田中史朗、感謝パレードで涙 その裏にあった8年越しの思い | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

田中史朗、感謝パレードで涙 その裏にあった8年越しの思い

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田中史朗、感謝パレードで涙 その裏にあった8年越しの思い
  • 田中史朗、感謝パレードで涙 その裏にあった8年越しの思い

『ラグビーワールドカップ2019日本大会(W杯)』を戦った日本代表選手が、12月11日に東京都内でファンへの感謝を伝えるパレードを行った。


正午から始まったパレードには、平日の昼間にもかかわらず5万人ほどのファンが集まった。リーチ・マイケル主将の「日本中がONE TEAM(ワンチーム)になった。今日は感謝を伝えるパレードができて嬉しい」という挨拶のあと、選手たちは沿道の声援に応えながら行進した


この間ずっと泣いていたのが田中史朗選手だ。パレードが始まる前から男泣きの田中選手にファンから「つられて自分も涙」「こっちももらい泣き」などの声が寄せられた。


未勝利に終わった2011年W杯の悔しさが原動力


2011年、2015年大会に次ぐ3大会連続での出場となった田中選手は、インパクトと呼ばれるリザーブ組で途中出場から試合のテンポを変えた。渋く光るベテランの活躍が後半の強さになって表れた。


もともと涙もろい田中選手だが、この日の涙には8年越しの思いが詰まっていた。


「もう本当に、2011年の僕たちが不甲斐なくて、日本ラグビーを落としてしまった思いしかなくて……これだけの皆さんに集まっていただけたのが本当に嬉しいです


田中選手が初出場した2011年W杯で日本は3敗1分に終わる。フランス、ニュージーランド、トンガに3連敗。絶対に負けられないと臨んだカナダ戦も終盤までリードしながら後半38分で追いつかれ、日本代表20年ぶりのW杯勝利が逃げていった。


その悔しさが田中選手を駆り立てた。2012年には世界最高峰のラグビーリーグ『スーパーラグビー』に日本人で初めて挑戦。南半球の屈強な選手たちに揉まれながら経験を積んだ。



(c)Getty Images



前回大会では躍進も、ラグビー人気の定着には繋がらず


未勝利に終わった2011年大会から4年後。日本代表はエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)の下で史上初のW杯3勝を挙げ、強豪の南アフリカにも勝利した。代表の躍進で日本のラグビー熱は高まり、大会後に開幕するトップリーグにも多くの観客が集まると予想された。


だが、チケット完売が発表されていた開幕戦で実際に集まった観客は、その半分ほどだった。チケットの販売で不手際があったとされるがラグビー協会の説明は要領を得ない。


田中選手は試合後にコメントを求められると、W杯で身体を張り、ラグビーを盛り上げた現役選手の立場から「僕も偉そうに言えないですけど」と前置きした上で「僕らは人生を懸けてやっている。全員が必死になってもらわないと」と答えた。



(c)Getty Images



日本大会の盛り上がりを2023年のフランス大会まで


田中選手はパレード後に「最高のパレードをありがとうございました」とツイッターを更新。沿道に集まったファンに感謝するとともに、今度こそW杯の盛り上がりを次の4年間に繋げていきたい気持ちを示した


「2023年の次のフランスワールドカップまで、選手、スタッフ、家族、友人、ファン、そして日本の全てがONE TEAMになってラグビーを盛り上げていきましょう!!」




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