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佐伯夕利子さんは、18歳でスペインに渡って以来サッカー指導者の道に進み、欧州における日本人指導者のパイオニアとしての道を切り開いてきた。2003年にはJFAのS級ライセンスにあたる「NIVEL III」に合格。その後スペイン3部のプエルタ・ボニータやアトレティコ・マドリード、バレンシアCFなどでキャリアを築き、2008年からビジャレアルに在籍している。
スペインの現場で長年育成やチーム強化に携わってきた佐伯さんに、これまでの経験も踏まえながらビジャレアルの内情について聞いた。そこには、成功したスモールクラブの代表格として挙げられるこのチームが支持される確かな理由があった。
佐伯夕利子(さえき・ゆりこ)
●ビジャレアルCF、Jリーグ元常勤理事、WEリーグ元理事
スペインサッカー協会ナショナルライセンス。UEFA Proライセンス。03年スペイン男子3部リーグの監督就任。04年アトレティコ・マドリード女子監督、育成副部長。07年バレンシアCF強化執行部に移籍、国王杯優勝。08年ビジャレアルCFと契約、U19やレディース監督を歴任。18〜22年Jリーグ特任理事、常勤理事。著書に『教えないスキル 〜ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術〜』(小学館)
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■21世紀に生まれたスポーツ産業
スペインのバレンシア自治州にあるビジャレアルは、人口5万人の小さな街。19世紀にはオレンジ、20世紀にはセラミックタイルで発展してきたが、周辺都市と比べると産業に乏しく、過疎化が進み、放っておくと消え去ってしまうような地域だという。
そんな街で21世紀に生まれたのがスポーツ産業。人々が幸せな生活を営むにあたり不可欠な、経済を発展させ、街を活性化させる存在として小さな自治体の役割を担ってきたのが「ビジャレアルCF」。
元アルゼンチン代表MFのフアン・ロマン・リケルメや、セレッソ大阪でもプレーした元ウルグアイ代表FWのディエゴ・フォルランらを擁し、2000年代後半にかけて日本のサッカーファンの間でも存在が知られるように。最近では日本代表MF久保建英が2020-21年シーズンに半年間在籍した。
ビジャレアルで将来のスペイン代表の育成や、ユースAチームのコーチングスタッフ、レディースチームの監督などを務めてきた佐伯さんは、「我々はフットボールをする人たちだけに意識が向いているのではなく、クラブを通じて自治体や行政が手の届かないところにも公共財として浸透しています。波及力、伝播力というのが圧倒的にあります」と、街に根付くクラブとしての役割を果たしてきたと自負する。
■それぞれ異なるラ・リーガのチームカラー
佐伯さんはビジャレアル在籍以前に、アトレティコで女子チームの監督やスカウティングに関わり、バレンシアでは、強化執行部のセクレタリーとしても活躍してきた。
アトレティコの特徴について、「スペイン首都にあるのが大きい。マドリードという首都にあって階級層によってレアル・マドリード派がいたり、アトレティコ派がいたり、ラージョ(・バジェカーノ)派がいたり。そうした階級の傾向というのが反映しています。
あとは動かす力、母数が圧倒的に違うので、同じサッカークラブといえどもこんなに違うのかと思うくらい動員力が違うと思います」と語り、地域による特性と、クラブとしての規模に違いが見られると説明する。
また、バレンシアについてはファンからのプレッシャーの差が大きいと話し、「とにかく自分のチーム、選手、監督…。自チームに対してものすごく厳しいクラブで、そういうクラブはスペイン国内ではなかなかない。
この人たちはなんで自クラブ、選手に対して不満を持っているのにずっとソシオ(クラブ会員)で年間シートを買い続けているんだろう。何が楽しくて自分のクラブを応援しているんだろう、というのはとてもクエスチョンマークがついた面白い体験でした」と当時を回想し、その後在籍したビジャレアルでは、ブーイングや暴言を吐くといった文化がないと違いを明かした。
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アトレティコ・マドリード女子監督、育成副部長を歴任してきた佐伯夕利子さん 写真:本人提供
■失業者への無料パスポート更新
ビジャレアルがクラブとして行ってきたのが失業者に対しての支援で、ここにこのクラブのサポーターに対しての寄り添う姿勢が垣間見える。
2000年代後半にかけての経済危機で大量の失業者が出たスペインの中でも、工場地帯であるビジャレアルの街には職にあぶれる人が続出した。しかし、これまでクラブを支えてきたソシオに対して、オーナーが始めに手をつけたのが失業者に対しての無料での年間パスポート更新だった。
「これまで自分たちが何者でもなかった時から応援してくれて、家族で年間チケットを買ってくれていた。経済、社会の動きの中でアクシデント的に職を失ってしまった彼らに、『お金が払えないんだったらダメ!』というのは違うわけです。
せめて、フットボールを見に来て感情を開放したり、2週間に1回ホームゲームがあるという想いが前を向いて歩いていく一つのモチベーションになったりしてほしい。それが(オーナーの)思想なわけです。そういうところにクラブの経営者(の姿勢)は表れるなと思います」。
■勝敗だけに左右されないクラブの姿勢
そんな“街のクラブ”として向き合う姿勢が一つの形として実を結んだのが2012年のこと。チャンピオンズ・リーグで旋風を巻き起こし、ラ・リーガでも上位に顔を出すなど躍進していたクラブがこのシーズンは18位で2部への降格を経験する。しかし、この時のサポーターの意外な反応は、およそ14年ビジャレアルに籍を置く佐伯さんのキャリアの中でも印象的な出来事として心に残っているという。
「普通降格したらブーイングでものが投げつけられ、スタジアムを出る会長の車を取り囲んでというのが見慣れてきた光景なんです。ものすごいショックだったはずなのに、サポーターから湧いてきた感情はどちらかというと感謝。私たちの起源というものをみなさん分かっているわけです。
彼らの中に降格しても残った想いは会長に対しての感謝しかなかった。これはフットボールの成績だけでは得られないものなんじゃないかと思うんです」。
このスタンスはサポーターだけでなく、ビジャレアルのチーム内に対しても向けられる。2012年の2部降格時は、放映権がおよそ10分の1以上の大幅な減収が想定されるのにもかかわらず、フェルナンド・ロッチ会長が指示したのは「育成アカデミーの予算に手をつけない」ことだったという。
また、近年の新型コロナウイルスの感染拡大により、減俸や職員を解雇せざるを得ないクラブが続出したにもかかわらず、ビジャレアルは全従業員の条件を下げることなく残す決断を下した。このような一つひとつの取り組みが、ビジャレアルに関わるすべての人々の心に響き、CLベスト4やヨーロッパ・リーグ制覇といった、勝敗の行方だけに左右されないこのクラブのアイデンティティーを作り上げていることを感じさせた。
佐伯さんが発する言葉の端々に感じられたのがビジャレアルに対しての深い愛情と、このクラブに関わってきたことへの誇り。人口5万人の街に根付くサッカークラブは、一朝一夕で作られたものではなく、また、作れるものではないとも思う。
プレーヤー、それをサポートするフロントやスタッフ、そしてサポーター…。「ビジャレアルCF」は、関わるすべてが同じベクトルを向き、互いに支え合い、歩みを進めてきた日々の積み重ねで作られた産物なのである。
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取材・文●井本佳孝(SPREAD編集部)