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阪神タイガースとオリックス・バファローズという、日本シリーズで戦う両球団で活躍した野田浩司氏のインタビュー記事に接した。
当時私は気がつかなかったが、彼の最終シーズンの引退セレモニーは始球式であり、順位がまだ決まっていない状況で公式戦での登板は当時の仰木彬監督が許さなかったそうである。
◆【主な選手の引退発表日・試合一覧表】引退発表とそのセレモニーについて 肝の座ったオリックス能見篤志の引退試合
■引退試合では空振り三振がスタンダードになった時期も
2000年のことである。
このころはそれが当然の判断だったのである。23年1月1日の本欄で表を載せていたのだが、この表に載せるべき事象だった。昨年佐々木朗希に並ばれたものの、いまだに破られてない1試合最多奪三振19の記録保持者の最後の姿は、始球式だったのである。
その本文でも触れ、今年鬼籍に入った通算213勝の北別府学氏や1980年代に巨人のエースだった通算165勝の西本聖氏の最終登板は、いずれもチームが最後まで優勝争いをしていたため公式戦での引退試合が行われていない。
野田氏の記事を読み、世紀が変わった2001年ごろから最終登板が公式戦で行われるようになったという思いが新たになる。01年に行われた巨人・槙原寛己氏と斎藤雅樹氏の最終登板ではベイスターズの打者(槙原氏はひとり、斎藤氏はふたり)はいずれも空振りの三振、長嶋茂雄監督の勇退試合ということと、ふたりの大投手の引退とあって、この3人の打者の三振に対して「絶対に打ち返してやるという執念をもってバットを振りましたか」と問うのは野暮というものだった。 そしてこの試合を契機にこのような空振り三振がスタンダードとなっていく。
野田氏の引退があと2年遅かったら、仰木監督はむしろ相手にもよるだろうが「野田を登板させたほうがワンアウトを計算できる」と考えたのではないかと私は見る。なにしろ打者が三振してくれるのだ。
■引退試合はオープン戦か始球式で
ただし、ここ数年はそれが影を潜めた印象で、四球を与えたり、打球が前に飛んだりする場面がふえてきた。20世紀にキャリアを終えた投手たちが引退登板を許されなかったことを思うと、私はずっとこの「システム」に疑問を持ち続けているのだが、さりとて投げさせるべきではないとまで主張する気はない。そういう舞台を用意されるべき功労者であるとチーム全員が納得するのならそれでいいと思う。
問題は、それが仲間の記録に影響を及ぼす時である。万が一、先発投手が完全試合を続けていたら、引退する投手の最終登板をどうするのか。また、近年引退する投手を先発させる例もあり、先頭打者を歩かせるシーンも出てきている。そこから登板する実質先発投手だって勝ちたいわけで、去っていく投手が残した走者を生還させても自分の失点にはならないものの、勝とうとしている投手にしてみれば理不尽な負担をいきなり強いられることになってしまう。
打者にとっての引退試合は投手にくらべると試合を左右するのは低いのかもしれないけれども、同じことがいえる。今年の中日ドラゴンズでは地元の最終試合が3人の野手と投手の引退試合だった。うちふたりは先発出場した。堂上直倫は最初の打席で安打を放ったからか3打席が与えられ(2安打)、福田永将は最初の打席で凡退するとあとはビシエドと交代した。大野奨太は途中出場でやはり凡打に終わった。
先発・小笠原慎之介から見れば、「やめていく選手がふたりも先発出場で勝てというのか」と、絶対に口には出せないだろうけれども思いが残ったのではないか。
もしかすると、「お前にも引退のときが来る。そのとき同じことが起きる。お互い様だ」と監督や先輩が諭したりしているのかもしれない。しかし、もし彼にたとえばプロ入り初の2桁勝利や最多勝がかかっているなどの局面のとき、こういうメンバーをバックに投げるのは気の毒だということは知っておきたい。
4人にとっては、その家族にとっても、かけがえのない最後の思い出なのだろうけれども、そういうことが許されなかった時代を経験した選手の心情を慮ると、やはりこういうことはオープン戦か始球式にしてもらいたいと私は思ってしまうのである。
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著者プロフィール
篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授
1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。