八村塁は13歳で「NBAに行く!」と意識した…注目のドラフトまで1ヶ月 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

八村塁は13歳で「NBAに行く!」と意識した…注目のドラフトまで1ヶ月

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八村塁は13歳で「NBAに行く!」と意識した…注目のドラフトまで1ヶ月
  • 八村塁は13歳で「NBAに行く!」と意識した…注目のドラフトまで1ヶ月

NBA(米プロバスケットボール)のドラフトが6月20日に迫っている。今年はゴンザガ大学の八村塁選手が日本人初の1巡目指名を受けるかと注目を集める。


運命のドラフトを前に『CBS Sorts』が八村選手を大特集。幼少期から現在に至るまでを本人のインタビューも交えて振り返った。


幼少期はイチローを尊敬する野球少年だった


八村選手は富山県で1998年に生を受ける。父親がベナン人、母親が日本人のハーフとして生まれた。外国人が少ない地方での暮らしは周囲の目が気になることもあったようだ。


「その土地で黒人は僕たち家族だけでした。変わったものを見るような目で見られたこともあります。彼らは黒人を見たことがなかったんです」


八村選手の“塁”という名前は、野球の1塁、2塁からきている。名付け親は野球好きの祖父だった。その名の通り、幼少期の八村選手は野球選手として頭角を現す。優れた運動能力でピッチャーとキャッチャーを務め、メジャーリーグで活躍するイチローさんを尊敬していた。


(c)Getty Images

中学のコーチが初練習で「お前はNBAに行く!」


そんな八村選手がバスケットボールと出会ったのは13歳のときだった。中学でも野球を続けるつもりだった八村選手を、友人がバスケットボール部に誘ったのがきっかけだったという。


当時から背が高く力強かった八村選手はバスケットボール向きと思われた。しかし、八村選手は最初のうち友人の誘いを断り続けた。


僕は『バスケットボールをするなんてあり得ない!』と言いました。だけど彼は毎朝、僕のところにやって来て『バスケットボールをやろう。一緒にトライアウトを受けよう』と言い続けました」


友人の説得は2週間続き、とうとう八村選手も根負けしてバスケットボールを始めることになる。


それまでほとんどバスケットボールを見たことがなく、初歩的なことしか知らなかったという八村選手だが、そのジャンプ力は彼が天性のバスケットボール選手であることを示していた。


「中学のコーチが僕の初練習を見て『お前はNBAに行く!』と言ったんです。僕は若くて愚かだったから、彼の言うことを信じました。『僕はNBAに行くんだ!』ってね」と八村選手は当時を思い出して笑う。


U-17世界選手権で得点王、日本人初の世界選抜入り


中学でバスケットボールを始めた八村選手だが、その圧倒的な才能はすぐに開花する。第42回全国中学校バスケットボール大会ではチームを準優勝に導き、八村選手も大会ベスト5に選出された。


私立明成高等学校に進学してからも八村選手は活躍を続ける。明成高に数多くのタイトルをもたらし、自身は2014年に行われたU-17世界選手権に日本代表で出場。平均22.6得点で大会得点王も獲得した。


(c)Getty Images

U-17世界選手権での活躍が注目され、八村選手は全米高校生選抜と世界高校生選抜が対戦する『ジョーダン・ブランド・クラシック2015』に招待される。NCAA(全米大学体育協会)の強豪入りが決まっている将来のNBA候補生たちと直に肌を合わせる機会だった。


日本人初の世界選抜入りを果たした八村選手は、試合では18分の出場で9得点、5リバウンド、1ブロックをマークしてチームの勝利に貢献している。


渡米1年目は不慣れな生活に苦労


高校3年生になった八村選手には進路を決める時期がきた。アメリカの大学バスケットボールを経験すべきか、それとも高校から直接プロになるべきか確信が持てない時期もあったという。この問題に対しては、母親が「大学に行くなら今しかない」と八村選手の背中を押した。


ゴンザガ大学に進学を決めて渡米した八村選手だったが、最初の1年は言葉や文化の違いに苦しみ、辞めることも考えた。生活面だけではなくコート上でも、日本よりフィジカルを駆使したアメリカのバスケットボールに戸惑い、適応には苦労させられた。コーチたちは八村選手に対し、環境に慣れた2年目は楽になるだろうと言い聞かせた。


大学ではNBA選手カワイ・レナード(トロント・ラプターズ)のプレーを手本にした。レナード選手のビデオを見て研究し、分からないことは積極的にコーチに質問する。勤勉な性格が持って生まれた才能を育て、今シーズンの八村選手は平均20得点、6.5リバウンドをマークしている。


(c)Getty Images

『CBS Sorts』は、八村選手がNBAの大物選手と肩を並べるには少し時間がかかるかもしれないと予想する。エリートクラスの選手たちと競った経験が数年しかないと競技歴の浅さを理由に挙げた。


それでもゴンザガ大学で著しい成長を見せた八村選手の将来について、「彼に投資するチームは十分に報われる可能性がある」と期待する。


周りの期待が少し重圧も「コート上でやれることをやるだけ」


NBAドラフトを前に、八村選手はワッサーマン・メディア・グループと代理人契約を結んだ。


NBAではラッセル・ウェストブルック選手(オクラホマシティ・サンダー)、アンソニー・デイビス選手(ニューオーリンズ・ペリカンズ)らを顧客に持ち、日本人でもメジャーリーガのダルビッシュ有投手、前田健太投手がワッサーマン社と契約している。


ワッサーマン社のダレン・マツバラさんは、八村選手にコート外でのビジネスのことは気にせず、バスケットボール選手としてコート上でのことに全力を尽くすよう求める。


「中にはサイドショー(コート外で得る収入)をメインショーとしてしまう選手もいますが、メインショーがなくなればサイドショーもなくなるのです。プロのバスケットボール選手として全力を尽くさないと、そんなものはすぐになくなってしまいますよ」


八村選手がNBAドラフトで日本人初の1巡目指名を受ければ、彼のビジネス的な需要は非常に大きなものになるだろう。しかしマツバラさんは、コート外でのビジネスは選手に対して誠実に選択し、特にキャリアをスタートさせたばかりの若い選手は守らなければならないと考えている


マツバラさんは映画『ロッキー2』を教訓として挙げる。お金のために不慣れなCM撮影に臨んだロッキーが、撮影現場で戸惑い「ピエロになった気分だ」と漏らした姿から学んだと話した。


まずはバスケットボール選手としてコート上でのプレーが第一。その点については八村選手も同意見だ。


「シューズメーカーの人は僕がビッグになると言ってくれている。それはワクワクするし、少しプレッシャーでもあります。みんな僕が偉大であることを期待している。だけど、僕には大したことじゃない。バスケットボールのコート場でできることをやるだけです」


NBAでは今シーズン、メンフィス・グリズリーズの渡邊雄太選手が田臥勇太選手以来14年ぶり、2人目の日本人NBA選手としてデビューした。


デビュー戦後の囲み取材に応え、「田臥勇太さんがNBAでプレーしてから14年が経ってますけど、今日は日本のバスケットボールが前進した日だと思います」と渡邊選手は語った。


(c)Getty Images

立て続けにNBAでプレーできる可能性を持つ選手がでてきたことは、時代が変わりつつあることを感じさせる。


≪参考記事≫


NBA Draft 2019: Gonzaga’s Rui Hachimura ‘excited’ for chance to be first Japanese player taken in first round


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