2018年の平昌オリンピックでメダルラッシュを見せたスピードスケート。
今でこそ注目の競技として知られているが、このスポーツが一躍有名となったのが、1998年の長野オリンピックとも言えよう。日本開催となった冬季五輪で、清水宏保さんが男子500メートルの金メダリストに輝き、全国を沸かせた。
その後、日本初のプロスケーターとなった清水さんについて紹介しよう。
日本スピードスケート界初の金メダル獲得
清水さんは、1974年2月27日に北海道で生まれ、3歳の時にスケートを始める。
1993年、18歳の時にW杯に初出場を果たし、男子500メートルで初優勝。翌年のリレハンメル五輪では男子500メートルで5位に入賞する。
4年後の1998年長野五輪では、男子500メートルで日本スピードスケート界初の金メダルを獲得した。1000メートルでも銅メダルに輝き、日本開催となった五輪で目覚ましい活躍を見せた。
2001年には500メートルで、当時の世界記録を樹立。2002年ソルトレイクシティ五輪では、トップと0.03秒差の銀メダルと五輪連覇とはならなかったが、2大会連続のメダルを獲得した。
「ロケットスタート」と呼ばれる、スタートでの鋭い飛び出しを武器にスケート界を席巻した選手だ。
ロケットスタートは元カノのおかげで誕生?
2019年1月27日放送のジャンクスポーツに出演し、飛躍のきっかけについて語った清水さん。なんとその飛躍の陰には、当時付き合っていた彼女の存在があったという。
海外遠征に行く際に彼女が他の男と沖縄へ旅行に行っていることが発覚。浮気を確信した清水さんは怒りをエネルギーに変え、1996年のW杯で世界記録を更新した。
その後も調子を上げ、長野五輪で金メダリストに輝く。
「元カノがいなければ、ロケットスタートも生まれてないです」と語った。
日本初のプロスケーター
金メダルを獲得した1998年の長野五輪後に、プロスケーターになることを発表。
日本では前例のないプロスピードスケーターへの転向。清水さんは複数の企業をスポンサーにつけ、スピードスケートに専念する環境を整えた。
鍛え上げられた太ももの筋肉
長身選手が有利とされるスケート選手の中で、162センチと比較的な小柄な清水さんは、その鍛えられた太ももの筋肉が有名だ。
現役時は、本人も言っている通り「脚フェチにはたまらない筋肉美」を誇った。
テレビで清水宏保の脚をみた母「これ筋肉どうなってんの?人じゃないよ。シュワルツェネッガー?」
— はいどろ (@hydrogen_iodide) 2015年2月3日
全盛期の清水宏保(スピードスケート)は身長162cm、体重70kg(太ももまわり64cm)なので、BMI計算すると26.7で、BMIだけ見ると肥満という無茶苦茶なことになる。実際は筋肉の塊だけど。
— 前田地生(Chisey) (@as_chisei) 2009年12月1日
「しくじり先生」でモデル・高垣麗子とのスピード離婚の真相を激白
清水さんは2016年7月18日に、テレビ朝日系列の「しくじり先生 俺みたいになるな!! 」に出演。「都会に憧れすぎて、スケートだけじゃなく私生活も滑り倒しちゃった先生」として授業を行った。
清水さんは、2010年にモデルの高垣麗子さんと結婚し、幸せな生活を送っていたと思われたが、わずか1年3ヶ月後に写真週刊誌に不倫現場をスクープされ、翌年にスピード離婚。
学生時代に全くモテなかったことから、東京に憧れすぎていたことを明かし、金メダル獲得後にチャラチャラした生活を送ってしまっていたと反省した。
自身の経験を活かした活動
2018年の平昌オリンピックでは、わかりやすい解説で視聴者からも高評価を受けた清水さん。
他にも、現役時代に喘息という持病を抱えながら、オリンピックで金メダルを獲得してきた経験を、著書「ぜんそく力 ぜんそくに勝つ100の新常識」として出版した。
また、故郷・北海道で介護・福祉事業を運営。スポーツ選手は、介護やリハビリといった領域でもその経験を生かすことができるという考え方で、高齢者に向けた事業を行っている。
日本スケート連盟の理事に就任
2018年9月には日本スケート連盟の理事に就任したことを報告。
同じくスケート界のレジェンド・橋本聖子会長とがっちり握手を交わし、スポーツ界のセカンドキャリア支援に対する決意を語った。