【プロ野球】“最後の近鉄戦士”坂口智隆の引退で思い出す“近鉄最後の球団代表”のひと言「あの失敗を忘れるな」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【プロ野球】“最後の近鉄戦士”坂口智隆の引退で思い出す“近鉄最後の球団代表”のひと言「あの失敗を忘れるな」

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【プロ野球】“最後の近鉄戦士”坂口智隆の引退で思い出す“近鉄最後の球団代表”のひと言「あの失敗を忘れるな」
  • 【プロ野球】“最後の近鉄戦士”坂口智隆の引退で思い出す“近鉄最後の球団代表”のひと言「あの失敗を忘れるな」

パシフィック・リーグ連覇を決めたオリックスのチーム名である“バファローズ”が2004年に消滅した近鉄バファローズに由来することを知らない、若いプロ野球ファンも増えて来ていることだろう。球界再編に揺れたあのシーズンからもうすぐ20年が経とうとしている。

2002年ドラフト2位で近鉄に入団。2年間、近鉄のユニフォームを着てプレーした坂口智隆は、オリックスでレギュラーポジションを獲得。その後、2016年に東京ヤクルトスワローズに移籍した。プロ20年間で通算1526安打を記録、通算打率は.278だった。村上宗隆のシーズン56号で話題となった昨晩の試合では、その坂口を含め内川聖一嶋基宏の3選手がともに引退した。

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■「近鉄魂とはなんだったのか」

坂口の引退によって、NPBには近鉄出身の選手はひとりもいなくなった。球団消滅からこれだけの年月が経ったのだから当然ではあるが、同時にさびしさを感じる方も多いはずだ。

私が“近鉄最後の選手会長”である礒部公一ともに近鉄OBに話を聞いてまとめた書籍『近鉄魂とはなんだったのか?』(集英社)が出版されたのは2019年12月のこと。この時点で近鉄OBの現役選手は岩隈久志(当時、読売ジャイアンツ)、近藤一樹(当時スワローズ)、そして坂口の3人だけだった。余談だが、昨晩の坂口引退に際し、花束贈呈に姿を表したには、近藤だった。

2001年に近鉄のリーグ優勝に貢献した岩隈はそのシーズンをこう振り返っている。

「大差で負けている試合を追いついたり、逆転したり、すごいことばかりでした。代打で出た人がホームランを打つことなんかなかなかありませんが、あの年の近鉄では、めったにないことが毎日にように起きていたという印象があります。振り返ると、個性を生かし、長所で勝負する集団だったと思います。それで、ひとつにまとまったときは本当に強い。僕がメジャーリーグに行ったのは、はじめに近鉄で豪快な野球に触れたからかもしれません」。

岩隈は新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスで7年間プレー、日本で107勝したあと、シアトル・マリナーズでも通算63勝を挙げた。

2019年夏に「いまは、できる限り長く、野球を続けたい。近鉄の選手の誇りを持ってプレーしていくつもりです」と語った岩隈は2020年限りでユニフォームを脱いだ。

“近鉄最後の球団代表”だった足高圭亮は2019年当時、奈良国際ゴルフ倶楽部の支配人をつとめていた。彼は、プロ野球界の未来についてこう語っている。

「これから100年、続いてほしい。日本人には、野球というスポーツが合ってますわ。大切なのは、それぞれの球団が地域性を出すこと、ファンを大事にすること。経営者は変わってもいいんです。このふたつを守ってくれれば。ファンの支えがないとプロ野球は続かない。試合では真剣に勝負するけど、経営では各球団が助け合う、そういうプロ野球であってほしい。あのとき(2004年)の失敗を忘れないでほしい」。

■「近鉄バファローズは、恋人だった」

近鉄球団が消滅したあと野球の世界から離れたが、仲間への思いは強かった。

「ずいぶん時間が経ちました。プロ野球の試合も見なくなったし、自分の意識では抜いているはずなんやけど、まだ僕の中には野球が残っとる。近鉄にいた選手やスタッフのことが気になりますよ。『いま、どうしてるやろか?』と。みんなが頑張っていると聞くと、やっぱりうれしい。まあ、バラバラになってしまったことについては、いまでも複雑な思いはあります。『もし、近鉄でやってたらどうなってたんやろうか?』と」。

足高が球団代表をつとめた時代と比較すれば、パ・リーグの地位は上がり、イメージも向上した。ドラフト候補のアマチュア選手が「パ・リーグだから」という理由で入団を拒否することはもうない。

「人気でも選手の待遇でも、セ・リーグに引けを取らなくなったからです。それだけ、パ・リーグの球団が頑張ったということ。僕らの時代はスカウトから、『なんぼ誘っても無理です。近鉄はちょっと……パ・リーグは嫌やと言う』という報告が上がってきました。いまはそんなこと、ないでしょう。それぞれの町で応援してくれるファンがたくさんいるということは、本当にすばらしい」。

近鉄球団はどんな存在だったのか…。

「僕は近鉄のことしか知らんから、ほかとの比較はできません。近鉄とは何か……うーん、家族かな。いや、家族じゃないな……恋人にしときましょう。ケンカするときもあるけど『おまえがおらんとあかん』という存在(笑)。僕はいまでも、近鉄が12球団で一番いいチームやったと思っています。主役の選手たちを支えるスタッフ、ファン、みんなが一体になって、いい感じやったんですよ。ほかのチームに移った人から『近鉄はいいチームやった』と聞くと、やっぱりうれしい。同時に、さびしいんやけどね」。

“近鉄最後の球団代表”である足高の訃報が届いたのは今年の7月だった。

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著者プロフィール

元永知宏●スポーツライター1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て独立。

著書に『期待はずれのドラフト1位』『レギュラーになれないきみへ』(岩波ジュニア新書)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社+α文庫)、『荒木大輔のいた1980年の甲子園』『近鉄魂とはなんだったのか?』(集英社)、『プロ野球を選ばなかった怪物たち』『野球と暴力』(イースト・プレス)、『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)、『甲子園はもういらない……それぞれの甲子園』(主婦の友社)など。

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