【北京五輪】開会式で気づかされた「日本」の凋落 ニッポンは「オワコン」となるのか | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【北京五輪】開会式で気づかされた「日本」の凋落 ニッポンは「オワコン」となるのか

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【北京五輪】開会式で気づかされた「日本」の凋落 ニッポンは「オワコン」となるのか
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東京の完敗」。

某スポーツ会社の元代表取締役社長はSNSにそう書き込んでいた。

北京五輪開会式の後、そこかしこのSNSに多くのスポーツ関係者による似たような書き込みが散見された。

残念ながら……としていいだろう、私もそう感じた関係者のひとりだ。

五輪はしょせん政治の道具である

ナチス・ドイツが巧みに利用したように、世界中の国や地域の選手が一堂に集い、また通常ならそれを目にしようと世界中から人々が自国に足を運び、現代では衛星回線、インターネット回線などを介し、まさに地球上の隅々まで情報発信がなされるだけに、国威発揚に最適な一大国際イベントだ。

一時日本でも「アスリート・ファースト」なる造語がもてはやされたものだが、どこの国のトップも「たかが選手」たちのために、「兆」の単位の予算を費やしスポーツの祭典など催しはしない。それでも、国際オリンピック委員会(IOC)が開催国を募るたびに、先進国がこぞって手を挙げ、招致活動に血眼を晒してまで参加して来たからには、国家としてそれだけの効能があるからだ。

■日本のソフトウェア、クリエイティビティの敗北か

国威発揚、巨額予算の確保と執行、通常では想定が難しい経済効果、それらが生み出すインフラ整備、技術革新、国民からの支持、そして最後に国内スポーツ界の底上げ……主なる効能はこの辺りだろう。

2013年9月8日未明、今は亡きジャック・ロゲ元IOC会長が「トキオ!」と読み上げるのを、松岡修造さんらがつめかけた東京・日比谷の東証会館(当時)で目の当たりにした関係者のひとりとして、私自身「東京五輪推進派」ではあった。そのこころは、こうした巨額予算執行が可能な大イベントの到来なくして、日本におけるスポーツ・マーケットの拡充は不可能と考えられたからだ。建設より50余年が立ち老朽化が著しく、身の危険さえ感じた国立競技場を東京のど真ん中で建て替えるなどは、五輪がなければ土台無理な相談だったろう。

2016年の東京五輪招致においてリオデジャネイロに敗れた際、末席に名を連ねた者として、2020年の東京五輪開催決定は嬉しさばかりだった。その後日常においても、「どんな大会を作り上げよう」と、開会式のストーリーについても、多くの関係者とともに夢を語ったものだ。

5Gなど高速通信網を用いた「初めての五輪」となるゆえ、プロジェクション・マッピングどころか、ホログラム技術を使用し、VR/AR空間を演出するなど、「技術立国」であるはずの自国のショーケースを具現化できると夢想さえした。

しかし、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、大会は前代未聞の延期となり、さらには開催に先立ち、大会組織委員会の会長を含め、開会式関係者が続々と辞任するなど、なかなか例を見ない不祥事続き、自国民からさえも批判のボルテージは最高潮に達した。私自身、東京マラソンなどスポーツ・イベントの運営に携わってきた元同業者として、現場への同情は禁じ得ないものの、国家予算を行使している限り、批判を免れないのは当然だった。

期待された開会式当日を迎えたものの、社会的にはさして浸透もしていないダイバーシティについての能書きを延々と、しかも解説されなければ理解不能な、印象にも残らないパフォーマンスを陳列され、何の脈略もない式典を見せつけられた。それは閉会式に至っても変わらないまま、世界的には名も知られていない女優が意味不明の朗唱などし、本人さえも困惑したという逸話を残した。アスリートの素晴らしいパフォーマンスの数々とは裏腹に、スポーツ・ビジネス関係者は落胆の末、東京五輪を終えた。少なくとも私の周辺の多くは同じ反応だった。

一方、張芸謀チャン・イーモウ)を総監督とした北京五輪の開会式には、統一感あふれる「映像美」という観点において圧倒された。絶賛するほどの仕上がりだったかは意見が分かれる。しかし、あまりにも白けた、「復興五輪」だったはずの、コンセプトがまったく見えない東京五輪の開会式を見せられた半年後においては、北京のプレゼンテーションを賞賛する以外にあるまい。

NTT関係者の情報によると「中国のチームラボ」と呼ばれる「Blackbow」なる制作集団も関与したという。現在ではMIT出身者など100以上のメンバーを抱えるアートとテクノロジーの融合を担うこの集団は、2010年に3人でスタートを切ったばかり。平昌から北京への引き継ぎのクリエイティブもこの集団を起用したそうだが、東京ではなぜそうした新しいクリエイターを抜擢することができなかったのだろう

中国を無駄に礼賛する意図はひとつもない

中国が公表している五輪予算は、建前上の金額であり、米メディア『インサイダー』においては、実際の経費は4兆5000億円に上ると暴露されるなど、闇は深いように思われる。ましてや、聖火の最終ランナーにウイグル族の女性選手を起用、国際的に沸き起こる人権侵害批判をかわそうとする「あざとさ」は、看過すべきではないだろう。

◆北京五輪開会式、聖火点火にウイグル族女子選手 批判意識か

それでもこうした開会式での「演出の妙」は、巨額を費やせばクオリティが上がるという代物でもない。

むしろ、東京五輪も一般では信じられないほどの、それ相応の予算を費やしたにもかかわらず、あの程度の完成度であった問題点は、日本の社会構造「ソフトウェア」そのものであり、国と東京都を挙げて開催したイベントにおいて、日本のクリエイティビティは「この程度」という事実を世界に晒してしまった。

中国は北京五輪の開会式について、カネを費やすだけではなく、しっかりと演出をプレゼンテーション、優れた「ソフトウェア」を保有する国である点を、世界に誇示し、それに成功した。故に北京と比較し「東京は完敗」だったのだ。

そんな考えをめぐらしながら、各国選手団のカラフルな衣装による入場行進を眺めていると、今度は著名デザイナーである知人から、こんな感想が届いた。「日本選手団の衣装がひどい」と。

■「クール・ジャパン」の思い上がり……

あらためて日本選手団のユニフォームを眺めると、確かに1964年の東京五輪から何ひとつ進歩していないように思われる。日の丸をモチーフにしたのであろう、上は赤、下は白……そして、黒いマスクを含め、何の創意工夫もない。一部の身内の感想かもしれないと高をくくっていると、スポーツ紙などにも著名デザイナーによる批判が掲載されていた。

北京五輪の開会式に参加した日本選手団(C)Getty Images

こうした選手団のユニフォームは、スポンサーが担当すると決まっている。

今回は、「デサント」が手掛けたものだが、巨額のスポンサー料を支払ってまで、こんな不評を買うようでは、企業として大きな戦略ミスとしか形容のしようがない。逆に「ルルレモン」によるカナダ選手団のユニなどは、スポーツ紙でも好評で、東京五輪に引き続き今回も民族衣装をモチーフにしたプレゼンテーションで印象的だったカザフスタン選手団は、ネットでも話題をさらった。こうした各国のデザインや機能性豊かなユニフォームと比べ、日本のそれは昭和において思考停止したと思われても仕方がないレベルだ。ただし、このユニフォーム対決に関しては、中国選手団もどっこいどっこいで、ファッション対決については「痛み分け」と見ていいだろう。

◆北京五輪にも “カザフスタンのお姫様” が登場! 上品な衣装に「なんて素敵」

五輪のような国際的大イベントにおける演出の貧相さや、世界に向けてのハレの舞台でプレゼンテーションに用いられたユニフォーム・デザインのセンスの欠落により、懸念されるのは日本のオワコンぶりだ。こうしたクオリティの低い代物を世界に見せつけるにあたり、露出にストップをかける抑制力の欠落という点は何よりも病巣が深い。

クール・ジャパン」などと思い上がっている間に、日本のクリエイティブやプロダクトは世界で通用しなくなっているのだろうか。失われた20年もしくは30年とも言われる時代の潮流を無視し、テレビのバラエティ番組などでは「日本のここがすごい」と発信する。日本が「グローバル・スタンダード」から置き去りにされているにもかかわらず、「オワコンの代表」とも揶揄されるテレビがそれを助長している(局関係者には先んじて、謝罪しておく)。

新型コロナ・ウイルス以前の2016年、訪日観光客が年間2000万人を越えた。この際「海外の人たちが日本の素晴らしさに気づいた」という論調さえあったが、甚だしい誤解だ。中国、ロシアなどの世界の経済が成長し続けた時代に、日本はデフレスパイラルを抜け出せないまま、貧乏国に転落したに過ぎない。つまり、日本は「安い国」になったがゆえに、各国から観光に足を運びやすくなったのだ。日本の観光業界の努力でもなんでもない。30年ほど前、アメリカの物価は低く、日本人がこぞってニューヨークのアウトレットにショッピングに出かけたものだが、それと同じように中国人が銀座に押しかけただけのこと。

そもそもこの20年間で急成長、日本経済を置き去りにしGDPでアメリカに次ぐ2位となった中国が国威を誇るために作り上げた北京五輪の開会式と、新卒の平均年収が300万円程度にまで落ち込んだ貧乏国・日本が主催した東京五輪の開会式とを比較、論じることが間違っているのかもしれない。

このまま日本経済だけではなく、日本のコンテンツやソフトウェアも世界では太刀打ちできなくなってしまうのか。「ニッポン」はもはや「オワコン」なのか。そんな不安が、ざわざわと頭をもたげて来る、そんな北京五輪開会式の完成度だった。

最後にYahoo!ニュースのコメント欄を引用する。「残念ながら日本は足元にも及ばない時代おくれの、金だけ莫大にかけた開会式だった。中国は好きではないけれどこれからの世界をリードするクールな国として存在感はますます大きくなるような気がした」。これには1万程度の「いいね」がつけられていた。

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著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

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