1918年、筑波鉄道によって茨城県南部の主要都市・土浦市と、同じく西部にある岩瀬町(現・桜川市)が、筑波線という一本の鉄道路線によって結ばれることになった。
筑波線は、筑波山麓を巡るローカル線で、最盛期の行楽シーズンには急行列車が走るなど多くの乗客でにぎわいを見せる。だが、その後乗客は減少し、1987年3月31日が最後の運行となり、翌4月1日に廃止となった。折しも、その日は国鉄分割民営化(国鉄がJRとなった日)と同日であった。
その筑波線の廃線跡地にサイクリングロードが作られることが決まったのは、それから5年後のことである。1997年、茨城県が廃線跡地を買い取り、自転車道としての整備を進める。さらに5年後の2002年に整備が完了し、土浦市と旧岩瀬町の40.1キロを結ぶサイクリングロードが完成した。茨城県道501号桜川土浦自転車道こと「つくばりんりんロード」の誕生である。
つくばりんりんロードは、田園風景と筑波山麓を眺めながら、気持ちよく自転車を走らせることができるコースとして人気を集めている。そもそもが鉄道路線であったため、コースは平坦でカーブが少ないという特徴があり、障害物なども一切ない。のんびりと里山の風景を眺めながら、サイクリングができるという癒し系コースだ。
筑波線の駅があった場所には休憩所が設けられ、近くに自転車のメンテナンショップがある場所もあり、サイクリストには嬉しい、楽しいコースとなっている。その休憩所のうち、雨引休憩所から岩瀬休憩所までを、筆者は雨引山の下山コースとして"歩いた"。
なるほど、あたり一面に広がる田園風景。筑波連山が端の御嶽山から筑波山まで、ずらっと連なっているのが丸々と見渡せる。これは確かに気持ちが良い。ただし、晴れていて、もう少し早い時間であれば。
その日はあいにくの雨。時刻は18時を過ぎて、あたりは暗くなり始めていた。サイクリングを楽しんでいる人などひとりもいない。御嶽山から雨引山を歩き、雨引休憩所までたどり着くのに5時間ほど歩いていたので、少々疲れも出始めていた。
そのような状況下で、どこまでも続くその道を、ひとり寂しく歩いていると、気持ちがよいどころか、苦行のように思えてくる(何故暗がりの雨の中、疲れ果てた状態でずぶ濡れになりながら歩かねばならないのだろう)。
気持ちが折れた時、ふと後ろを振り向くと、筑波山の姿がうっすらと見えた。その姿は霞んではいたが、「気をつけて帰れよ、お疲れさま」と言っているようで、不思議な温もりを感じさせた。
日が沈む間際の薄暗がり。
しとしとと降り続く雨。
目の前には、まっすぐに山あいを貫くりんりんロード。
景色は変わらぬが、心境が変わった。りんりんロードを歩くのが、今度は楽しく思えてきた。
《久米成佳》
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