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2022年6月、ついに新生チーム三菱ラリーアートが始動した。
11月に開催されるアジアクロスカントリーラリー(AXCR)に出場するピックアップトラック「トライトン」の現地タイでの耐久テストである。2日間800キロ以上、実戦を想定したテストにチームは手ごたえを感じているようだ。
開催地域の特徴からタフな4WDピックアップトラックで出場する現地チームが多く、トヨタ・ハイラックス、いすゞ・D-Max(日本未発売)などが戦線に加わるだろう。
三菱ラリーアートといえば、かつての世界ラリー選手権(WRC)やダカールラリーでの活躍から、それらでの実戦復帰を望む声は内外に多い。しかし経営的にASEAN市場に軸足を置く三菱自動車にとって実戦復帰にふさわしい場所であり、現地チーム(タントスポーツ)とのジョイント、現地生産車での出場は順当な選択だ。
◆三菱ラリーアート、再参戦へのシナリオ 前編 新規定は前プロト同様に有利か…
■アジアクロスカントリーラリーとは……
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2009年AXCRを走るトライトン(KB9T型) 提供: 味戸厚二
アジアクロスカントリーラリーは、FIA (国際自動車連盟)公認のクロスカントリーラリーである。
毎回異なる2,000キロあまりのルートを1週間前後で走破する。日本でもっとも知られているダカールラリーに比べて距離や期間こそ短くも思えるが、未舗装路やサーキットに加え、密林や大きな岩の露出したルートも設定されたこともある。それに加えて大雨がルートを一変させ、高温多湿な気象条件は肉体的にも精神的にもクルーを追い詰める。
日本ではコアなラリーファンや一部のオフロード4WD車のファン以外にはあまり知られていないラリーだが、私の「戦友」でもあり、かつて三菱トライトンでAXCRに実際に出場した味戸厚二氏 (元ラリーアートマネージャー)、高塚清之氏 (三菱自動車国内フィールドサービス部)に話を聞いた。
味戸氏は三菱自動車のモータースポーツ事業会社だった株式会社ラリーアートの社員として業務に励むかたわら、国内オフロードレースでも活躍し2005年にAXCRに初出場。以後2010年まで三菱トライトンで出場を続け、ほぼ毎回クラストップ10フィニッシュを飾っている。
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味戸選手の戦果の数々 提供: 味戸厚二
「AXCRは東南アジアの複数の国にまたがって開催され、日々刻々と路面状況が変化しマシンにもクルーにも過酷なラリーでした。わずかな油断がミスやトラブルを呼び、当然それらは順位にも大きく影響を与えます。そのような中でも安定した精神、ドライビングが試されるラリーと言えるでしょう」。
AXCRはメーカーのワークスチームが大挙エントリーするイベントとは違い、日本や現地のプライベートチームが主体となるラリーだ。味戸氏も自らスポンサー獲得活動を行ってのプライベートチーム編成で出場している。芸能人をクルーに起用してのプロモーションなども過去にはあり、そのような試みが見られるのも特徴と言っていいだろう。
■高塚清之氏が稲葉衛選手をサポート
2006年のAXCRでは三菱自動車とラリーアートもひとつのチャレンジを見せた。車椅子のラリードライバーを送り込んだのだ。その稲葉衛 選手(故人)をサポートするために送り込まれたのが三菱自動車の高塚清之氏だ。高塚氏は95年にも稲葉選手をサポートしてオーストラリアンサファリにパジェロで出場している。
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当時のPRビジュアルより高塚氏、味戸氏
若き日のラリー練習中の事故で下半身不随となった稲葉選手のために、トライトンには手動運転補助装置(ハンドドライブシステム)を搭載し、コ・ドライバーの高塚氏とは別にナビゲーターとしてベテランの田中美彦選手(三菱自動車の特装車両製作も手がける)を起用した。ドライバー、コ・ドライバー2名乗車が主流となっている最近のラリー競技では珍しい編成だと言える。
味戸氏のトライトンは同仕様のクイックサポートカーとして配置された。万一稲葉選手のトライトンにメカニカルトラブルが発生した場合、自車のパーツを取り外して分け与えてでもゴールさせることを使命とするのがクイックサポートだ。
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タイ王宮前、スタートを待つ2台のトライトン 提供: 高塚清之
高塚氏は述懐する。
「タイ国内はドライの平坦なダートで快調でしたが、ラオスでの後半2日間は豪雨の影響でコースは泥だらけ。橋は流されて無くなり川渡りを余儀なくされコース上で動けなくなってしまう車両が続出したりと、ゴールまで厳しい状況が続きました。障害のため体温調整のできない稲葉さんでしたが、初出場で総合32位完走できました」。
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前車を牽引するトライトン 提供:高塚清之
川渡りはWRCなどのスブリントラリーや他のクロスカントリーラリーでも見られるが、ルートが水没という状況は東南アジアの雨期に開催されるAXCRならではだろう。このときのことは味戸氏もよく覚えているそうだ。
「稲葉さんのトライトンがコースアウトして浸水し、引き上げるのに大変でした。水びたしになったトライトンをタイ人メカニックたちが翌朝まで修理して、スタート時刻に間に合わせてくれたのでホッとしました」。
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三菱ラリーアート陣営、2006 AXCR 歓喜のゴール
■クルマづくりにとってモータースポーツは不可欠
三菱自動車は2009年のダカールラリー後にワークスモータースポーツ活動を終了させ、翌年3月にはラリーアートの業務も終了させた。そのため同年のAXCRでは既にラリーアートの社員ではなくなっていた味戸氏だが、ラリーアートのスピリットを最後に見せたのがAXCRだったと言えるだろう。その地で新生チーム三菱ラリーアートが再始動することは、まるで失われた時間をつなぎ合わせようとするかのようにも思えるのは著者だけだろうか。
「三菱自動車のクルマづくりにとってモータースポーツは不可欠です。途絶えた事業を再開するのは大変ですが、かつて実戦に赴いた方々の技術や知見を継承し、また自分たちが遺した経験も受け継いで欲しいと思っています」。
味戸氏は新生ラリーアートへの期待をこう語った。
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2010年AXCRをフィニッシュした味戸氏(左) 提供: 味戸厚二
コロナ禍で2年連続の中止を経て3年ぶりに開催されるAXCRはタイをスタートし、ゴールのカンボジア・アンコールワットを目指す。走行距離約1700キロ、スタート地にゴールするWRCスタイルのクローバーリーフ型のルートを前半に設定(ルート図参照) し、以前に比べるとコンパクトな印象だが、それでもさまざまな路面はチームと車両に多くの試練を与えるだろう。また、これまでと変わって雨期の8月から乾期の11月開催となったことが、ラリー全体の運営や各チームの戦略・戦術にどう影響するかも今回のAXCRの注目すべきところだ。
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コースマップ オフィシャルサイト
三菱自動車にとっては、ラリーアートの呼称こそ用いなかったものの電動車両の技術開発のために2013年から15年にかけて今回と同様に技術支援として、アウトランダーPHEVを出場させた実績がある。それが有利に働くかは未知数だが、あらゆる状況を想定してのマシンづくりをしているだろう。そして今回はチーム総監督に2002、2003年とパリダカを連覇した増岡浩氏を戴く。日本のモータースポーツの発展のためにも、新生チーム三菱ラリーアートとトライトンの活躍に期待したい。
◆三菱ラリーアート、再参戦へのシナリオ 後編 「本番は来年」と増岡浩さん
◆【モータースポーツ】三菱自動車「ラリーアート」復活の青写真予想
◆【三菱ラリーアート正史】第1回 ブランドの復活宣言から、その黎明期を振り返る
著者プロフィール
中田由彦●広告プランナー、コピーライター
1963年茨城県生まれ。1986年三菱自動車に入社。2003年輸入車業界に転じ、それぞれで得たセールスプロモーションの知見を活かし広告・SPプランナー、CM(映像・音声メディア)ディレクター、コピーライターとして現在に至る。