野村監督にプロに入れてもらえたおかげです。
怪我、手術などもありましたが、ヤクルトには人間を成長させていただきました。感謝しています。
---:印象に残っているシーンは
一番印象に残っているのは2006年の日本一ですね。新庄さんがいて、このファイターズの名前を全国に広めてくれたと思っています。
僕は2005年にファイターズへ入ったのですが、そのときはクライマックスまで行けず。2006年に日本一になれたことは、恩返しができたのかなと、ほっとした部分もありました。44年ぶりでもありましたので。
---:WBC、オリンピックもありました
オリンピック予選の韓国戦は印象に残っています。野球ってこんなに長くて、苦しくて、勝つのは難しいんだという試合に勝って、星野監督と喜んだことは、稲葉篤紀という人間をステップアップさせてくれた出来事でした。
---:今後のビジョンは
指導者になりたいという夢があります。北海道の子供たちはじめ、ひとりでも多くのプロ野球選手を生み出せるよう指導していきたいという夢もあります。
今までは感謝という気持ちで野球に取り組んでいましたが、これからは野球に恩返しをしたいので、若い選手を育てていきたいな、という夢を持っています。
《編集部》
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