【パリダカ回想録】プロローグ:世界一過酷なモーターレース「パリダカールラリー」を振り返る | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【パリダカ回想録】プロローグ:世界一過酷なモーターレース「パリダカールラリー」を振り返る

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【パリダカ回想録】プロローグ:世界一過酷なモーターレース「パリダカールラリー」を振り返る
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■世界三大自動車レースに次ぐパリダカ、80・90年代には日本でブームも


パリダカって何ですか」。


自動車好き、レース好きに「パリダカ」を知らぬ者はない……長らくそう思い込んで来た。


だが、フォーミュラ1など「レース好き」を公言する30代に「今年のパリダカは…」と訊ねたところ「パリダカって何ですか」と返って来た。オールドファンにとっては、驚愕だ。


冷静に考えた。実際、すでに「パリダカールラリー」という呼称は存在しない。現在は「ダカール・ラリー」と呼び、しかもその名称として残っているセネガルの首都ダカールとも今は無縁。「ダカール・ラリー」は2020年からサウジアラビア一国の中を巡るラリーへと変貌を遂げている。


日本メーカーもかつては7連覇を含む12度の総合優勝を果たした三菱を皮切りに日産トヨタ日野などが毎年のように出場、上位に食い込んで来たが、日本自動車業界の凋落とともにその影は薄くなり、2019年にGAZOO Racing South Africaが優勝を勝ち取ったのが唯一と評してよほどの成績となった。2020年の開催が見送られ、2021年に11年ぶりの開催が予定されているWRCラリージャパンには、三菱、スバルなど往年のメーカーの参戦は見込まれず、GAZOOだけが気を吐いているのもやや寂しい。


オールドファンはご存知の通り、パリダカは元々フランスパリからセネガルのダカールまでおよそ1万2000kmを走破するラリーレイド。フランス人ティエリー・サビーヌは自身がレースに参加、砂漠で遭難の上、生還した経験から、砂漠を走破するラリーを自身で計画、1978年パリのシャイヨ宮殿前からスタートを切り翌年、ダカールにゴール、これがパリダカの始まりだった。


よって「ティエリー・サビーヌ・オーガニゼーション(TSO)」という個人名を関した組織により運営されて来た。1981年にはFIAによる公認ラリーとなり、かつその翌年には時の英首相サッチャーの息子マークが参戦、一時行方不明になるという事件もあり、世界的な知名度を獲得した。だが、86年にはコース視察に出ていたティエリーのヘリが墜落、ラリーは創設者を失う不幸に見舞われた。94年からはアモリ・スポル・オルガニザシオン(ASO)に売却され、舞台もアフリカから南アメリカ、そしてサウジと変遷、2021年大会で42回を迎えんとしている。


我々オールドファンにとっては今でも「パリダカ」ではあるものの、パリをスタート、ダカールをゴールとしたのは2001年が最後。また、アフリカの政情不安によりダカールにゴールしたのも2007年が最後となっている。30代がその呼称を知らなかったとしても、もはややむを得ない時代か…。


日本メーカーでパリダカにもっとも力を入れていたのは三菱。もちろんパジェロでの参戦だった。1985年には、フランス人パトリック・ザニローリが駆り初優勝を遂げ、日本にもパリダカ・ブームが巻き起こった。以降、俳優の夏木陽介、作家の立松和平、日本初の二輪GP王者・片山敬済、元F1ドライバー片山右京など多くの著名人を駆り立てて来た。


中でも篠塚建次郎は97年に日本人として初の総合優勝、増岡浩も2002年、2003年と連覇。三菱は2001年からパジェロによる7連覇という黄金期を演出した。「パリダカ=パジェロ」という強力なブランドイメージが確立されたのも、この頃。


1997年に日本人としてパリダカ初の総合優勝を果たした篠塚建次郎 (C)GettyImages


残念なことにリーマンショックの余波などから2009年に三菱は撤退。「パリダカ=パジェロ」というイメージもいつしか消え去り、三菱は2020年7月、パジェロの生産終了を発表。ファンに大きな衝撃を与えたのは記憶に新しい。21年には全生産を終了し、三菱の栄光は完全に過去のものとなる。


それでも42回を迎える「パリダカ」は21年1月3日、サウジアラビアのジェッダからスタートする。SPREADではこれを機に明日以降、栄光の三菱の時代パリダカ参戦真っ只中の1994年を、三菱によるパリダカや世界ラリー選手権への参戦を支えた「ラリーアート」社にゆかりのある中田由彦さんに振り返ってもらう。


モナコインディル・マンという世界三大自動車レースに次ぐパリダカについて、ぜひその雰囲気の片鱗に触れてもらいたい。


この4つの世界的レースのうち、日本人ドライバーが勝ち取っていないのは、モナコのみ。「日本人初」の勝者の称号は、ル・マン関谷正徳(95年)、パリダカ篠塚、インディ佐藤琢磨(2017年)のものとなっている。若いモータースポーツ・ファンには、ぜひ記憶に留めてもらいたい。


著者プロフィール


たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー


『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。


MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。


推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。


リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。


著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

《SPREAD》
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