スノーボード・竹内智香「五輪は何度来ても最高」に込められた想い…ソチから平昌へ至る旅路の果てに | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

スノーボード・竹内智香「五輪は何度来ても最高」に込められた想い…ソチから平昌へ至る旅路の果てに

スポーツ 選手
スノーボード・竹内智香(2018年2月24日)
  • スノーボード・竹内智香(2018年2月24日)
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目指したメダルには届かなかったが雪上で己の持てる力を出し尽くした。女子スノーボード大回転日本代表の竹内智香が2月25日、ブログを更新して5位入賞を果たした平昌五輪を振り返っている。

自ら望んだ追試も「ソチの銀でやめていれば…」


竹内は24日に行われた女子パラレル大回転に出場。決勝トーナメント1回戦を勝ち上がるが、準々決勝では銀メダルを獲得するセリナ・イエルク(ドイツ)に敗れた。銀メダルを獲得したソチ五輪から、金メダルを目標にやってきた4年間を竹内は「追試」という言葉で表現した。

「ソチ五輪の時に“引退”という言葉と向き合い、出した答えはもう一度追試テストを受けるということ。その4年間は想像した以上に苦しい4年間でした。次から次へと起こる難題。難題がやってくるたびに”なぜあの時に引退しなかったのだろう”と何度も自問自答しました」

原因不明のアレルギーに悩まされ太陽の光に当たることも、食べることも怖い時期があった。2016年3月には左ヒザ前十字靭帯断裂の大ケガにも見舞われる。吹き荒れる逆風に「ソチを終えた時になぜアスリートとしての歩みを止めかなかったのか? 自問自答し後悔してしまいそうな日々」を過ごしてきた。

「あの時の銀色で終えていたらどれだけ楽だったのだろう?」

逆境の中で得た新たな気づき


平昌入りしてからも必死に自分の心に蓋をしてきた。

「平昌に来ても上から抑えつけておかないとそんな気持ちがすぐにでも溢れ出て来そうでした。苦しすぎるから一瞬でもネガティブな自分と向き合うと一瞬で崩れ落ちてしまいそうだから。だから、ただただ、前を向くこと、ポジティブでいること。起きる出来事は全てが必然なんだと。そう過ごし続けた4年間」

5度目の五輪は5位に終わった。その結果に「メダルが欲しかったし勝ちたかった」想いはあるが、逆境の中で努力し続けてきたことが新たな気づきを与えてくれたとつづる。

「今季に限っては予選通過すら苦しみ表彰台も遠のく。世界のトップに居続けることの難しさと五輪でメダルを取ることの難しさを知り、だからこそ、今までの歩んできた長い競技人生の道に五輪、世界選手権のメダルそしてワールドカップでの表彰台世界のトップで戦い続けることを証として残せたことがどれだけ誇れるものなのかを知ることができた。5度目を目指していなければ私はそれに気づくことはできなかったと思う」

五輪は人生の教科書


多くの人に支えられて5度目の五輪を迎えた。その応援に背中を押され、4年間のすべてを45秒×6本の滑りにぶつけた。ソチから平昌へ。4年間に及ぶ壮大な追試を終えた竹内は、その結果を点数がつけられないほど最高のものだったと語る。

「五輪は何度来ても最高な場所です。そして出場するたびに新しい課題を与えてくれ人生の教科書になってくれる。待ちに待った追試テストは点数がつけられないほどに歩んで来た競技人生がどれだけ幸せなのかを再認識させてくれた最高のテストでした。たくさんの応援ありがとうございました!!!」


竹内のブログにはファンから、「竹内さんお疲れ様でした。素晴らしい滑りでしたね」「めちゃめちゃ感動しました!!ずっとずっと憧れです!」「凄まじい経験から出てくる言葉とか想いに圧倒されました」「お疲れ様でした。世界で5位ですよ。堂々と胸を張って帰ってきてください」「竹内選手がインタビューで素晴らしい笑顔で、全力を尽くせたことに満足している、100点満点の大会でした、と言っていたことは本当に嬉しかったです。勇気をもらいました」などのコメントが寄せられている。
《岩藤健》

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