シアトル・マリナーズの岩隈久志投手が、楽天の後輩・池田隆英投手のプロ初勝利を祝福した。岩隈選手は「可愛い後輩の活躍は本当に嬉しいです!」と我が事のように喜んでいる。
岩隈選手と池田選手はオフの自主トレを一緒に行っていた。嬉しいプロ初勝利にフォロワーからは、「池田選手は落ち着いていてとても良かったですよ」「いい先輩がいて池田君は幸せですね!」「池田くん頑張ってました!」などのコメントが寄せられている。
父親の病気、ライバル田中正義との出会い
池田選手は2016年のドラフト会議で楽天から2位指名を受け入団。創価高校、創価大学で同期だった田中正義投手とともにプロ入りし、会見では「田中はいろんなことを教えてくれた。田中に勝つことが恩返し」と、7年競い合ったライバルに感謝した。
見事にプロ入りを果たした池田選手だが、そこへ至るまでの道は決して平坦ではなかった。その生い立ちや半生はドラフト特番でも紹介されている。
幼いころに父親が体調を崩し、専業主婦だった母親が働きに出て家計を支えるようになり、貧しいなかで野球を続けてもいいのかと迷う時期もあった池田選手。
それでも家族の後押しで佐賀県から遠く離れた東京の創価高校に進学する。
そこで待っていたのが田中選手だった。1年生にしてエースナンバーを背負う田中選手に対して、最初は遅れを取った格好の池田選手だったが、努力の甲斐あって徐々に頭角を現し始める。
肩のケガにより田中選手が外野手に転向すると、かわってエースナンバーを背負ったのは池田選手だった。
いつか田中投手との投げ合いが実現するか
高校3年の大会で右ヒザ十字靭帯を断裂した池田選手。大学生活はリハビリからのスタートになり、その間に投手再転向を果たした田中選手が大学ナンバーワン投手とプロの注目を集めた。
この逆境にもめげることなく、田中選手と競い合って大学4年時のリーグ戦で好成績を残し、ドラフトでは2人そろって指名された。
会見では「田中には直接言ってないけど、負けられない気持ちが強い」とライバル心を明かした池田選手。
「田中に勝ってるところはない」と厳しい自己評価を下しながらも、「田中に勝てないと上にも行けない」と力を込めていた。