【山口和幸の茶輪記】ツール・ド・フランスの休息日はアンドラでタパスでも肴に | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】ツール・ド・フランスの休息日はアンドラでタパスでも肴に

オピニオン コラム
【山口和幸の茶輪記】ツール・ド・フランスの休息日はアンドラでタパスでも肴に
  • 【山口和幸の茶輪記】ツール・ド・フランスの休息日はアンドラでタパスでも肴に
  • 2016ツール・ド・フランスのコースマップ
  • アンドラ・アルカリスを上る新城幸也
  • アンドラ・アルカリスを上る別府史之
  • 1997ツール・ド・フランス、アンドラでマイヨジョーヌを獲得したヤン・ウルリッヒ
  • 独走するヤン・ウルリッヒ(1997年7月15日)
ツール・ド・フランスがかつてよく訪問した近隣国の代表的存在が、ピレネー山中にあってフランスとスペインにはさまれたアンドラ公国だ。10月20日に発表された2016年のコースでは久しぶりにこの地を訪問することになって、かなりうれしいのである。

面積は東京23区よりもひとまわり小さい。2000m級の山岳に囲まれたすり鉢の底に首都アンドララベリャがある。排気ガスがたまりやすいのでこの町自体は快適ではないのだが、全体的にみれば夏は乾燥して過ごしやすく、冬はいちめんの銀世界に。そのため1年を通してトレッキングやスキーなどのアウトドアスポーツが盛んだ。

EU(欧州連合)には加盟していない。消費税がない免税天国ながら独自通貨を持たないので、かつてはフランスフランやスペインペセタがそのまま使えたし、ユーロ通貨になってからも同様だ。とりわけ経済的に裕福な層が多いフランス人は宝飾品などを免税で購入するために訪問することが多かった。ガソリン税もないので国境を越えたすぐのところにあるガソリンスタンドは、フランスナンバーのクルマが給油のために列をなした。


2009ツール・ド・フランス、アンドラ・アルカリスを上る新城幸也

10年ほど前まで、大会ディレクターがジャンマリー・ルブランの時代は休息日をアンドラで過ごすことがしばしばあった。選手や関係者が買い物をしたいというわけではないと思うが、ホテルやレストランが安くて落ち着ける。ちょっと首都を離れれば山小屋風の宿泊施設や旅情あふれるレストランなどが点在する。

そのため激戦のつかの間に心身を休めたいという気持ちがそうさせるのだと推測していた。ただし、ユーロ通貨統一でアンドラの物価もフランスに肩を並べるほどになってしまい、その影響なのか近年はツール・ド・フランスもわざわざ訪問しなくなってしまった。

アンドラのスキーリゾートのひとつがアルカリスだ。1997年にヤン・ウルリッヒがここで追走するマルコ・パンターニを振り切って独走勝利した。それと同時にマイヨジョーヌを獲得し、このときに稼ぎ出したタイム差を守りきってドイツ選手として初めて総合優勝を達成している。ゴール手前7kmほどのところにボクの仕事場となるサルドプレスが設営されるので、この日ばかりは道路脇でカメラを構えて撮影するチャンスがあった。


1997ツール・ド・フランス、独走するヤン・ウルリッヒ

2009年には別府史之と新城幸也が初出場し、第7ステージでアルカリスを経験。新城は前日のバルセロナでのゴール前に落車し、この日はリタイアしても不思議ではないほどのケガを押してのレースだったが、道路脇の側溝でいい写真を撮ろうと待っていたボクを見つけてニコッとほほえんでくれたのでずっこけた。翌日の朝にホテル前から出発するところを捕まえてみたが、ケガのことは一言も口にすることなく前向きな姿勢をアピールした。あのときは心の中で「頑張れ!」としか言えなかった。

EU統合後は国境といっても検問所の名残がある程度で、選手も関係者もスピードを緩めることなくあっという間に通過していく。スマホ画面に表示される電話会社名が変わるだけだ。アルカリスがツール・ド・フランスのゴールとなるのは3回目で、ボク自身の3度目となる訪問も楽しみだ。

居心地のいいホテルは予約してあるので、夜遅くなったらバルに繰りだしてタパスをつまみながらスペインビールとワインを楽しむ。ツール・ド・フランスが近隣国に出るのも悪くない。
《山口和幸》

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