「世界一過酷」な大砂漠のレース、その光と影 ダカールラリー2021を振り返って | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

「世界一過酷」な大砂漠のレース、その光と影 ダカールラリー2021を振り返って

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「世界一過酷」な大砂漠のレース、その光と影 ダカールラリー2021を振り返って
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■ペテランセルV14達成は、大砂漠に燦然と輝く光


ダカール・ラリー、オールドファンにとっての「パリダカ」を思う時、いつもアントワーヌ・ド・サンテグジュペリを想起する。「パリダカ」のどの映像を眺めても、名作『人間の土地』、特に「砂漠の真ん中で」のワンシーンなのではないかと勝手に錯覚してしまう。そこに共通するのは、日本人にとってあまり馴染みのない「大砂漠」だけなのかもしれないが……。


ダカールラリー2021はステファン・ペテランセルの14度目の優勝で幕を閉じた。


■ダカール・ラリー2021 四輪総合順位TOP10■ダカール・ラリー写真ギャラリー


2019年総合優勝、トヨタのナッサー・アル-アティヤ」(C)World/ASO/Charly López


ペテランセルは1988年に初めて「パリダカ」にライダーとして参戦。1991年に初優勝を飾ると、3連覇を成し遂げ、その後も95、97、98年に王者に。自身の憧れだったシリル・ヌブー(5回)を超える偉業を成し遂げた。その後、シリル・デプレマルク・コマが5回の優勝を達成しているが、いまだ彼を仰ぎ見るに過ぎない。


10日、大会中にこの世を去ったユベール・オリオールも、ヌブーとならびペテランセルにとってパリダカ・デビュー前のチームメート、そして憧れの先輩でもあった。海外メディアなどが、オリオールの死に際し、ペテランセルのコメントをこぞって掲載したのは、そんな背景があってのこと。


モト・カテゴリーではKTMが18度の制覇を成し遂げているのに対し、ヤマハは9度優勝とメーカー別2位に位置づけている。だが、ヤマハがパリダカを制したのは98年、つまりペテランセルの優勝を最後に23年も勝利から遠ざかっている。ホンダは今回、その勝利数を7とし、メーカーとして単独3位と追い上げ中だ。


ペテランセルは1999年に四輪でパリダカに出場。三菱パジェロを駆り2004年に初優勝し、翌年も連覇。2007年も栄冠を勝ち取る。三菱は2009年、パリダカから撤退。メーカー別優勝回数で三菱は最多の12回を誇るが、やはりこのペテランセルによる優勝が最後となっている点は興味深い。


その後「ミスター・ダカール」とまで呼ばれるようになった彼は、2012年、13年、16年、17年そして21年と着実に数字を重ね、ドライバーとして実に8回。2位につけるアリ・バタネンの4度をダブルスコアとし、2輪と4輪で合わせて「V14」、前人未到の記録を更新した。


ペテランセルの輝かしい業績は、まさにダカール・ラリーの、パリダカの光だ。


■世界一過酷なレースで命を落とす冒険者たち


(C)A.S.O./E.Vargiolu/DPPI


しかし「世界一過酷なレース」と形容される競技だけに、そこにはまた影も映し出される。


今回、大会期間中に亡くなったレースディレクターも務めたオリオールの死は、ビバークの話題となったが、それだけではない。ライダーとして参戦していたピエール・シャパンは10日のステージ7で転倒、フランスへ緊急移送されたが、主催者は15日に彼の死亡を発表した。2020年にも同じくライダーのパウロ・ゴンカルベスが事故死。これは2015年、ミハウ・ヘルニックがレース中、高温と脱水症状が原因で死亡して以来の出来事だった。


死亡事故は競技者だけにとどまらない。レース車両が観客や一般市民を巻き込んだ死亡事故は、2010年、11年、16年と散見されその他、死亡に至らずとも事故は発生している。2014年には取材記者のクルマが渓谷に転落、2人が死亡。メディアもその例外ではない。


(C)A.S.O./F.Le Floc’h/DPPI


パリダカの創設者ティエリー・サビーヌ自身1986年、コース視察のため搭乗したヘリコプターの墜落事故により、この世を去った。


AFP通信社の調べを元に累計すると、1978年にパリダカが始まって以来、亡くなったのは出場者のみ絞っても26人に上る。この間、GPS機能を含め、テクノロジーの進化は凄まじく、地球上で位置情報を収集できない地点はないとさえ思わせた。もちろん主催者は都度、競技の安全性向上に苦心している。それでも息があるうちにヘルニックを見つけ出すことは出来なかった。


■砂漠の光と影 死した競技者のレガシーを後世へ


砂漠に魅せられた人々を数多飲み込んで来た過酷なレースについて、多くのメディアがラリーの光について称える。賑やかな表彰式の模様、輝かしい勝者のプロフィール、各メーカーの戦い……だが「完走者のすべてが勝者である」というポリシーとして掲げられたパリダカにも関わらず、最終日全員が走行することで成り立つ「ビクトリーラン」が見られなくなった点、オールドファンとしては寂しい限りだ。


かつてラリー・ジャパンにも参戦、世界ラリー選手権(WRC)で9連覇を成し遂げたセバスチャン・ローブがステージ8でリタイヤしたニュースも地味だったが、競技中に亡くなった参加者については、極めて短い速報が流れるだけ。


生還者は讃えられ、帰らぬ者は忘れ去られる。


ラリーもやはり人生の縮図なのだろう。


2019(C)ASO/@World/C. Lopez


日本のメディアとして2021のダカールは、ハイラックスを駆るTOYOTA GAZOO Racingナッサー・アル-アティヤ2019年以来の優勝をもぎ取るのか……、昨年の覇者、すでに「レジェンド」の粋に入った大ベテラン、カルロス・サインツ・シニアが連覇を成し遂げるのか……注目されたポイントだった。


だが、スタート地点ジェッダから9500km離れた東京で、ラリーを振り返ろうとペンを持ったが、2021年のレースの推移を睨めば睨むほど、チャートに現れない、砂漠の光と影がちらついた。そうであるなら、数多あふれるラリーの総括は既存メディアに任せ、影に思いを寄せる1ページがあってもよいではないか……。


サンテグジュペリもサハラに不時着、砂漠を3日彷徨い幸運にも生還した。この生還がなければ、『星の王子さま』を含む、数々の名作はこの世に存在しなかった。ラリーの完走者は生き永らえ、死した競技者のレガシーを後世に伝える責務があるのだろう。


砂に埋れた夢、大砂漠に消えた魂を祈り、ダカール・ラリー2021年レースの振り返りとした。


著者プロフィール


たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー


『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。


MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。


推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。


リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。


著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

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