僕が6歳の頃、父の仕事の都合でポーランドに1年間ほど住んでいたことがあった。当時のポーランドは非共産勢力による政権が発足してから10年も経っておらず、EUにも加盟していなかった。
現在も少ないが、当時は東欧人が本当に少なく、母は「どこに行っても珍しい生き物に遭遇したかのように町の人にじろじろ見られた」とこぼすこともあった。
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幼少期に異国で少しばかりの時を過ごすことができたのは僕にとって貴重な経験ではあったが、この国で味わったトラウマも数多い。
なかでもポーランドの幼稚園は、僕の心に深い傷を負わせた。
通園初日。幼稚園の門の前、母の元で泣き叫ぶ僕。言葉もまったく通じない。知り合いなどいるはずもないし、日本人、ましてや東洋人すら一人もいない。そんな環境に飛び込むのは当時の僕にはあまりにもハードすぎた。
開園の時間。いつまでも母にしがみついて離れない僕のもとに現れたのは、推定210cm、体重120キロの保母さんだった。まるで発泡スチロールを抱えるかのように僕を軽々と持ち上げ左肩に乗せ、のっしのっしと教室へと連れ込んだ。手足をばたつかせるも、為すすべもなく泣き叫ぶ僕。
あの日から、僕は太ったおばさんを見るだけで鳥肌が止まらなくなったのであった。
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(c) Getty Images
そして今回、僕の幼き心に傷を与えた幼稚園を意を決して訪れてみた…が、既に廃れていた。時の流れ。なんだかホッとしたような、悲しいような。
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1月という極寒の時期に訪れたのは少しミスだったが、昔住んでいた家、上記でも触れた幼稚園など、記憶の片隅にあるふわふわした思い出を掘り起こしにいくことができ、有意義な滞在となった。
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物価も南米並に安いポーランド。負の遺産、アウシュヴィッツを除いたイメージはない人が多いだろうが、ワルシャワ滞在だけでも大いに楽しむことができるはずだ。
ちなみに、アウシュヴィッツを訪れる際に起点となるクラクフも、ワルシャワからPolskiバスを使えば1000円ほどで到着できる。トイレ付きで快適だ。