ボクが体験した初めてのアルプスは1989年のラルプデュエズだった。映画『猿の惑星』のキャラに似たPDMのゲルトヤン・テュニスが独走で優勝。山岳王にも輝くことになる。その年は記者としての初取材で、縁があってこのPDMチームに帯同していたので、夕食の席は祝勝会になった。レストランの隅に座っていたボクのところにもシャンパンが回ってきた。
「ツール・ド・フランスで勝つのってこういうことなのか」と、そのとき身をもって感じた。ホテルのフロントではラルプデュエズの大勝利をわが物の栄冠のように喜ぶ宿泊客でごった返し、ホテルは入れないサポーターが窓を見上げながら「テュニス」の歌を大勢で歌っていた。ほろ酔い気分で外に出てみたら、冬用のアウターウエアを着込む必要はあったけど本当に気持ちよかった。その後のボクの人生を運命づけたかもしれない1日だった。
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スイスの休息日には新城幸也の記者会見があった
今年のツール・ド・フランスは大会第2週に、いったんパリまで450kmほどに接近しながら、スイスに入ってから南下するなどアルプスをループするようにコース設定。結果的にアルプス山中に5連泊することになり、そのうち2日は連泊となった。こんなことはめったくなく、取材活動あしかけ20年のごほうびではないかと思った。
スイスからフランスに入るときは、やはり本格的なアルプスを越える必要があって、そのルートは限られている。スイスの山岳鉄道と並行して走るコースはまるで『世界の車窓から』の番組を見ているようだった。コースは何度も線路と交差するのでその都度踏切を通るんだけど、駅で時刻表を見て確信した。踏切で引っかかった選手がいるとしたらそれは「そりゃ不運だったね」で済む程度だ。
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世界の車窓から。フランスのモンブラン編
ツール・ド・フランスのコースではない峠にも行ってみたが、フランスのみならずスイスやドイツの走り屋たちがいっぱいいる。週末のヤビツ峠(神奈川県秦野市)のような感じだ。いや、もっとスゴいか。こっちのサイクリストはツール・ド・フランスにはあまり興味がなくて、ただ単に走るのが好きな人も多い。
宿泊はシャモニーモンブラン。「どれがモンブランなの?」なんて恥ずかしくて絶対聞けない雰囲気だったが、日本の知り合いがFacebookで探し出す手段を教えてくれた。シャモニーモンブランの郵便局前にある銅像が指差しているのがモンブランだという。で、朝のジョギングの時に見つけたのだが、結論としてモンブランは見えるんだけど、あまりにも近くて山頂は確認できない。
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シャモニーモンブランの郵便局前にある銅像が指差しているのがモンブラン
シャモニーはモンブランに上りに来るところで、モンブランを見に来ちゃいけないということだな。
そんなアルプスでの戦いももうすぐ終わり。あとはパリまで650kmの移動である。