セーリング女子代表・吉田愛と吉岡美帆が2020年にたどり着くまでの道筋…「選手としての集大成。甘くないことはわかっている」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

セーリング女子代表・吉田愛と吉岡美帆が2020年にたどり着くまでの道筋…「選手としての集大成。甘くないことはわかっている」

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セーリング女子代表・吉田愛と吉岡美帆が2020年にたどり着くまでの道筋…「選手としての集大成。甘くないことはわかっている」
  • セーリング女子代表・吉田愛と吉岡美帆が2020年にたどり着くまでの道筋…「選手としての集大成。甘くないことはわかっている」
日本のセーリング界でいま最も「アツい」のが、女子470級で8月の世界選手権とアジア大会で金メダルを獲得した吉田愛選手(37)、吉岡美帆選手(28)のペアだ。

2020年の東京オリンピックは、セーリングは江の島ヨットハーバー(藤沢市)を舞台に行われることが決まっているが、まさにこの江の島を練習拠点としているのが、この2人である。




10歳違いの両選手。彼女らいわく、性格は正反対だそうだ。吉田選手が「(吉岡選手は)冷静なので、私がカッカしているときに気づかせてくれます」と語るように、それがうまく互いの弱点を補っている。

ペアを結成しておよそ5年。東京オリンピックでメダル獲得が有力視される日の丸セーラーズの2人の競技生活、そして人生に迫った。

競技をはじめたきっかけ


吉田選手が競技と出会ったのは、小学校1年生の時。両親に連れられて子ども用のヨットである「オプティミスト級」の1日体験に行ったのがきっかけだった。なお、オプティミスト級の大会には小学校2年生から出場している。



「すぐに1人で乗れるようになりましたが、小学生だったので海がすごく広く感じました」(吉田選手)

対して、吉岡選手のきっかけは高校生の頃。それまではバレーボールをしていたが、「高校から何か新しいことにチャレンジしたい」と思い、「たまたま」高校にヨット部があったので入部した。

もともと祖母の家が京都の京丹後市にあり、徒歩5分で海にたどり着ける位置だったため、小さい頃から海が好きだったというのも一つの理由だった。



「エンジンもなくて風だけで進む、海と一体になっている感じがとても良かった」(吉岡選手)

地元開催のメリットは?


吉田選手は、セーリングの魅力をこう語る。



「自然を相手にするスポーツで、エンジンを使わないヨットで海を自由自在に走れるのが魅力ですね。競技となると、風を読んだり波を読んだりと考えるスポーツです。自然相手なので同じ状況というのがまったくなくて、いつも異なっています。私は相手との駆け引きに成功したときの達成感がすごく好きです」

自然相手なので常にコンディションが変わる。ということは、普段から練習拠点にしている江の島での開催で「地の利」を得ることはできないのだろうか。

「もちろん、常に違うとはいえども傾向はあるので、ある程度『こうなっていくだろう』といった予想ができます。ただ、外国人選手も大会の2年前くらいから江の島の環境を把握するので、結局みんな同じくらいのレベルになる気はしますね」(吉田選手)

どうやら、慣れ親しんだ会場で競技を行うというのはアドバンテージにならないらしい。とはいえ、観戦客が作りあげるホームの雰囲気などは地元開催ならではのものがあるはずだ。

運を引き寄せるために


セーリングの魅力について、吉岡選手も「自然相手」という言葉を口にした。



「自然相手なので、絶対というのがない。ビリでもトップになるチャンスがあるし、その逆もある。運的要素もありますし、頭脳とフィジカルを両方使わなくてはいけないのが魅力です。やればやるほど課題が見えて上達していくのも面白いです」

おそらくどの競技にも言えることだが、例外なくセーリングも「運的要素」が結果に影響する。その「運」を引き寄せるために吉岡選手が意識するのは「日頃の行い」だ。

「やりきる」ために




吉田選手が趣味ではなく、競技者として関わっていこうと決めた瞬間は、470級に乗り始めた大学2年生のタイミングだった。

「オリンピックに出よう、仕事として関わっていこうと。大学(日本大学出身)のOB、OGにも同じようにプロとして活躍している人がたくさんいたので、刺激されたというのもあります。手応えもありました」




一方、大学1年生の頃に470級に乗り始めた吉岡選手は、学生時代で競技活動を辞めるつもりだった。が、大学4年時の最後のインカレで結果が出ず「やりきれなかった」という思いがくすぶっていた。

かつて続けていたバレーボールも「やりきれなかった」という思いがある。今度こそ悔いを残したくない、という思いが、卒業後も競技を続ける原動力となった。

初心者はどこを見たらいい?


世界選手権やアジア五輪で金メダルを獲得したことで、東京オリンピックでは多くの期待が集まる。初めて競技を観戦してみようとする人もいるだろう。どういった部分を見れば、より競技を楽しめるのだろうか。



「沖の方なので少し分かりにくいのですが、見えないスタートラインに並んで、ポジション取りなど駆け引きをする姿などに注目して欲しいです。あと、艇種(船の種類)が色々あるので、それを見るのも面白いと思います」(吉田選手)

ONとOFFの切り替えが必須


セーリングは大会期間が長い。 W杯は6日間、アジア大会は休養日もあって10日間ほどが大会期間だった。それだけ長い期間を、試合に向けて全力で集中し続けることは不可能に近い。ON とOFFの切り替えが必須だ。



2017年6月に出産を経験した吉田選手。ここ最近は、可能な限り子どもの琉良(るい)くんを大会に同行させている。プライベートの時間は、息子と過ごして競技の気分から切り替えているという。

「(OFFの時間は)子供と遊んでいます。歌を歌ってあげたりだとか。やっぱり、パワーが出ます。陸に上がって顔を見たいから頑張れるし、顔を見ると嬉しい。また頑張れる」(吉田選手)

ただ、琉良くんが同行できない大会は「自分に(琉良くんはいないと)無理矢理言い聞かせるしかない」と悲しげだった。



吉岡選手は、「とにかく寝ていますね。あとは、美味しいものを食べます」とはにかむ。焼肉が大好物だという。休みの時は友人と焼肉に行って過ごすことが多いそうだ。

吉岡選手には犬好きの一面もある。実家では6匹の犬を飼っているという。4年前、吉岡選手の実家でたくさんの子犬が産まれた際は、吉田選手に1匹プレゼントしたこともあるらしい。

現在の課題



来る2020年に向けた現在の課題は、パワー不足。そのため、筋力トレーニングを重点的に行っている。

「男子と練習などをすると、パワーが足りていないことに気づきます。パワーが男子のレベルなら、女子競技では確実に勝てる。出産で体力が落ちているので、トレーニングで戻していきたい」(吉田選手)

過去のオリンピックでは、北京でルール違反をして減点されたり、ロンドンで道具を壊してしまったり、リオで転覆してしまったりといったミスがあった。過去の失敗を繰り返さないようにし、プラスアルファの工夫をしていくことが東京オリンピックに求められるという。

「リオは初めてのオリンピックで、何もわからなかった。気持ちの準備もしっかりできておらず、いつもはしないようなミスもしてしまった。でも、結果は5位でメダルを取れるかもしれなかった。東京はしっかり準備して、金メダルを狙えるようにしたい」(吉岡選手)

吉田選手も、「出場できるかはまだわからない」としたものの、「4回目のオリンピック。選手としての集大成。甘くないことはわかっているが、やり残したことがないようにしたい」と意気込んだ。

ペアを組んだわけ


2人が出会ったのはセーリングの「試乗会」。それから連絡を取り合い、江の島でまずは一緒に乗ってみよう、という運びに。ほぼ初対面の状況から「お互いのことをもっとよく知りたい」という理由で、その日は吉岡選手が吉田選手の家に宿泊することになる。

この時、吉田選手は「もしペアを組みオリンピックを目指すなら、ただ『出場したい』という思いだけでは不十分。最初にキツイことを話しておかなくてはダメだ」と思い競技生活の辛い部分について語った。それも「オリンピックに出場したい」という吉岡選手の強い思いに気づいたからだった。

「プライベートも制限され、暮らしがガラッと変わる」という話を聞いても、吉岡選手の決意は変わらなかった。

「想像以上に辛い世界だとは思ったけれど、それ以上にやりがいがあることなんだと感じました」(吉岡選手)



それから約5年。

選手生活において最高の瞬間を、2人は8月上旬にデンマーク・オーフスで開催された世界選手権で迎えた。女子470級で日本勢初の金メダルをつかんだのだ。



この大会は本人たちにとって3年前に同じ地で開催された「470 European Championships」 の屈辱を晴らすための大会だった。 両選手とも「屈辱を晴らしたかった」と口を揃えたことから、相当な気持ちを世界選手権に入れていたことがわかる。

「長年の夢。信じられなかった」(吉田選手)

ちなみに、金メダルを獲得した瞬間、吉田選手の母親と琉良くんは船に乗っていて連絡のつかない状態だった。朗報を聞いたのは翌日になってからのこと。「そういうところは、母らしい」と吉田選手は微笑んでいた。

吉岡選手の成長



世界選手権で結果を出せたひとつの要因には、吉岡選手の成長があった。

前年、吉田選手が産休していた頃、吉岡選手は自身の弱点を補うべく海外選手と世界を転戦していた。フィリピンに語学留学するなど様々な活動に取り組み、精神的にも強くなった。



出産で体力や判断力が鈍ったとしている吉田選手は、インタビュー中にも、何度か吉岡選手に「助けられている」と口にした。

今後の人生



最後に、人生における目標について聞いてみた。「やはり、私にとってセーリングはなくてはならないというか、一生関わっていきたいもの。その過程としての東京オリンピック」 と語る吉田選手にとって、セーリング無しの人生は考えられないようだ。



一方、吉岡選手は、少し照れながら「いい旦那さんをもって、子どもに恵まれて、趣味として家族でヨットをしたい」と口にした。

身近にいる吉田選手が、良い家庭を築きあげていることに影響を受けている。

「(吉田選手は)ヨットでピリピリしていても、陸に上がって家族に会うと目が優しくなって、微笑ましい」と羨ましがる様子もあった。

編集後記


インタビュー後、筆者は練習にも同行させてもらった。どうやらこの日は、新しい船がデビューする日だったようだ。「ちょっと奮発した」というシャンパンを開け、船にかけはじめた。

江の島を背にして船をコントロールする2人の姿を間近で見るにつれ、2020年が一層楽しみになってきた。

吉田愛(旧姓:近藤)



■プロフィール
・1980年11月5日産まれ。東京都出身。
・身長161cm、体重58kkg
・ベネッセセーリングチームに所属

■略歴
・小学1年生でセーリングを始める
・大学時代は全日本学生女子選手権(女子インカレ)3連覇
・アビームコンサルティングに所属後、2013年よりベネッセセーリングチームに所属し、吉岡選手とチームを結成

■主な実績
・2006年世界選手権2位、14年世界選手権8位、16年世界選手権11位
・全日本470選手権で総合優勝歴あり
・北京五輪(14位)、ロンドン五輪(14位)、リオ五輪(5位)

吉岡美帆



■プロフィール
・1990年8月27日産まれ。広島県出身。
・身長177cm、体重70kg
・ベネッセセーリングチームに所属

■略歴
・芦屋高校でセーリングを始める(種目はFJ)
・立命館大学で活躍(種目は470級)
・2012年琵琶湖全日本インカレ後、2013年よりベネッセセーリングチームに所属し、吉田選手とチームを結成。

■主な実績
・リオ五輪(5位)
《大日方航》
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