困難を乗り越えて…ネパール人の国民性 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

困難を乗り越えて…ネパール人の国民性

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ネパールで、撮影をお願いすると素朴な笑顔で答えてくれた少女たち
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  • ネパールの子供たちがあちらこちらで無邪気に遊んでいます
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ネパールのカトマンズから約3週間をかけてのトレッキングでは、ヒマラヤ山脈の一部トロング・ラ(標高5416m)を制覇、旅の終わりでは、晴天の空からエベレスト山を眺めるという最高のツァーとなりました。

●なぜ、今回ネパールを目指したのか

今回トレッキングにネパールを選んだのには理由がありました。正確にはトレッキングよりはネパールという国そのものに興味があったからです。

私の住む南オーストラリア州アデレードには有名なネパールレストランが2軒。そこで覚えたネパールの味は、香辛料が多く使われていますがインド料理とはまた違い、どちらかというと癖のあまりない比較的食べやすい印象。また店内で働いているネパール人は大人しく日本人とよく似ている感じがしていました。店内のネパールの写真を見ているうちにいつかは行ってみたい国の一つになりました。

●初トレッキングの体験

後日談で、初心者には少しきついトレックングコースだったようです。確かにきついと感じたことは何度か。それは坂がきついとかではなく、やはり気圧が大きく変化することに身体がついていかなかったこと。また自分の思うよう足を進めることができないという精神的なプレッシャーがありました。

今回のグループではほとんどがトレッキングに慣れた西洋人。そんな中でトレッキングではついて行くのもやっとという感じでしたが、その私の姿を見たグループの一人は「写真を撮るときに足を止めて水分補給もしよう」と助言してくれました。
呼吸が苦しくなると、呼吸することだけに意識がいってしまい、身体を休めることすらできなくなってしまう、それを回避させるためのアドバイスだったのです。
軽い高山病にかかり、足が進まなくなった時に、リーダーは私に馬で登ることを進めました。トレッキングでは先に進むか、後ろに戻るかの選択肢しかありません。それでもリーダーはグループから誰一人として戻ることはして欲しくない、できれば全員でゴールを目指すことの気持ちが強かったのです。頂上を目指す数日前からリーダーとは幾度も話し合いを重ねました。その結果、私は馬で登ることを決めたのです。でも馬との時間を過ごした結果、私はメンバー全員と頂上で会うことができました。

●インドとネパールの関係

ネパールへ来る前はインドとの関係は隣同士だろうというくらいの知識でした。
トレッキングで見る風景では満員のバスがインドを目指して走っているところ。実はインドとネパールの関係は思った以上に悪化しており、国境付近ではたいへんな状況になっていたということは後で知りました。

今から半年ほど前の9月にネパール憲法が制定され国として新たなスタートをするはずだったところだったのが、その憲法制定に隣国インドは反感を持ったという政治的背景がありました。しかし、ネパールのガソリンなどの燃料はインドからの輸入、インドとの険悪な状況の中でネパールは燃料不足という状況に陥ります。給油の順番が来るかわからないという中で運転手は車をそのまま乗り捨て食事や休憩に行ってしまいます。道路の片面はこの列でほぼ埋まってしまい道路混雑となっていました。実はこの関係悪化が私の旅のスケジュールまでをも変わってしまったのです。

●温和なネパールの国民性

上記に挙げたインドとネパールの関係悪化のさらに半年ほど前の4月(今からほぼ1年前)ネパールは大地震に見舞われました。今回のリーダーもサブリーダーも家を失いました。日本人とよく似た国民性で男性は家族を守る意識が高いこともリーダーの話からよく見えてきました。彼らは家を失いでも家族のために働かなければならないと話します。しかし、その震災の痛みも取り切れないうちにインドとの関係悪化です。でもネパール人は攻撃的ではなく現実を受け止め自分のできることで日々過ごすというとても温和な人間性が見えました。だからこそガソリンのために長蛇の列でも耐えられるのかもしれません。

●飛行機の燃料不足

さて、インドからの関係悪化で燃料不足に陥っていたネパールからの帰国日に空港へ向かうと、私が乗るはずのマレーシア航空ネパール~マレーシア便にかなりの遅れになるとのこと。このままでは、マレーシアからオーストラリアへの乗り継ぎが間に合わないという状況になっていました。

出発地ネパールでの給油だけでは、マレーシアへ飛ぶためには燃料不足で一度追加給油を他の空港でするというのが遅れの理由でした。これは前に書いたようにインドからのガソリンなどの輸入がストップしていることが大きく影響してたのです。そのためにマレーシアへの到着がかなり遅れオーストラリアへの乗り継ぎが困難な状況になりました。

●マレーシアでの観光付き

ネパールの空港ではオーストラリアへの帰国方法を検索してくれたのですが、当然ながら私のように足止めになった人は他にもたくさんいるわけで、空港はごった返していました。でも誰一人としてクレームを言うわけでもなく待ち続けている姿を多く見かけました。

最終的には、私自身はマレーシアからオーストリアの便を一日ずらして、経由地のマレーシアで一泊する必要になりました。マレーシアからオーストラリアへの飛行機が乗り継ぐしかなかったのです。マレーシアでの宿泊先も手配してもらい、予想外の一日マレーシア観光となりました。

●ネパールの感想

ネパールでは、どこへ行っても災害や燃料不足の悲しみなどは表面的にはまったく感じることがなく、大自然の中での大らかな国民性に惹かれるものがありました。また途中、出会った日本人のトレッカーは今回で8回目のネパール、キッチンがいつもきれいに整頓され朝起きたら箒で家の前を掃いているという古き良き日本の風景が重なると話してくれました。

ネパールで見た子供たちの素直な目を今でも忘れることはなく、また訪れたい国の一つです。次回のトレッキングも是非、馬で頂上を目指したいと思います。

(次回は豪華客船でのバヌアツ共和国・フィージー・ニューカレドニアの旅の風景をお伝えします。)
《Australia photographer Asami SAKURA》

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