第一線を退くイチロー、過去の功績や後進に与えた影響を振り返る | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

第一線を退くイチロー、過去の功績や後進に与えた影響を振り返る

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イチロー(2017年9月19日)
  • イチロー(2017年9月19日)

シアトル・マリナーズのイチロー外野手は、球団の会長付き特別補佐(スペシャルアシスタントアドバイザー)に就任し、今シーズンはもう試合に出場しないことが決まった。

昨シーズン限りでマイアミ・マーリンズを退団したイチロー選手は、2012年のシーズン途中にニューヨーク・ヤンキースへ移籍して以来、6シーズンぶりに古巣のマリナーズに復帰した。

外野手に負傷者が出たチーム事情もあり開幕から出場機会を与えられたが、打率.205と十分な活躍を見せることはできなかった。

故障から選手が戻ってきたことで外野手が余ったマリナーズは、イチロー選手を出場登録選手から外す決断をしたが、球団の功労者としてフロント入りを打診した。

今シーズンは試合に出場しないが練習を続け、来シーズン以降は流動的な契約だという。

パドレス・牧田和久、イチローは「凄く偉大な人」

サンディエゴ・パドレスの牧田和久投手が5月5日にインスタグラムを更新して、シアトル・マリナーズのイチロー外野手への特別な想いを語った。

今年からメジャーリーグ挑戦を始めている牧田選手は、「まだお逢いした事もない…」と直接対決が実現しなかったことに落胆している様子。

(c)Getty Images

小さいころから憧れの選手だったというイチロー選手を、「凄く偉大な人です。またスーパープレイを見たい!」と称えていた。

日米で愛された生きる伝説を目標に、「ICHIROさんのように憧れる選手になれるように頑張りたい!」とメジャーでの成功に気持ちを新たにした。

日本プロ野球初のシーズン200安打を達成

今後も日本の野球史を語るうえで欠かせない存在であり続けるだろうイチロー選手。数々の業績を打ち立てた足跡を振り返ってみたい。

イチロー(本名:鈴木一朗)選手は愛工大名電高から、1991年のドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)に入団。

入団から2年目までは、独特なバッティングホーム(振り子打法)が首脳陣との間に意見の相違を生み、1軍では限定的な出場にとどまった。

それでもデビュー初年度で2軍の首位打者を獲得するなど大器の片鱗は見せている。

イチロー選手の大ブレイクは本格的に1軍定着を果たした1994年。この年にイチロー選手は日本プロ野球史上初のシーズン200安打を達成し、最終的に210本の安打を放った。

彗星の如く現れた安打製造機はその後もヒットを量産し続け、1994年から2000年まで7シーズン連続で首位打者を獲得した。

そして日本でやり尽くしたイチロー選手は2001年に海を渡る。

アメリカでもシーズン最多安打記録を更新

日本人野手初のメジャーリーガーとなったイチロー選手だが、当時は日本人選手に懐疑的な見方が多く、『日本の首位打者イチロー』に対しても「打率.280以上打てれば成功」と日米の評論家が口を揃えた。

しかし、シーズンが始まってみればイチロー選手は日本時代と変わらずヒットを量産し続け、メジャーリーグの新人最多安打を更新する活躍を見せた。

チームの地区優勝を牽引したイチロー選手は新人王、MVP、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞を独占した。

この年から2010年までイチロー選手は、10年連続200安打の離れ業をやってのける。

イチロー選手をメジャーでも伝説的な存在にしたのが2004年。この年のイチロー選手は序盤からヒットを打ち続け、次々に過去の記録を塗り替えていく。

1本打つたびにカラー写真がない時代の選手と比較され、3回に1回ヒットが打てれば一流と言われる世界で、無安打に終わった試合が大きく報道される異様な雰囲気だった。

そして10月1日の試合でジョージ・シスラーのシーズン最多安打記録に並び、同じ試合で84年ぶりに記録を更新した。

キャリアの晩年に間に合った大谷翔平の登場

イチロー選手がシーズン210安打を放った1994年に岩手県で1人の少年が産声を上げた。後の大谷翔平選手である。

大谷選手は花巻東高から日本ハムファイターズに入団。そこで実力を磨き、今年からメジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルスでプレーしている。

(c)Getty Images

現地5月4日の試合でイチロー選手のマリナーズと対戦した大谷選手は、試合前に大先輩のもとへ挨拶に出向く。

声をかけられたイチロー選手が走って逃げる素振りを見せるなど、2人の初対面は和やかなもの。

自分が大ブレイクした年に生まれた若者が、投打の二刀流でメジャーリーグを席巻する年に、第一線を退く決意をしたイチロー選手。

日本人野手の第一人者として45歳になる年までプレーを続けてきて、ついにバトンを渡す相手が見つかったのかもしれない。

《SPREAD》

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