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09ツール・ド・フランス決戦の舞台はモンバントゥー

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 ツール・ド・フランスには、ピレネーのツールマレー峠やアルプスのラルプデュエズのように数々の名勝負の舞台となった山岳がある。プロバンスにあるモンバントゥーは、ピレネーにもアルプスにも属さない南フランスの独立峰だが、有名な伝説が生まれた場所として人々の
  •  ツール・ド・フランスには、ピレネーのツールマレー峠やアルプスのラルプデュエズのように数々の名勝負の舞台となった山岳がある。プロバンスにあるモンバントゥーは、ピレネーにもアルプスにも属さない南フランスの独立峰だが、有名な伝説が生まれた場所として人々の
 ツール・ド・フランスには、ピレネーのツールマレー峠やアルプスのラルプデュエズのように数々の名勝負の舞台となった山岳がある。プロバンスにあるモンバントゥーは、ピレネーにもアルプスにも属さない南フランスの独立峰だが、有名な伝説が生まれた場所として人々の記憶に残っている霊峰にほかならない。

 標高1912mと、それほどの高さではない。上りのきつさもそれほどではない。しかし一度この山岳に足を踏み入れると、立ち込める霊気にゾッとするはずだ。
 昆虫学者のファーブルが生涯30回も登ったという山岳は、セミ時雨が聞こえるプロバンス地方にあって特異な景観と異様な雰囲気に満ちあふれているのだ。
 森林限界でもないのに草木が朽ちて、直径30cmほどの白い瓦礫が白骨のように敷き詰められる。地中海から吹くミストラルの熱風は、斜面を駆け上がるうちに体の芯まで凍らせる冷気に豹変し、真冬は豪雪地帯となる。
 頂上より2kmほど下ったところに1つの墓石がある。
「トム・シンプソン。オリンピックメダリスト、世界チャンピオン。67ツール・ド・フランス、7月13日、ここに死す」。かつてレース中に昏睡したイギリス選手が命を落としたところなのである。

 37年11月30日にヨークシャー州ハートワースで生まれたシンプソンは、59年にプロ選手となった。61年にはツール・ド・フランドルで優勝。62年のツールではイギリス選手として初めてマイヨジョーヌを着た。総合成績は6位。その後も64年にミラノ~サンレモ、65年にジロ・デ・ロンバルディアで勝ったが、30歳が近づくにつれ、持ち前のスプリント力にかげりが見え始めていた。

 67年、春先のパリ~ニースで総合優勝したシンプソンは、ツールのメンバーに選出された。しかし彼を取り巻く環境は前年とはまったく違うものだった。
 この年、最高権威ジャック・ゴデの気まぐれでツール・ド・フランスは、かつてあったナショナルチーム形式でのレースに逆戻りしたからである。襟つきジャージの肩にユニオンジャックを縫いつけたシンプソンは、文字どおり国家の威信を肩にかけて出場していた。しかもモンバントゥーに登る前日、シンプソンは監督から来年度の契約を更改しない最後通告を受けていたという。そのためシンプソンは手段を選ばなかった。

 翌日のモンバントゥーは気温40度を超える猛暑に見舞われた。総合優勝をねらう有力選手の集団から脱落したシンプソンは、徐々に蛇行を始め、沿道の観衆に抱きすくめられながら道ばたに倒れ込んだ。その場の雰囲気はよくありがちなアクシデントだったが、ヘリコプターで搬送されたアビニオンのホテルで元世界チャンピオンは息を引き取ったという。

 09ツール・ド・フランスは最終日前日にプロバンスの魔の山モンバントゥーにゴールする。(山口和幸)
《編集部》

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