これだけなら、どこにでもいる普通の高校生かもしれない。しかし、AKB48・横山由依さんはこのスケジュールを京都・東京を行き来しながらこなした。
3月2日のJR高速バス新ドリーム号発表会に登壇した横山さんは、昨年12月にJR高速バスドリーム号アンバサダーに就任。ドリーム号とともに夢を追いかける人々を応援している。
なぜ横山さんが選ばれたのか。彼女の経歴を知ると、ドリーム号アンバサダーへの起用にも納得できる。
■AKB48候補生時代、夜行バスで東京通い
横山さんが芸能界を志したのは、小学生時代に観たコンサートがきっかけだった。「歌手になりたい」という想いを持った彼女は、AKB48の姉妹グループ・SKE48の2期オーディションや、AKB48の8期生オーディションを受けるようになる。
しかし、あえなく落選。それでも諦めずに門を叩き、2009年にAKB48の9期研究生候補となった。この時の彼女はまだ京都在住の高校生だった。
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研究生候補時代、京都に住んでいた横山さんはドリーム号に乗り京都~東京間を行き来した。下積み時代の苦労を「金曜の夜にバスに乗って土日でレッスン、日曜の夜に京都に帰って、次の日に学校に行っていました」と明かす。
「東京に住んでいる他のメンバーは、この時間家で練習していると思い、ドリーム号の中で(ステージの)立ち位置表を見たり、DVDプレイヤーで振りを確認したりしていました」
晴れて研究生となってからも、上京にはドリーム号を使った。「小学校からの友人が見送りに来てくれて、お手紙をくれました。内容はもう憶えてないんですけど」と笑う彼女は、夢を追いかけ東京に向かっていた。
同期生がテレビ番組や選抜総選挙で頭角を現す一方で、研究生時代はなかなか存在感を示すことができなかった。それでも彼女は地道な努力を重ね、たくさんの夢をつかんできた。AKB48総合プロデューサーの秋元康氏は、彼女を「京都から夜行バスで通っていた子」と人に紹介していたそうだ。
当時は目の前のことに必死だった。AKB48に入りたいという想いと、レッスンがうまくいかなかった悔しさを抱えながらせわしなく移動していた彼女に、大変さを感じている暇はなかった。
「大変だとかも感じてなかったんですけど、後々みんなから声をかけられて、『あれ、大変やったんかな?』って」
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現在は前リーダーの高橋みなみさんから意志を受け継ぎ、総監督としてグループを引っ張る立場となった横山さん。
「将来は歌ったり、お芝居ができる人になりたいです」と語り、「AKB48は夢を叶える場所なので、夢を追って入る子がたくさんいます。その子たちの夢がたくさん叶ってほしいです」と総監督としての夢も描く。
今、ドリーム号に乗ったら何を想うのだろうか。
「今だったらAKBのことを考えると思います」
自分の夢を追いかけ続けた彼女は、グループの夢のため走り始めている。